ベネズエラの「ダブレット地震」による被害が拡大しています。
「4734人」が死亡し、数万人が避難を余儀なくされています。
日々、死者数が増加しています。
行方不明者は、どこのデータでも数万人単位であり、その行方不明者はほとんどが既に死亡していると推定されておりますので、死者は最終的には数万人単位になりそうです。
東日本大震災の死者である「2万人」を超えるかもしれません。
アメリカが、ICC(国際刑事裁判所)の「解体」を本格化させようとしています。
「ICCがアメリカに戦争を仕掛けている」そうですが、「おまえが言うな」同盟国にも対応を求めていくようです。
ICCは、ネタニヤフ氏に「逮捕状」を発行しており、親イスラエル寄りのアメリカとは相性があいそうにありません。
日本はICCの主要な支援国ですが、「懸念」しています。
ICCが、米国の主権に対する許容できない脅威になっている。
ICCは、米国の国益のために働いている米国の軍人や官僚を起訴し、収監する権限があるとしている。
ICCの脅威を取り除くためには、どんな外交手段も除外しない。
いつから相対的な「国益」が「目的」となり、あたかも「善」であるかのように言われるようになったのかは知りませんが、相対的な利益や国益は、それを「目的」とした場合、明白に「悪」なのです。
アメリカや日本の「国益」のために働く人間とは、「悪」のために働いている人間なのです。
「悪」を目的にしているのと同じです。
「利益や国益」は、神の心から遠い者達が「善」と誤認してきた価値であり、本来「目的」にもならず、「否定」もできず、そして「なくならないもの」です。
「利益と快楽」は「天」に置けば「悪」となり、「地」に置けば「善」となるものです。
神の創られた世界は、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体の世界です。
相対的な物質、いわゆる「神の体」が「善」なのは、永遠に「地」に置かれているからであり、これを「天」に置けば、「悪」になるのです。
「神の体」(利益や快楽)を「天」に置いて「悪の文明」になってしまった文明が、現代文明なのです。
「利益や国益」を目的にしている人間とは、要は心地の良い「快楽」を目的にしている人間なのです。
西田哲学では、「快楽説」を批判し、「快楽をもって人生唯一の目的とする者は人性にもとる」と残されています。
人に「利益や国益」を追わせますと、必ず社会にとって危険な「エゴイスト」を生むからです。
また「利益や国益」は、相対的なものであり、絶対的なものではありませんので、人類普遍の目的とは到底なり得ません。
「神の心」が人類にとって「永遠の目的」になっているのは、「神」とは絶対的な存在、すなわち「絶対者」だからです。
絶対的なもの以外、人間の目的にはならないのです。
「利益や国益」を目的とする人間は、相対的なものを絶対化し、神が永遠に「地」と定めているものを「天」に置いている「神への傲慢」に耽っている者達なのです。
この「神への傲慢」から全ての「悪」が生まれています。
相対的な自我を「天」に置き、利益を「天」に置き、快楽を「天」に置き、国益を「天」に置き、要は「矛盾」を「天」に置いているのです。
地獄界を「天」に置いてあがめているのと同じです。
「神の体」を「天」に置けば、悪魔にとって都合の良い世界となり、「神の心」を「天」に置けば、悪魔にとって都合の悪い世界ができるのです。
今の世界は、悪魔にとって都合の良い世界です。
「神の体」(矛盾)を「天」に置けば、悪の無限化は避けられません。
だから悪魔にとって都合がいいのです。
利益から犯罪が生まれ、国益から戦争が生まれ、その快楽から気候変動まで生んでしまったのです。
アインシュタイン博士が「相対性理論」で論証されましたように、物質とはイコール「時空」であり、時間と空間は相対的なものです。
それは「永遠の矛盾」を意味しておりますので、この大宇宙では「神の御手」によって永遠に「地」に置かれているものです。
