真理関係

幸福の在り処

神の創られた正しき世界とは、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体の世界です。

正義が「天」であり、利益が「地」で、永遠に天地一体です。

幸福が「天」であり、快楽が「地」で、永遠に天地一体です。

統一が「天」であり、矛盾が「地」で、永遠に天地一体です。

神我が「天」であり、自我が「地」で、永遠に天地一体です。

精神が「天」であり、物質が「地」で、永遠に天地一体です。

この通り生きられますならば、それが「宇宙即我の生き方」です。

万人の「人生の意義」が、「神の心」を悟り、「真正の自己を知る」ことになっているのは、我々の暮らす大宇宙や自然界では、「神の心」が永遠に「天」に置かれているからです。

「大宇宙の存在」そのものが、それを指し示しているのです。

もしこの大宇宙において「神の体」(利益と快楽)が「天」に置かれているならば、今の文明は正しいのであり、もしこの大宇宙において「神の心」が「天」に置かれているならば、今の文明は間違っているのです。

「幸福」や「統一」、あるいは「神我」や「精神」を見れば分かりますが、神が「天」に置いておられるものが、未熟な人間にとっての「永遠の目的」であり、「人生の意義」なのです。

「神」は大宇宙や自然界を通して、人類を永遠に導いているのです。

「神の心」を「天」に置き、「神の体」を「地」に置きなさいと永遠に教えています。

ところが今の人類は、神が「地」に置いておられるものを全て「天」に置いているのです。

相対的な「利益」を「天」に置き、「快楽」を「天」に置き、「矛盾」を「天」に置き、「自我」を「天」に置き、「物質」を「天」に置き、「神の体」を「天」に置いているのです。

人類各人の「未熟」と「悟り不足が」が原因です。

この「未熟」と「悟り不足が」を原因として結果、「神の体」を「天」に置いた世界の中で、多くが地獄に堕ちる「不幸な世界」を創ったのです。

地獄に堕ちれば「不幸」ですが、この「不幸な世界」を終わらせ、その「現実」を変えていくには、「神の体」を「天」に置いた世界を「悔い改め」、自然界と同様、「神の心」を「天」に置くしかありません。

自然界の通りにするしかないのです。

「神の体」を「天」に置き、「神の心」を「地」に置いている世界の「ポールシフト」であり、「コペルニクス的転回」です。

かつて地球を中心とする「天動説」から太陽を中心とする「地動説」へと逆転した「パラダイムシフト」がありましたが、同じく「神の体」を中心とした世界から「神の心」を中心とした世界へと「パラダイムシフト」していく必要があるのです。

まさに新たな価値観の創造と樹立による「コペルニクス的転回」です。

神の創られた世界は、「神の心」(統一)が「天」であり、「神の体」(矛盾)が「地」で、永遠に天地一体です。

「未熟な人類」の創った世界では、「神の体」(矛盾)が「天」に置かれており、神の天地創造と真逆の世界を創っているのです。

思想や哲学の世界でも「矛盾」した思想や哲学は価値の低いものであり、歴史に残ることはありません。

ヘーゲルはこれを「腐った実存」と呼び、歴史に残ることは許されないと言いました。

「矛盾」を「天」に置いた今の文明もまた「腐った実存」ですので、歴史の過程で残ることはないのです。

神の創られた世界は、「実相不変(神の心)、現象無常(神の体)」の世界であり、「神の体」は「無常相」ですので、これを「天」に置いている限り、今の文明は「現象無常」の性質通り、過去に過ぎ去り、消え去り、なくなっていくのです。

今後の文明は、流れ去るものの中にあって流れ去らないもの、過ぎ去るものの中にあって過ぎ去らないもの、消え去るものの中にあって消え去らないもの、すなわち「神の心」が「天」に置かれた文明になるのです。

「神の心」を「天」に置いた文明は、過ぎ去ることもなく、消え去ることもないのです。

一人も地獄に堕ちることなき「地上天国」とは、過ぎ去ることもなく、消え去ることもなく、「神の心」と同様、なくなることもない世界です。

「永遠」になくならない「神の心」を「天」に置くがゆえに、その「地上天国」もまたなくなることはないのです。

「神の心」を「天」に置かなくなった時、その文明もまた崩壊していくでしょうが、「神の心」を「天」に置いている限り、なくなることはありません。

今後の人類は「神の心」の「不可欠性」とこれを「天」に置くことの「重要性」を知ることになるでしょう。

その「重大な意味」を知ることになるのです。

「神の心」を「天」に置くとは、「完全なる神の心」を「天」に置くということであり、人間精神の根源的本質を「天」に置き、これを探究し、解明し、悟っていく世界を創るということです。

何故、そうしなければならないのか?

大宇宙や自然界では、永遠に「神の心」が「天」に置かれているからです。

神の御手によって「神の心」が「天」に置かれているということは、「神の心」を悟りなさいと人類に教えているのです。

神が「神の体」を「天」に置いたことはないのです。

神への信仰が「義務」になっているのも、人類が暮らす大宇宙では「神の心」が永遠に「天」に置かれており、それを変更したり、変えたりすることのできる人間は存在しないからです。

神が永遠に「天」に置いておられる「神の心」を、人間のほうが「地」に置けば、自動的に宇宙と人類は分かれていくのです。

「宇宙即我」ではなく、宇宙と我とが分かれていきますので、信仰を失った人間は、すべからく「悪の存在」になってしまうのです。

宇宙の構造と仕組みが、永遠にそうなっているのです。

人間が「悪の存在」にならないためには、「神の心」を「天」に置くしかなく、信仰に覚醒するしかないのです。

信仰に選択の余地はなく、まさにそうするしかないのです。

誰も「悪の存在」になりたい人はいないからです。

「大宇宙の存在」のことを「神」と言いますが、この大宇宙は「神の心」と「神の体」で構成されており、この「神の心」と「神の体」が、過去・現在・未来の一人残らずの全人類を支配し、指導し、生かしています。

