真理関係

宗教 Ⅸ

「宗教」という題で言えば、高橋信次氏の「GLA」と大川隆法氏の「幸福の科学」は無視できないわけであり、双方10次元宇宙界出身の大如来です。

本人は否定しておりましたが、大川さんは高橋信次氏の「法の後継者」であり、GLAの法を発展完成させることが使命でした。

幸福の科学の使命は、主に3つあり、一つは「救世の法の完成と成就」であり、二つには「宗教改革」であり、3つ目は「新たな文明理念の提示」でした。

今回の「救世の法」に最も近いのは、GLAの教えであり、輪廻転生の法則、多次元世界の全貌、そして釈尊の「反省法」を発展完成させました。

幸福の科学も基本的にGLAの教義を継いでおりますが、大川さんの方は「正しき心の探究」による「悟り」の発展完成にウェートが置かれていました。

GLAの「反省」と幸福の科学の「悟り」、この「反省と悟り」によって仏陀意識の法は完成を見たはずなのです。

ところが幸福の科学は、1994年5月に高橋信次氏を追放してしまいましたので、GLAが完成させた「反省法」が法に入っておらず、理解もしていないため、「反省と悟り」のうち「反省法」が抜け落ちてしまい、魂の片割れを失ってしまったかのような法になっています。

愛・知・反省・発展の四正道に「反省」が入っておりますが、これは高橋信次氏が完成させた「反省法」ではありません。

何か象徴的ですが、高橋信次氏を追放した1994年に『救世の3部作』も書き換え、「エルカンへの道」、「エルカンの歴史観」、「エルカンの世界観」という副題をつけることによって『救世の3部作』を矛盾したものに変えてしまったのです。

初版本には副題はついていなかったのです。

神は「統一」に導きますが、悪魔は「矛盾」に導きます。

副題をつけることによって、人間と宇宙の存在意義の合理性を失ってしまったのです。

生き神信仰の悪い点であり、神我即自我の「紙一重」で自我にすり替え、神の心を知る道からエルカンの心を知る道へとすり替えてしまったのです。

統一から矛盾にすり替えたということです。

『救世の3部作』は潜在意識の釈尊による自動書記で書かされていたようですが、それを書き換えたということは大川さんの表面意識は、『救世の3部作』の「重い意味」を理解していなかったことになります。

「あの、真理をお伺いにきたのですが・・」

「ああ、それね、真理はあちらの潜在意識の窓口だから、ここは表面意識の窓口であり、利益と快楽が担当だから、真理担当じゃないから。

うちに不利益と不快を与えたら、首、左遷、追放、破門、粛清、恫喝訴訟、集団デモで殴り込むから。

利益には『身を乗り出し』、快楽には『飛びつく』ところだから。

うちに不利益と不快を与えた者は、みな悪魔であり、無間地獄だから。

真理の話なら、あちらの潜在意識の窓口に行って下さい、あそこが真理担当だから。

人間以上の真理なら、いくらでも言うから。

うちは表面意識の窓口だから、利益と快楽が担当だから。」

「でも、信仰や悟り、努力やその継続性が大切だって・・・」

「・・努力や継続性?

プーーっ、あーっははははっ、た、た、た、高々、80年しか生きない人間の努力や継続性なんて。

あーははははっ、は、は、80年で悟れる、さ、さ、悟りなど決まっているでしょうに、はははっ、ああ、おかしい。

そんなことするより、潜在意識を使った方が早いから。

ここは人間以上の善をいくらでも言うから。

真理の話なら潜在意識の窓口に行って。

ここは利益と快楽担当だから。」

「・・・・・・」

「まあ、信仰や悟り、努力や継続性も適当に言うけど、言わなければ信者が怒っちゃうからね。

それっぽいこと言わないと騙せないから。

あ、つい本音が出ちゃった、今のは聞かんといて。

とにかく真理担当は、あちらの潜在意識の窓口だから」

・・って、どこの市役所だよ。

おかしな市役所みたいなことをするから、その頼みの綱の潜在意識も使えなくなる。

利益になることしか努力せず、利益にならない真理の努力をしてこなかったから、幼稚な表面意識だけで勝負しなければならなくなったのです。

龍や象の張りぼての上に得意げに乗ったり、コスプレに凝ったり、ぐるぐる回転菩薩をしたり、エルカン・ファイトを叫んだり、みずからの顔に似せた銅像を売ったり、大きな写真を拝ませたり、潜在意識を活用した高度な霊言と表面意識の幼児性の著しいギャップはこれが原因でしょう。

