真理関係

宗教 Ⅹ

宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である : 西田幾多郎

宇宙は神の表現体であり、宇宙は神の体である : 高橋信次

神の思想を悟られていた方は、エマソンであろうが、ヘーゲルであろうが、宇宙の存在が神である事実をみな悟っておられたわけです。

人間の手によって書かれた聖書や聖典の中に神の心は表現されているのではなく、神の手によって書かれた大宇宙や自然界に完全なる神の心は表現されているのです。

従って完全なる神の心を悟っている者はこの世にも、あの世にも存在しないのです。

未熟な人間は、ただ神の心を永遠に悟り続けていく道しか用意されていません。

大宇宙が神であるという不変の事実を知っていれば、無神論はないのです。

過去・現在・未来を通して大宇宙の存在を否定できる者は一人もいないからです。

無神論者とは、神とは何かを知って神の存在を否定しているのではなく、神とは何かを知らないで神の存在を否定しているのです。

目の前に永遠に存在する大宇宙を否定できる者は存在しません。

神の存在など「ない」と主張する方は、宇宙は「ない」と言っているのと同じなのです。

宇宙は「ない」と言い切ったところで眼前の大宇宙が忽然となくなるわけではありません。

神の心と神の体(物質)で構成されている大宇宙の存在を神というのであって、過去・現在・未来の天界・現界・地獄界の全霊人を永遠に支配しています。

指導していると言った方が正確ですが、日々手取り、足取り、人類を指導しています。

神は自分に似せて子を創られました。

人間の体は、神の体(自然界)が生かし、人間の心は、神の心が生かしています。

神の体(自然界)に充満している空気を吸い、水を飲み、神の体に種を植え、成長してきた食物や果物を食べて人間の体は成長していきます。

人間の心もまた神の心に支配されている諸神霊の啓示やインスピレーションを受けて成長していくのです。

人間の体は、神の体に依存し、人間の心は、神の心に依存しているのです。

未熟な人間は、神の体(物質)の物理法則を探究し、科学を発達させ、物質的な繁栄を築いてきました。

神の体を知ることなく、物質的方面の発展はないのです。

未熟な人間は、神の心を探究し、精神的な発展を遂げてきたのです。

神の心を知ることなく、精神的方面の発展はないのです。

神の心を知り、神の体を知る、すなわち大宇宙を知ることを通して人間は精神的方面と物質的方面の双方の発達を遂げてきたのです。

だから最高霊域である如来界のお歴々の共通の悟りは、宇宙即我になっているのです。

科学は神の体を探究し、宗教や哲学は神の心を探究してきました。

宗教も科学も共に同じ大宇宙を探究してきたのです。

宇宙の存在のことを神と言いますので、神を探究してきたのです。

人間はみな神の子ですので、親である神に依存するように造られています。

神の体に依存しなければ、物質的方面の発展はありませんし、神の心に依存しなければ、精神的方面の発展もないのです。

今までの文明も神の心と神の体に依存して文明を発展させてきたのです。

今後の人類もずっと眼前に存在する大宇宙、すなわち神に依存していくのです。

我々人類は、神の心の「永遠の神秘」を一つ一つ解明しながら精神の発達を遂げてきましたし、神の体の「永遠の神秘」を一つ一つ解明しながら物質文明の発達を遂げてきたのです。