その「地」に置かれている「利益や国益」を目的とし、あくまで「天」に置こうとするならば、その「矛盾」によって無限なる「悪の洗礼」を受けることになるでしょう。
既に多くが「悪の洗礼」を受けています。
世界と人類が悪化を続け、多くが地獄に堕ちている理由と原因も、この「利益や国益」を目的に生きている人間の存在にあります。
いつから相対的なものを絶対化し、目的にするようになったのか。
いつから「悪」に過ぎないものを「善」と認識するようになったのか。
「悪」に過ぎない「利益と快楽」を「善」と誤認し、むさぼった結果、その「利益と快楽」の性質通り、「救世の法」も矛盾だらけとなり、何の使命も果たさないまま、天寿も全うできず、死んでいった救世主がいました。
神が永遠に「地」(利益と快楽)と定めているものを好んで選び、みずからの選択で「地」に向かったため、一貫して悪化を続けたのです。
今の人類とそっくりですが、「利益と快楽」は神によって永遠に「地」に置かれているものですので、これを「天」に置けば、どこかの教団と同様、「地」に向かって転落し、一貫して悪化していくだけです。
たとえ人類が一丸となって「利益と快楽」を目的にしようとも、神の定めた「天地の方位」は「絶対」ですので、人類が一丸となって「地」に向かい、悪化していくだけに終わるのです。
神に抗うことのできる人間は存在しないからです。
俗に神に抗うとは、この「天地の方位」に抗うことであり、誰も抗うことはできないのです。
「天」を選べば、「天」に向かい、「地」を選べば、「地」に向かうのです。
救世主の教団も中心人物が「地」を選んだがゆえに、一貫して「地」に向かったのです。
今の人類も「地」(利益と快楽)を選んでいるから、「地」に向かって悪化を続けているのです。
神の定めた「天地の方位」は「絶対」であり、抗うことのできる人間は存在しません。
「天」に行きたければ、「天」を選べばいいのであり、「地」に行きたければ、「地」を選べばいいのです。
「天地の方位」は「絶対」ですので、必ずそうなります。
これだけ「悪」(利益と快楽)を「天」に置いた文明の原因を、この世の「未熟な人間」だけに置いていいものかどうか判然としません。
今回の救世主も「利益と快楽」が悪であるという「不変の事実」を悟っていなかったのです。
他にいても不思議ではありません。
救世主のほうは、「不利益や不快」を悪であると真逆に認識しており、「利益や快楽」が「悪の根源」であると言う事実を最後まで悟れなかったのです。
この点、西田博士やエマソンは、明確に悟っておられたわけですが、どういうわけか救世主のほうは悟っていなかったのです。
これは「善悪の基本」を悟っていなかったということです。
何事も「基本」が重要なのであり、「救世の法」としては致命的な欠陥と言えます。
土台を「砂」で創るようなものであり、「救世の法」の「土台」がグラグラなのです。
「救世の法」を、よくこれだけ矛盾だらけの法にしてくれたものだと思いますが、元の意味に戻しておく必要があります。
好悪によるその場、その場のご都合主義で、あまりにも無茶苦茶にしてしまいましたので、誰も修正できないのです。
そっとあのままにしておくしかなく、まさに「ゼロ」からの仕切り直しです。
全ての善の源は「神の心」であり、全ての悪の源は「神の体」です。
全ての善の源と全ての悪の源は一つであり、「神の心」即「神の体」で大宇宙において一つです。
すなわち大宇宙を知ることが、全ての善と全ての悪を知るということです。
善悪の基本とは、この「大宇宙の存在」であり、「神の存在」です。
善悪を知るとは、大宇宙を知り、神を知るということです。
大宇宙を知らぬ者は、善悪を知らず、神を知らぬ者は、善悪を知りません。
大宇宙を知る者が、善悪を知る者であり、神を知る者が、善悪を知る者なのです。
真の善悪を知りたければ、大宇宙を知り、神を知るしかありません。




























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