このギャップに混乱した人も多いでしょうね。

幼児性は表面意識で真理を悟る努力をしてこなかった証明です。

神の心は最も公平ですから、努力すれば、した分だけの悟りと成熟を得られるのです。

逆から言えば、努力しなければ、神の心から遠ざかるために人格性が幼児化してくるのです。

少し唖然としますが、よほど真理への努力を怠ってきたということです。

確かに潜在意識を使えば、地上人間以上の真理をいくらでも言えます。

私の守護霊一つとっても、私より高い真理をいくらでも言います。

人間を超えた超人になれます。

超人思想ってヒトラーかよ。

ただ二つ問題点があり、一つは地上人間の80年の努力を初めからあざ笑っており、軽んじることによって人間の存在意義を、ある意味「否定」している点です。

二点目はその未熟な人間が、未熟なりに努力して神の心を悟らんとする、その「けなげ」な人間のために、神は大宇宙という修行場まで創ってくれているという宇宙の存在意義と神の意志を軽んじている点です。

もし表面意識で自己の利益になることだけを努力し、真理は潜在意識に任せ、真理の世界において努力せずに最も偉大な存在になるという、このやり方が正しいというならば、地上人間は今後誰も真理を悟る努力をしなくなるでしょう。

天上界から生まれてくる限り、みなある程度悟っているわけです。

このやり方を神が「良し」とするならば、この世の人間は苦労して真理を悟る努力をしなくなります。

神はこのやり方を「良し」とはしていないように見えます。

平凡なサラリーマンが、会社帰りにふらっと東京ドームに立ち寄って、講演をしていたかのような印象が拭えませんでしたが、あれは表面意識から来る印象でしょう。

潜在意識を使っていた頃は、確かに凄い人でした。

仏教の本質が「反省」というのも昔から多少違和感があったわけですが、というのは生まれてくる時、人は今度は必ず反省するぞと思って生まれてくる人はいないからです。

今度は必ず神の心を悟り、真正の自己を悟ってくるぞと思って生まれてくるのです。

反省法が出てきたのは、反省を通して表面意識の埃とチリを祓い、その奥の潜在意識に存在する人間を超えた巨大な力を使用することが目的だったのではないか。

潜在意識頼みの他力信仰です。

だからあれだけ霊言に拘っていた。

今回それを究極レベルでやろうとした。

自分の潜在意識だけではなく、潜在意識に存在する他の神霊まで全て巻き込もうとした。

どう見ても神我即自我の自我に偏ったやり方であり、宇宙の理法とは思えない。

これが目立っていたのです。

神の造られた幸福即快楽の世界において「紙一重」で快楽にすり替え、神我即自我の世界において「紙一重」で自我にすり替え、統一即矛盾の世界において「紙一重」で矛盾にすり替え、真理即現象利益の世界において「紙一重」で現象利益にすり替え、原因即結果の世界において「紙一重」で結果にすり替え、「数字しか見ない、結果しか見ない、言い訳は許さない」といったすり替えが多過ぎました。

