真理関係

レザレクション 15

「主客合一」の世界とは、「希望の世界」であり、「主客分離」の世界とは、「絶望の世界」です。

「主観」と「客観」が分離している世界では、この「主観」、いわゆる「心」が意味を持ちませんし、その「心」を如何に「悟り」を通して磨こうとも、「客観」の世界と分離しておりますので、その磨いた「主観」は、「客観」の世界に何の影響も及ぼさないため、「心」(主観)で「世界」(客観)を良くしていくことはできないのです。

「心」(主観)で「世界」(客観)を良くしていくことができない世界とは、まさに「絶望の世界」なのです。

「心」の中心と本質に「神の心」は存在しておりますので、「心」で「世界」を良くしていくことができない世界とは、「神の心」が意味を持たない世界でもあるのです。

そこには「矛盾」した「客観」の世界しか存在しておりませんので、その「矛盾」を通して「世界」は、ただひたすら無限に悪化していくしかないのです。

アインシュタイン博士は、「物質」とはイコール「時空」であり、「時間」と「空間」は相対的なものに過ぎないという相対性理論を説かれました。

「客観」の世界だけを捉えますと、それは「相対的な世界」に過ぎず、その「相対的な世界」とは、「矛盾した世界」なのです。

「時間」と「空間」の「相対性」と「矛盾」を統一する存在が欠落しているからです。

「神」が「絶対者」と言われるゆえんは、「時間」と「空間」の「相対性」と「矛盾」を全て「統一」し、全ての「相対的な存在」を超越しているからです。

全ての「相対的な存在」を超越している、すなわち「神」とは、「相対的な存在」ではなく、「絶対的な存在」なのです。

「主観」と「客観」が分離している世界とは、「絶対的な存在」と「相対的な存在」が分離している世界ですので、その相対的で客観的な世界とは、単に「矛盾した世界」に過ぎず、その「矛盾」によって「客観」の世界は、無限に悪化を続けていくのです。

どこかの大救世主がそうであったように「客観の世界」そのものが、「矛盾」に翻弄されていくのです。

神への信仰を失えば、そこには「相対的な自我」と「相対的な物質」しか存在しない「矛盾した世界」の中に、人類自身が捨て置かれますので、人類と世界は無限に悪化を続けるのです。

神の創られた世界は、統一が「天」であり、矛盾が「地」で、永遠に天地一体の世界ですので、「矛盾」しか存在しない世界では、人類は必ず「地」に向かうことになり、悪化を余儀なくされるのです。

神の定めた「天地の方位」は「絶対」であり、誰も抗うことはできないのです。

大救世主であろうが、如来であろうが、「天」を選べば「天」に向かい、「地」を選べば「地」に向かうのです。

今回の大救世主も宗教ビジネスと称して「利益と快楽」という心地の良いものをみずから選択し、「地」を選んだがゆえに、みずから「地」に向かって悪化を続けたのです。

今の人類も同じく、資本主義を通して相対的な「富」を「天」に置き、人民共通の相対的な利益に基づいた国家契約である民主主義を通して、「利益」を「天」に置き、社会主義の唯物論を通して、相対的な物質を「天」に置き、神が永遠に「地」と定めておられる「物質と利益」を全て「天」に置いて悪化を続けているのです。

「相対的なもの」を「天」に置くとは、「矛盾」を「天」に置いた世界なのです。

まさに「悪の文明」であり、とても「善の文明」とは言えません。

今の人類はみずから「悪の文明」を「良し」として創っているわけですから、「悪の文明」は、その「悪の性質」通り、悪化していくしかないのです。

神の創られた世界は「不昧因果の世界」であり、神の御前で「善悪」をくらますことはできないのです。

「善の文明」ならば良くなり、「悪の文明」ならば、今の文明のように必ず悪くなるのです。

人間では「善」を「悪」にしたり、「悪」を「善」にすることはできないのです。

「善」ならば良くなり、「悪」ならば悪くなるのです。

どうしようもないのです。

どう屁理屈を言おうが、とりつくろおうが、無駄であり、全ての善悪は「神の心」から来ますので、人間には善悪をくらますことはできません。

いくら今の文明を「善の文明」のように糊塗しようが、「神の体」(矛盾)を「天」に置いている限り、見まがうことなく、それは明確に「悪の文明」になっているわけですから、悪化していくしか道はないのです。

神の眼下の下、みずから「悪の文明」を創っておきながら、それを「善の文明」のように良くしてくれと頼んでも、それは非常に図々しい願いであり、無茶な話なのです。

その願いが聞き届けられることはなく、神が定めておられる通り、「悪の文明」ならば、悪化していくだけの話です。

諸神霊も神の創られた世界は「不昧因果」であり、因果をくらますことはできないと言っていたはずです。

善悪をくらますことはできないのです。

個人であれ、人類全体であれ、文明であれ、「善」ならば良くなり、「悪」ならば悪くなるのです。

神の創られた世界では、これは「絶対的な事実」であり、「永遠不変」なのです。

誰も抗うことはできないのです。

今の人類も、何も世界を悪化させようとしているのではなく、良くしようとしているのです。

みな良くしようとしているのに、人類や文明が悪化を続けるのは、この神の創られた世界では、常に「神の意向」が優先的に現実化してくるからです。

人間の「忖度」や「意向」が現実化してくることはないのです。

そのようなご都合主義の世界を創れば、創るほど、「神の意向」が現実化してきますので、人類と世界は悪化を続けるだけなのです。

人間のほうが、如何に国家のGDPや利益を増やし、良くしようとしても、その「人間の意向」が現実化し、良くなることはなく、「それは間違っている」という「神の意向」のほうが現実化してきますので、世界は悪化を余儀なくされるのです。