神への信仰とは、この宇宙における「永遠の神秘」への信仰を指すのです。

諸神霊も今後の神への信仰とは、この宇宙の叡知と神秘への信仰になるであろうと預言していたはずです。

真の神秘主義の到来です。

全ての善の源は神の心であり、全ての悪の源は神の体です。

全ての悪の源である神の体は、全ての善の源である神の心の表現体であり、大宇宙とは神の一大倫理表現です。

この宇宙の倫理を真理と言い、神の心と言うのです。

人間は神の心がなければ、善を思うこともできなければ、行うこともできず、神の体がなければ、悪を思うこともできなければ、行うこともできません。

大宇宙が存在しなければ、人間は善悪を思うことも、行うこともできないのです。

宇宙と人類、神と人間は永遠に一体で生きているのであり、人間の方は神との一体感が希薄なようですが、それでもお構いなく、神は子を膝の上に乗せて永遠に指導しています。

神の心は統一であり、神の体は矛盾です。

神の心は真理であり、神の体は現象利益です。

神の心は幸福であり、神の体は快楽です。

神の心は原因であり、神の体は結果です。

神の心は絶対的なものであり、神の体は相対的なものです。

神の心と神の体は永遠に一体ですので、統一即矛盾、真理即現象利益、幸福即快楽、原因即結果、絶対即相対が神の造られた世界です。

ヘーゲルはこれを「個即絶対者」と残しています。

人間の自我は、その知識・思考・概念・認識・情操、みな相対的な性質であり、すなわちそれは「矛盾」を意味しています。

アインシュタイン博士は、その相対性理論において物質(神の体)とはイコール「時空」であり、時間と空間は相対的なものであることを論証されました。

相対的なものとは、「矛盾」を意味しているのです。

相対性理論だけならば、それは矛盾に過ぎませんので、宇宙とは相対的な存在でしかなくなります。

この物質の矛盾を統一している存在を神と言います。

神とは宇宙の大統一者である : 西田幾多郎

宇宙は神の心の表現体ですので、神の体は神の心によって永遠に統一されています。

統一と矛盾の関係は、統一即矛盾であり、双方は一実在の両方面です。

神の心とは、全ての矛盾を永遠に統一しておりますので絶対者なのです。

時間の相対性を統一し、空間の相対性を統一しているために絶対者なのです。

時間を超えているため永遠であり、空間を超えているため無限なのです。

永遠であり、無限であるため、神とは完全であり、絶対的な存在なのです。

宇宙とは相対的な存在ではなく、全ての矛盾が統一されておりますので宇宙とは絶対的な存在なのです。

人間はみなこの大宇宙と永遠に一体で生きており、神は宇宙や自然界を通して人間にその生き方を教えています。

神の心が統一であり、人間の心は矛盾です。

神の心と人間の心が合一し、統一即矛盾の宇宙の姿に戻れば、人間の存在は善となります。

神の心と人間の心が離れますと、人間は悪の存在になります。

過去・現在・未来の全人類に普遍妥当する善悪の普遍的な価値基準とは、如来界共通の悟りなのです。

菩薩以下になりますと、まだ物質に比喩した方便の善しか説けませんので、時間経過や空間の位置変化、あるいは立つ立場によってその善悪は変化していきます。

魔女裁判は数百年前は善であり、正義でしたが、現代で魔女裁判をすれば、それは単なる迷信であり、悪です。

時間が経過するだけで、かつて善だったものが悪になるのです。

菩薩の説く方便の善とは、物質に比喩した善ですので、その善悪は空間の位置や立つ立場でも変化していきます。

だから方便の善は、人類に普遍妥当する善悪の基準にはならないのです。

如来の悟りになりますと時間経過や空間の位置変化、あるいは立つ立場によってその善悪の基準は変化しません。

如来はみな神の心を悟っておられますので、その善悪の基準は不変なのです。

永遠不変の善悪の基準とは神の心なのです。

過去・現在・未来の全人類に普遍妥当する善悪の普遍的な価値基準とは、宇宙即我であり、天地一体であり、神人合一なのです。

大宇宙の存在が、人類にとっての変わらぬ善悪の基準です。

過去・現在・未来の全人類に普遍妥当し、永遠に変わらない善悪の基準は、目の前にあるのです。

何億年後であろうが、宇宙即我が善であり、宇宙と我との分離が悪なのです。

何億年後であろうが、天地一体が善であり、天地の分離が悪なのです。

何億年後であろうが、神人合一が善であり、神人分離が悪なのです。

善悪の基準とは、永遠に神の心になっており、これは不変なのです。

善悪の基準は変わらないということです。

時間経過でも、空間の位置変化でも、立つ立場でも変わることはありません。

いつの時代でも宇宙即我が善であり、宇宙と離れれば悪です。

いつの時代でも神人合一が善であり、神人分離が悪です。

いつの時代でも天地一体が善であり、天地の分離が悪です。

善は幸福を生み、悪は不幸を生みます。

善ならば天国に帰天して幸福となり、悪ならば地獄に堕ちて不幸になります。

宇宙は神の心の表現体ですので、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

この通りに生きられれば、眼前の大宇宙と我とが合一する宇宙即我の生き方となりますが、現代の文明はこれと真逆の文明を創っているのです。

相対的な物質(神の体)の属性とは、相対的な利益であり、相対的な快楽です。

今の文明は、神が永遠に「地」と定めている相対的な利益や快楽を「天」に置き、眼前の大宇宙と分離してしまっているのです。

宇宙と分離しているということは、悪の文明になっているということです。

これが60%もの人達が地獄に堕ちている原因の一つです。

現代では6割もの人が地獄に堕ちていると言っていたのは、何も高橋信次氏だけではなく、あの世の日蓮も同じことを言っていたのです。

平均的な割合でいくと、たとえば、百人の人が死ねば、今では、六十人、六十人から六十何人くらいは地獄へ堕ちる。

そのくらいの割合で、非常に高くなっているのです。

半分以上の人間が、地獄へ堕ちています。

それは、唯物的な世の中になってきているからだと言えます。

ソース : 日蓮聖人霊示集 第4章 夫婦問題の悩み

神の体を「天」に置き、神の心を「地」に置いてしまっているからです。

相対的な富を「天」に置いた資本主義に新自由主義、相対的な利益を「天」に置いた民主主義、相対的な物質を「天」に置いた社会主義、悉く神が永遠に「地」に置いておられるものを、今の人類は「天」に置いてしまっているのです。

