信仰の本義 1
Report No.227神への信仰と言いますと、自分の心と離れた存在を信ずることが多いわけですが、それは本来の信仰の在り方とは違います。ある意味、諸神…
Report No.227神への信仰と言いますと、自分の心と離れた存在を信ずることが多いわけですが、それは本来の信仰の在り方とは違います。ある意味、諸神…
Report No.226神への信仰とは、至極当然の話ですが、神の心を信ずることです。方便の神を信ずることではありません。昔の宗教は、昔の事情があ…
Report No.225仏教の見性は、大体終わりましたのでキリスト教に入ります。今まで「主の祈り」の方便性、物質にすり替えられた平等観、「裁くな」、「…
Report No.224仏教の本質である「悟りと反省」は、神への信仰によって完成を見ます。神の心を悟るこを「悟り」と言い、神の心に照らして反省すること…
Report No.223カルト宗教の定義とは、神への信仰がないのに信仰を語る宗教です。もう、これに尽きています。神への信仰がないとは、その教祖自身…
Report No.222全ての善の源とは、神の心であり、全ての悪の源とは、神の体です。全ての悪の源である神の体(大宇宙・物質)は、全ての善の源である神…
Report No.221仏教の本質は「悟りと反省」ですが、その「悟りと反省」の本質こそが神の心です。仏の心を悟り、仏の心に照らして反省し、神の心を悟り…
Report No.220仏教の本質とは「悟りと反省」です。「悟り」とは、自己の本質を知り、神の心を悟ることを言います。「反省」とは、神の心に照らし…
Report No.219大体、今までの古い仏教の概要は見性したと思います。埃とチリである四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)に見られる人生を苦とみる人生観、…
Report No.218六波羅蜜の修行は、菩薩から如来へと至る登竜門の教えと言われてきましたが、実際六波羅蜜の修行で如来の悟りを得ることはできません。…