真理関係

幸福の科学の二つの使命

大川さんが死亡して既にひと月以上経つわけですが、未だ教団からの正式な発表はありません。

一体、どうなっているのか分かりませんが、教団の対応が異常です。

大川さんが死んでしまったということは、既に神の心を説ける可能性のある者が幸福の科学には存在していないことを意味します。

GLAのように開祖が教義の体系をきっちりと残しているならば、後の者が中興の祖で継いでいくことができるわけですが、幸福の科学の方は、教義が矛盾だらけとなり、滅茶苦茶になってしまいましたので継ごうにも継げないのです。

諸如来諸菩薩がかかって妖怪・お多福はねぇだろ。

ちょっと頭おかしくね?

光の天使がかかってバルタン星人の霊言はねぇだろ。

妖怪・お多福を2000年も残してどうする。

「ウ、ウ、ウンモ星からやってきました」

もう、無茶苦茶。

さっさとウンモ星に帰れ。

神の心を説くことのできない宗教団体が活動すれば、それは宗教活動ではなく、詐欺になります。

諸神霊が多くの宗教家が詐欺罪を犯していると言っていたのは、神の心を悟りもせず、説けもしないのに神の御名を語って活動しているからです。

神の御名を語り、神への信仰を説きながら、もしそれが神の心でなかった場合、宗教家は強制的に命をかけさせられるのです。

この点が単なる思想家や哲学者と決定的に異なる点なのです。

だから十戒にも神の名をみだりに唱えるなとあるのです。

神の御名を安易に語る宗教家が後を絶たないために、そういった者への愛情から残っている戒律です。

世の宗教家のみなさんはこの点がよく分かっておられないようですが、神への信仰を説き、もしそれが神の心ではなかった場合、本人とその構成員が強制的に命をかけさせられるのです。

神の造られた正しき世界において神の心だと言いながら、そうではない心を人さまに信じさせ、詐欺を行ってしまったからです。

神々の前で言い訳や屁理屈は一切通用しないのです。

神への畏れを知らないということでしょうが、神の心を悟っていないのならば、安易に神の名を語ってはならず、自己の思想を説いているといった方が無難です。

神の心を説けない宗教団体は、全てそうですが、即刻解散するべきなのです。

それが本人らのためであり、非常に危険な行為なのです。

大川さんの遺産がどうのとどうでもいいことをガタガタ言っておりますが、命に関わることです。

一体、神の心を何だと思っているのか知りませんが、一旦神の心だと言いながら、もしそうではなかった場合、その本人が命で責任を取るしかないのです。

諸神霊が、多くの宗教家が地獄に堕ちており、天上界に帰天できた宗教家は数えるほどしかいないと述べていたのは、これが理由です。

出口王仁三郎はあの世で96%の教祖は、大悪魔・中悪魔・小悪魔のいずれかにやられていると言っておりましたが、換言すれば96%の宗教家は死後地獄に堕ちてしまうということです。

まあ、宗教が、新興宗教百個あれば、そうじゃのう、そういう悪魔、大悪魔、中悪魔、小悪魔、いっぱいおるけれども、何かにやられておるというのは、百個あれば、まあ、九十六ぐらい、やられておるのう。

まあ、ほとんどそういうこっちゃ。

だから、現在にはまともなところがないっちゅうのは、あたっとるわけじゃ。

百あれば九十六ぐらいはやられとる。

間違いない。

それで、普通であっても、ときどきやられておるところもいっぱいある。

ときどきやられておるときに、まあ虫歯と一緒じゃのう、ちょっと痛みかけたときに治しとかんと、歯を抜かにゃあいかんことになるわけじゃ。

ボコッとのう、歯を丸ごとやられてしもうて、抜かにゃあいかん。

こういうふうに、普通のところであっても、チョコチョコと、そんなふうにやられているうちに、そのうち、ザクッとやられてしまうことがある。

そういうこっちゃのう。

ソース : 出口王仁三郎霊示集

これは何も出口王仁三郎だけが言っていたのではなく、他の複数の神霊も同じことを言っていたのです。

まさに触らぬ神に祟りなしです。

幸福の科学の場合、解散しても、しなくても、もはや結論は同じでしょうが、最後まで利益と快楽が悪であると悟れなかった教団です。

世界はこの利益と快楽で腐敗したのです。

初期から藁人形がどうの、呪いがどうのと最後まで新義真言宗・呪いの覚鑁に蹂躙されていました。

たかが1000年程度しか地獄にいない悪魔にやられてしまったわけですが、生前の高橋信次氏の時もこの覚鑁は色々と当時のGLAにちょっかいを出していたようですが、さすがに高橋信次氏がやられることはありませんでした。