相対的な物質とは、矛盾を意味しておりますので、矛盾を「天」に置いた文明とは「パンドラの箱」を開いているのと同じですから、その「天」に置いた矛盾から無限に悪が現象化してくるのです。

「天」に置いている限り、有限ではありません。

無限に悪が現象化してくるのです。

豪雨のように悪が降り注いできますので、一人、また一人と倒れていくのです。

そして6割の人が地獄に堕ちていく。

未熟な方にとっては非常に残酷な世界になっていると思う。

人類各人の未熟だけではなく、政治や経済の制度自体がそうなっておりますので、地上天国を創るには、この世界の構造と仕組みを根源から変えていかなければならないのです。

神の体を「天」に置き、神の心を「地」に置いた文明のポールシフトが必要なのです。

神が大宇宙で永遠に為しておられるように、正しき神の心を「天」に置き、相対的な現象利益を「地」に置くポールシフトです。

神の体と神の心の天地の逆転です。

この宇宙では神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

神の心を変更したり、変えたりすることは誰にもできないのです。

正しいのは神の心を永遠に「天」に置いておられる大宇宙の方であって、神の体を「天」に置いている我々の文明の方ではありません。

神の心を変えることは不可能なわけですから、間違っている方が正さなければならない。

今の文明は神の体を「天」に置き、神の心を「地」に置いているため、天地が分離してしまっているのです。

天地の分離は、不幸の原理ですので、これでは人類の幸福化は不可能です。

大宇宙と同様、神の心を「天」に置き、神の体を「地」に置く文明建設が次世代の文明です。

神の体を「天」に置いた文明では、人間はその心の物差しを相対的な「利益と快楽」に置きますが、神の心を「天」に置いた文明では、人間はその心の物差しを統一的な「神の正しさ」に置くのです。

相対的な自我のままに生きれば、同じく相対的な物質(神の体)の方面と心が同通し、物質の属性を有した思想と行動を取るため、自動的に人類は不幸に堕ちていくのです。

統一的な神我、あるいは良心を強化すれば、同じく統一的な神の心の方面と心が同通し、神の心の属性を有した思想と行動を取るため、自動的に人類は幸福になっていくのです。

人間は大宇宙と永遠に一体で生きておりますので、相対的な自我を強化すれば、必ず相対的な神の体の方面と同通し、統一的な神我を強化すれば、必ず統一的な神の心の方面と同通します。

人間の心は誰であろうが、神の心か神の体と必ず同通するのです。

宇宙と同通するのは、宇宙と人類は永遠に一体で生きているからです。

この大宇宙に生きている限り、この神の人類支配から逃れることのできる人間は存在しません。

過去・現在・未来における神の人類支配の方法を知らなければ、人類は幸福にはなれないのです。

教祖が相対的な自我を強化したため、同じく相対的な物質の方面と心が同通し、今の文明と同様、神の体を「天」に置いてしまい、周りが不幸だらけとなり、不幸を客観的に再現し、不幸を科学した教団があったはずです。

科学の本質とは、その客観性と再現性です。

神の体を「天」に置けば、不幸が再現されるという教訓を残したのです。

ならば人類が幸福を実現していくには、神の心を「天」に置き、心の物差しを「神の正しさ」に置き、自己の神我か良心を強化し、神の心と同通していく以外に選択肢はありません。

何にしろ神への信仰を失った人間は、その相対的な自我のままに生きておりますので、同じく相対的な神の体(物質)の方面と心が同通しています。

心の物差しは「利益と快楽」に置かれ、矛盾を心の物差しに置くようになるのです。

それで教義も矛盾だらけになってしまった教祖もいました。

その矛盾によって教祖も人類も不幸になるのです。

統一を信ずれば、人類は幸福となり、矛盾を信ずれば、人類は不幸になるのです。

利益と快楽という矛盾を信じたため、6割もの人間が地獄に堕ち、不幸になっているはずです。

相対的な自我を強めても、神の体(物質)に支配されたくないと、いくら喚いても無駄であり、必ず支配されます。

そして利益と快楽という矛盾を追うのです。

大救世主でさえそうだったわけですから、宇宙の支配は絶対なのです。

大救世主でさえ相対的な自我を強化すれば、同じく相対的な神の体と同通し、神に支配されるのです。

これを人類に対する「宇宙の優位」と言うのです。

大宇宙、すなわち神は永遠に人類に対して優位しているということです。

統一的な神我を強化すれば、同じく統一的な神の心と同通し、善霊とも同通していくのです。

良心を強化しても、神の心と同通したくないと、いくら泣き叫んでも無駄であり、「宇宙の優位」から、必ず神の心と同通します。

そして神の体に支配されれば、人類は自動的に不幸になり、神の心に支配されれば、人類は自動的に幸福になるのです。

神への信仰を通して神の心を「天」に置き、神の心と人間の心が同通すれば、そこに幸福が客観的に再現されるということです。

これが幸福を科学するということです。

良いお年を。

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