「神の心」と「神の体」の「神の支配」から逃れることのできる人間は存在しないのです。

今の人類はその「未熟」によって「選択」を誤り、「神の体」を「天」に置くという「間違った世界」を創ってしまったのです。

「利益と快楽」を「天」に置いた代表的な世界とは「地獄界」なのです。

悪魔はみな自己の「利益と快楽」を基準にしており、「心の物差し」にしています。

フライデー事件の時も「阿含宗の元教祖」と「真如苑」は、「大丈夫、自分達に不利益はない」と言って潮が引くように引き下がっていったのです。

本当は「幸福の科学」と本気で戦争をする気だったのですが、悪魔のほうが「その必要はない」と判断して引き下がったのです。

「利益と快楽」を「心の基準」にし始めますと、いずれ悪魔に蹂躙されていきます。

やはり「神の心」でなければ「自己の心」を守ることはできないのです。

「神の体」(利益と快楽)を「選択」し、「天」に置くことによって「不幸」になっていった我らですから、残りの「選択肢」は、たった一つしかなく、「神の心」を「選択」するしかないのです。

「神の心」を選べば「幸福」になり、「神の体」を選べば「不幸」になるのです。

これがあの世の「天国」と「地獄」であらわれているだけです。

「天国」の善霊が幸福なのは、「神の心」を選んでいるからであり、「地獄」の地獄霊が不幸なのは、「神の体」(利益と矛盾)を選んでいるからです。

「地上天国」を建設したければ、「天国の善霊」と同様、「神の心」を選び、大宇宙と同様、「天」に置くしかありません。

まさにそうするしかないというだけの話です。

今の人類が不幸なのは、そうしていないからというだけの話なのです。

「天国」の善霊のように「神の心」を選びもせず、自然界のように「神の心」を「天」に置こうともしていません。

これだけ「宇宙のルール」に反することをしているわけですから、多くの人達が地獄に堕ちたり、不幸を囲うのは当たり前の話なのです。

この世でも「神の体」を選んで「6割以上」も地獄に堕ちる「不幸な世界」を創っているはずです。

「神の体」(利益と快楽)は「矛盾」を意味しておりますので、あくまでこの「矛盾」を「天」に置くならば、人類は今後も無限の「悪の洗礼」を受けることになり、多くが地獄に堕ちていくのです。

これをエマソンは「利益は必ず我々を裏切るものだ」と残しています。

誰も「気候変動」を望む者はおりませんが、「利益と快楽」はその我々の「理想」を必ず裏切るのです。

誰も「暴力」を望む者はおりませんが、「利益と快楽」はその「非暴力の理想」を必ず裏切るのです。

誰も「犯罪の増加」を望む者はおりませんが、「利益と快楽」はその「犯罪の消滅」という「理想」を必ず裏切るのです。

何か「利益」が欲しいものだから「窃盗や詐欺」と言った犯罪を繰り返しているのです。

人が「利益と快楽」を追えば、追うほど、気候変動は激しくなり、戦争と暴力は果てしなく続き、犯罪もまたなくなることはないのです。

エマソンが残しておられるように「利益は必ず我々を裏切る」からです。

「神の体」(利益と快楽)は、その心地良さで人さまを巧みに誘惑しながら、必ず我々の「理想」を裏切るのです。

その「利益と快楽」の心地良さに負け、むさぼった結果、新たな世界観も提示できず、宗教改革もできず、「救世の法」の完成と成就の「理想」も果たせないまま死んでしまった救世主がいました。

「神の心」は、決して裏切りませんが、「神の体」は、必ず裏切るからです。

今の人類は、必ず裏切る「神の体」を「天」に置いておりますので、如何なる「理想」を描こうが、それが現実化することはなく、その「理想」は今後も裏切られていくことになるのです。

必ず裏切る「神の体」を「天」に置いておきながら、その「理想」は裏切られたくないというのは「矛盾」以外の何ものでもなく、「矛盾」とは「物質の属性」です。

人間が今後も「理想」を描き、その「理想」を実現せんとするならば、決してその「理想」を裏切ることのない「神の心」を「天」に置くしかありません。

戦争をなくし、暴力をなくし、人種差別をなくし、児童虐待をなくし、犯罪をなくし、死刑制度をなくし、苦悩をなくし、地獄に堕ちていく人達をなくしていくには、「神の体」(利益と力)によってなくしていくことはできず、「神の心」によってなくしていくしかありません。

人類に選択の余地はないのです。

「神の心」を悟れば、まず戦争がなくなり、暴力がなくなり、児童虐待がなくなり、人種差別がなくなり、犯罪がなくなり、死刑制度がなくなり、苦悩がなくなり、地獄に堕ちる人達もなくなっていくのです。

つまり「人類の幸福」が実現していくのです。

「神の心」がイコール「人類の幸福」であり、その「神の心」とは、一人一人の「心」の中に在りますので、人類を幸福にしたければ、自己の心を悟っていくしかありません。

人類を幸福にする「心」は、一人一人の「心」のただ中に「在る」ということです。

個人と人類の「幸福の在り処」とは、自身の「思うこと」と「行うこと」の「心」の中にあります。

「神の心」とは、人間の「心」の中で息づいており、全人類の心をその中心から永遠に照らしているのです。

「人類の幸福」とは、この「神の心」との「融合と親和性」にあるということです。

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