富山誠は大川さんの実の兄ですが、富山誠も覚鑁に殺されてしまいましたが、大川さんも同じならば、兄弟揃って同じ悪魔に殺されたことになります。

しかして悪魔のせいにするわけにもいかないのです。

悪魔を呼び込むには呼び込むだけの本人の心の汚れが、その悪魔を呼び込んでしまったわけですから、結局は本人のせいになるのです。

頭の中で「あいつを殺せ!」という悪霊の声が聞こえ、その通り殺したとしても、それを悪霊のせいにするわけにはいかないのと同じです。

本人の汚れた心が悪霊を呼び込み、波長同通の法則によって同通してしまったわけですから、本人の責任になるのです。

ルシフェルや覚鑁に狙われていることは最初期から分かっていたはずです。

日蓮も真理の使徒というのは、職業戦士であり、悪魔との戦いは避けられないと警告していました。

にも拘らず不用意にも宗教ビジネスに走り、利益を「天」に置いて様々に間違ったことをしてしまったのです。

もう、修正はできないでしょう。

エルカン信仰などという間違った人格神への信仰を30年以上も説き、大救世主ともあろうお方が何の使命も果たさずに死んでしまったわけですが、通常光の天使はきちんと使命を果たした後に死ぬものです。

何の使命も果たさずに死んだ光の天使は誠に珍しいです。

幸福の科学の使命は主に2つありました。

一つは「救世の法の完成」であり、二つ目は「宗教改革」です。

この二つとも成就せずに死んだのです。

「救世の法」は矛盾だらけとなり、「宗教改革」もできませんでした。

でもこれは誰かが必ずやらなければならないことなのです。

次世代の文明は、神の心を中心に神の心が「天」に置かれた文明になるからです。

従って神の心を主張している宗教の世界での改革は必須なのです。

そのための「法の編纂」であり、「救世の法」だったのです。

その「救世の法」が崩壊してしまったわけですから宗教改革などできるものではありません。

エルカン信仰などを説いて生き神信仰に耽った挙句、「救世の法」を破壊してしまいました。

次世代の文明はエルカンを中心に置いた文明ではなく、神の心を中心に置いた文明になるのです。

それ以外に地球を惑星単位で救う道はないからです。

地球の救い方をそもそも知らないからエルカン信仰を説き、民主主義を擁護していたのです。

民主主義の本質とは、人民共通の利益に基づいた国家契約であり、相対的な利益を「天」に置いた政治体制なのです。

神の体を「天」に置いておりますので宗教的には偶像崇拝体制です。

放っておけば、時間と共にいくらでも腐敗していきます。

この民主主義は物質の属性に満ち満ちているからです。

人民共通の「利益」、自由と平等の「矛盾」、質ではなく、大衆の「量」で決める多数決、この「利益」、「矛盾」、「量性」は、全て神の心の属性ではなく、物質の属性なのです。

この体制では地球ユートピアはできません。

物質を拝んでいるからです。

神が永遠に「地」と定めている相対的な神の体(利益・国益・自我)を「天」に置いておりますので、いくらでもどこかの教団のように「地」をめがけて落下していきます。

神が「地」と定めているものを「天」に置いているため、神の心からどんどん遠ざかっていくことになる。

だから世界的規模の腐敗を招いているのです。

この民主主義を擁護するというのは、全体の法の探究を怠ってきたとしか思えません。

そのような認識では救世主としての使命は、到底果たせないはずです。

宇宙の構造と仕組みを真面目に探究していれば、宇宙は神の心の表現体ですのでこの大宇宙では永遠に神の心が「天」に置かれている事実が分かったはずです。

現代の文明は、神の体を「天」に置いて神の心と切られている文明なのです。

神は大宇宙を通して人類に神の心を「天」に置けと永遠に教えているわけですが、現代人は神の体を「天」に置いているのです。

実に傲慢な文明ですが、神への傲慢とは相対的なものを絶対化し、神が永遠に「地」と定めているものを「天」に置くことです。

神の体を「天」に置いている偶像崇拝と傲慢によって世界は腐敗したのです。

神の心から遠ざかっている文明ですから、宇宙即我の文明ではなく、大宇宙と文明が分離しているということです。

天地の分離は、不幸の原理ですので人類の選択通り不幸になっている。

放っておけば、このまま腐っていくでしょう。

人類全体を不幸にしている相対的な富を「天」に置いた資本主義、相対的な利益を「天」に置いた民主主義、相対的な物質を「天」に置いた社会主義と悉く神の体を「天」に置いているのです。

腐らないはずがない。

それを大救世主が擁護しとったから。

地球の救い方を知らなかった大救世主です。

地球を惑星単位で救う法、惑星単位で幸福にする法を知っていれば、生き神信仰などできないのです。

知らないからできるのです。

それを惑星単位というならば、道はたった一つしかないのです。

そのたった一つの道に到達できなかった大救世主ならば、では俺は超ビッグウルトラスーパー大救世主か?