現代では地球的規模の気候変動や「60%以上」の人間が地獄に堕ちるという現象で出ています。

神の創られた世界は、「絶対的な世界」であり、「相対的な世界」ではないのです。

地球は、恐らく「大日意識」のことでしょうが、「神」が支配しておりますので、「神の意向」が優先的に現実化してくるのです。

この世界が「神」の存在しない「相対的な世界」であるならば、人間の「都合」や「忖度」、あるいは「人間の意向」が現実化し、良くなってもよさそうなものですが、それが決してそうならないのは、この世界は「神」が支配しておられる「絶対的な世界」であり、常に「神の意向」が現実化してくるからです。

今の人類と世界は、神の目から見て「悪」という評価を得ているがゆえに、常に「神の意向」が現実化してくるこの世界では、悪化を続けていくことになるのです。

人間に当の人間自身や世界を良くする能力はないのです。

この人類と世界の悪化を食い止め、「善の文明」を建設し、人類の「幸福と救済」を真に望んでいるのならば、「神の体」(利益と快楽)を「天」に置いた世界を「悔い改め」(メタノイア)、自然界と同様、「神の心」を「天」に置いた「自然即我の文明」を建設していくしかありません。

神の創られた正しき世界とは、西田哲学で説かれておりますように、「主観の統一力」と「客観の統一力」が等しい「主客合一の世界」なのです。

「主客分離の世界」は、単に「矛盾」しか存在しない「絶望の世界」に過ぎません。

「主観の統一力」と「客観の統一力」が、それぞれ異なっているならば、人間は大宇宙を理解していくことはできないのです。

人間が大宇宙や自然界を理解することができるのは、「主観の統一力」と「客観の統一力」が同じだからです。

人類と世界の悪化の原因の一つは、人類自身が、人類の暮らしている世界の構造と仕組みを知らないことなのです。

この真理知識の著しい「不足と無知」が「腐敗と悪化」の原因です。

人類が永遠に暮らしている世界とは、「主観」と「客観」が合一している「主客合一の世界」なのです。

この世であれ、あの世であれ、「心」(主観)と「世界」(客観)は分けられないのです。

神がそう創られたからです。

菩薩の「心」と菩薩の「世界」は分けられませんし、地獄霊の「心」と地獄の「世界」も分けられないのです。

カントが残しておりますように「主観」が「客観」を可能にしているのです。

この世であれ、あの世であれ、「心」(主観)が「世界」(客観)を創っているのです。

菩薩の「世界」は、菩薩の「心」が創り、地獄の「世界」は、地獄霊の「心」が創っているのです。

今の腐敗し、悪化を続けている「世界」も人類の「心」が創っているのです。

「悪い世界」は、人類の「悪い心」が創っているのです。

神の創られた世界は、永遠に「主客合一の世界」であり、この世界の構造と仕組みを変えたり、変更できる人間は存在しないのです。

すなわち西田哲学で説かれる「主客合一の世界」とは、人間では変えることのできない「絶対的な世界」なのです。

従って「客観の世界」を良くしたければ、人間の「主観」、この「心」を良くするしかないのです。

それは「絶対的な掟」なのです。

人間はそうするしかなく、それ以外の選択肢がないからです。

2つも、3つも、選択肢はないのです。

「客観の世界」を良くしていくには、人間の「心」を良くしていくしかないのです。

神の創られた「主客合一の世界」の構造と仕組みを変えることのできる人間は存在しないからです。

「絶対的な世界」のため、相対者に過ぎない人間では変えられないのです。

世界の構造と仕組みを誰も変えられない限り、「世界」(客観)を良くしていくには、人間の「心」(主観)を良くしていく以外にないのです。

信仰に選択の余地はありません。

まさにそうするしかないのです。

神の創られた世界の構造と仕組みを知らないから、客観の世界に捉われ、その矛盾に翻弄され、「利益と快楽」の虜となり、「心のあり方」が疎かになり、悪が無限に現象化してくる世界で暮らす羽目に陥ったのです。

我々の暮らす世界は、「主客合一の世界」である限り、客観の「世界」を良くするには、主観の「心」を良くする以外に世界を良くする方法はないということです。

そして主観の「心」を良くするには、その一人一人の「心」の中心に存在している「神の心」を悟っていくしかなく、「神の心」を「人の心」が悟っていけば、いくほど、「心」が良くなるために、それだけ客観の「世界」もまた良くなっていくということです。

これが未熟な人間にとって「神の心」が「永遠の希望」になっているという意味なのです。

これも重要で基本的な真理知識の一つです。

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