これは実相即現象の世界において「紙一重」で現象にすり替えていた五井昌久と変わりません。

これは明らかに悟りの不足と未熟を示しているものです。

『救世の3部作』まで矛盾したものに変えてしまったわけですが、幸福の科学は大川隆法絶対主義の教団ですので、誰も修正できないのです。

金口直説の仏陀の言葉ですので、お弟子さんは誰も仏陀の法の足らざる部分を加筆したり、不適切な部分を削除したり、あるいは適切な法に修正することができないのです。

お弟子さんでは手を加えることができないわけです。

従って教義はそのままにしておくしかありませんが、矛盾は物質の属性ですので、宇宙の理法の下では現象無常で流れ去っていきます。

また矛盾を人に信じさせることは危険なのです。

悪魔は必ずこの矛盾を突いてくるからです。

第一段階の法は、確かに下りましたが、第二段階、第三段階と続きませんでした。

釈尊が本体を出してきた限り、かなり大きな法を計画されていたはずですが、大川さんが死んでしまいましたので、結局分からずじまいで終わっています。

全人類幸福化運動を掲げておりましたが、全人類の幸福とはイコール「神の心」であるにも拘らず、生き神信仰に走ってしまったのです。

幸福を「利益と快楽」にすり替えていました。

利益や快楽を増やすことを「幸福」とすり替えていたのです。

幸福と快楽は似て非なるものである : 西田幾多郎

全人類幸福化運動とは、神への信仰の運動です。

その神の心とは「正しき心」であり、その正しき心によってあの世とこの世が貫くのです。

正しき心の探究とは、神の心の探究であり、エルカンの心の探究ではありません。

全ての矛盾を統一している心の探究です。

大魔王と大如来の矛盾、天国と地獄の矛盾、自分と他人の矛盾、人類80億人の個性の矛盾を全て統一している心を神の正しき心と言います。

悪さをやめませんけれども、大魔王の心の本質にも神の心はあり、大如来の心の本質にも全く同じ神の心があるのです。

この神の心を見性して大魔王即大如来の悟りが密教では残っているのです。

自分と他人の矛盾も神の心が統一しています。

自分の心の中心にも神の心はあり、他人の心の中心にも同じ神の心があるのです。

自分と他人の絶対矛盾は、ただ神の心によって永遠に統一されています。

神の存在を否定すれば、自他一体とは言えなくなるのです。

神の存在があるゆえに自他一体なのです。

神の心に自分と他人の矛盾はなく、大魔王と大如来の矛盾もなく、天国と地獄の矛盾もありません。

人類80億人の個性の矛盾もないのです。

従ってこの正しき心を探究し、理解し、悟っていけば、天国と地獄の矛盾はいずれ解消に向かいます。

悟りと反省を通して地獄界が消滅していくために天国と地獄の矛盾は解消していくのです。

幸福の科学がこの「正しき心の探究」を掲げたことは、宗教の世界では画期的なことでした。

通常、宗教では、例えばキリスト教徒はイエスの言葉の外に出ることができないのです。

他の宗教も同じですが、みずから神の心を探究しようとしないのです。

ただ聖書や聖典を丸暗記しようとするのです。

そして訓詁学のようにその言葉の世界に閉じ込められ、その言葉の檻から出ようとせず、みずから神の心を探究しようとしないのが宗教団体の通弊です。

幸福の科学はこの通弊の殻を破り、歴史の全過程を通して、この神の正しき心を探究せよと説いたのです。

エマソンが残しておりますように、釈尊であろうが、イエスであろうが、人間を通して出てくる真理は全て神の近似値に過ぎないからです。

だからヘーゲルという哲学者も神の心を歴史の究極目的としたのです。

人間がそれを認めようが、認めまいが、お構いなく人類は歴史を通してこの神の心に向かっていると言う事実をヘーゲルは「理性の狡知」を通して見抜いたのです。

「歴史とは神の世界計画である」というヘーゲルの言葉は「ダテ」ではなく、事実そのものです。

完全なる神の心とは、人間精神の本質ですが、これは高々80年の人生では悟れないのです。

だから幸福の科学は「正しき心の探究」を掲げたのです。

そして正しき心は、正しき心と同通しますので、その正しき心を「永遠の本音」にしている諸神霊の波長と同通していくのです。

「正しき心」が、あの世とこの世を貫くのは、あの世の善霊の「永遠の本音」が、その「正しき心」に在るからです。

この世の人間が、利益と快楽(神の体)を本音にしますと、波長同通の法則上、神の心を「永遠の本音」にしている諸神霊と同通しなくなるのです。

すると霊言も出せなくなり、悟りも低下を続けます。

あの世とこの世が貫くとは、潜在意識と表面意識が貫くということです。

永遠の世界と貫くわけですから、永遠即我となります。

個々人の潜在意識には「あの世」、すなわち多次元世界が展開しておりますので、あの世とこの世が貫くとは、多次元世界とこの世の人間の心が貫くということです。

神の正しさによって統一されている天国とこの世の人間の心が同通するということです。

あの世とこの世を貫く幸福とは、天国即我の悟りです。

すなわちこれが地上天国なのです。

その真の天国がGLA以降、多次元世界として説かれてきたのです。

神の心と合一して地獄に堕ちる人は一人も存在しません。

地獄に堕ちれば不幸です。

神の心と自己の心が合一して一人も地獄に堕ちることがないとは、一人も不幸になる人がいなくなるということです。

すなわちこれが釈尊の説かれた全人類幸福化運動なのです。

全人類幸福化運動の要諦とは、神の心と人間の心が合一する神人合一にあるのです。

かく最深の宗教は神人同体の上に成立する。

人生の意義とはこれを獲得するにある : 西田幾多郎

神の心との合一とは、具体的に言えば、多次元世界の各次元世界と自己の心との同通を言うのです。

5次元精霊界から10次元宇宙界までならば、どこの次元世界でもいいのです。

5次元精霊界でも6次元霊界でもいいのです。

ここも神が「良し」とした立派な天国です。

悟りを上げることよりも重要なことは、とにかく地獄に堕ちないことなのです。

60%もの人達が地獄に堕ちているということは、5次元精霊界や6次元霊界とも同通できなくなっている人が多いことを意味します。

そのために説かれた法が大川さんの「愛の発展段階説」であり、多次元世界の各次元世界との同通なのです。

具体的に言えば、これが神の心との合一であり、天国との合一です。

この世の人間の心が「正しき心」によって、あの世とこの世を貫く心となり、天国と同通すれば、天国即我となり、ここに地上天国が顕現します。

一人も地獄に堕ちることなき地上天国とは、このメカニズムによって建設されるのです。

そしてこれが釈尊の掲げられた全人類幸福化運動の正体です。

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