ぎょうさんついたぞ、色々と。

もっとつけたろか。

現代は神の体を中心に神の体(物質)が「天」に置かれている間違った文明です。

神の体が「天」に置かれているということは、物質を絶対化しているということです。

物質とはイコール時空であり、時間と空間は相対的なものである事実はアインシュタイン博士の相対性理論以降分かっているはずなのですが、人類はこれを「天」に置いて絶対化しているのです。

相対的なものを絶対化しているのです。

相対的なものを相対化し、絶対的なものを絶対化できれば、それが宇宙即我です。

主観と客観の合一、思惟と対象の一致、思惟するものと思惟せられるものとの一致です。

神の体が「天」に置かれている文明とは、神の心が永遠に「天」に置かれている眼前の大宇宙と分離している文明であるということです。

大宇宙とは神そのものですから大宇宙と離れた文明とは神と離れている文明ということです。

エデンの楽園追放と同じです。

神と離れている、すなわち迷子。

犬のおまわりさん、呼んだろか。

大声で。

女子供のざれ言ばっかり言わせやがって。

神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

神の体を「天」に置いているということは、神の心から遠ざかっているということであり、いくら人類の側がそれを「天」であると主張しようとも、それは神が「地」と定めているものですから、神の偉力によって「地」に向かうことになり、それが眼前の腐敗としてあらわれています。

人類の側が正当な神への信仰に覚醒せずして人類の救済も幸福もないということです。

眼前の大宇宙では永遠に神の心が「天」に置かれているからです。

ならば人類自身が神の心を「天」に置く信仰に覚醒しませんと眼前の大宇宙、すなわち神ご自身と融合し得ないのです。

神(幸福)と融合し得ないとは、人類は幸福にはなれないということです。

逆から言えば、人類が神への信仰を通して大宇宙と融合することができれば、そこに人類の幸福が実現していくということです。

次世代の文明とは、大宇宙と融合した宇宙即我の文明です。

いずれにしろ大宇宙において神ご自身が神の心を永遠に「天」に置いている限り、諸神霊でもその心を変えることはできませんので、人類自身が神への信仰に覚醒するまで人類自身の幸福はないということです。

神への信仰なき者は、必ず自我のままに生きているのです。

自我とはその知識・思考・概念・認識・情操、全て相対的(矛盾)な性質しか有していないのです。

この相対的な自我のままに生きれば、波長同通の法則の作用によって必ず相対的な神の体(物質)の方面の支配を受け、物質の属性(矛盾)のままに生き、悪が無制限に現象化してきますので人類の幸福はなくなってしまうということです。

自我のままに生きて神の体の方面に支配されるのは、大宇宙と人類、神と人類は永遠に一体で生きているからです。

過去・現在・未来のどの時代の人類であろうが、この神の支配から逃れることはできません。

相対的な自我を強化すれば、否応なく相対的な神の体の方面に支配され、統一的な神我を強化すれば、否応なく統一的な神の心の方面の支配を受けます。

神の心と神の体、すなわち大宇宙の支配を受けるのです。

大宇宙が神だからであり、人類はこの大宇宙と永遠に一体で生きているからです。

何ぴとも逃れることはできないのです。

そして神の体に人類が支配されれば「地」に向かって腐り果て、神の心に人類が支配されれば「天」に向かって良化していきます。

人類がどちらの方向に向かわなければならないのかは明らかです。

人類幸福化運動の原点とは、神への信仰なのです。

この原点の部分をエルカン信仰という人格神にすり替えてしまったのが幸福の科学です。

この時点で人類の救済と人類の幸福はなくなったのです。

この多様な人格神を統一している存在とは、神の存在だけなのです。

アラーの本質にも神の心はあり、イエスの本質にも同一の神の心があります。

アラーとイエスの絶対矛盾は、この神の心によってのみ統一止揚されています。

密教の悟りである大魔王即大如来です。

大魔王の本質にも神の心はあり、大如来の本質にも同じ神の心があります。

大魔王と大如来の絶対矛盾は、神の心によってのみ永遠に統一されているのです。

神とは宇宙の大統一者である : 西田幾多郎

6次元霊界人の本質にも神の心はあり、10次元宇宙界の神霊の本質にも全く同じ神の心があるのです。

6次元と10次元の絶対矛盾は永遠に神の心によって統一されています。

多次元世界とは「一即多、多即一」の世界であり、平等即差別、平等即公平な世界です。

この最も重要な神への信仰の部分をエルカンという人格神にすり替えてしまったがゆえに「矛盾」から発した法体系となり、宗教改革もできなくなったのです。

宗教改革の本質とは、要は人類自身に神の存在を正確に認識させるという、もうこれに尽きています。

この正確に認識させなければならない神の存在を再び誤解させてしまったのです。

エルカン信仰では、宗教改革にならないのは、神の正確な姿を誤解させているからです。

現代では誤った信仰と言えます。

まず眼前の大宇宙の存在が神である事実を知らなければならない。

大宇宙が神そのものであるゆえに、過去・現在・未来の人類は一人残らず、その相対的な自我を強化すれば、同じく相対的な神の体の方面に支配され、統一的な良心、あるいは神我を強化すれば、同じく統一的な神の心の方面の支配を受けるのです。

誰も神の聖なる支配から逃れることはできないのです。

今回はこの大宇宙という真の神の絶対的権威の確立です。

幸福の科学は、もう終わりでしょうから、誰かがこの二つの使命、「救世の法の完成と成就」、並びに「宗教改革」を実行しなければならず、この大宇宙の権威を確立すれば、今回の救世運動は一応終わりということです。

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