日本は仏教と神道の影響が強い国ですから、イエスが再臨しても大した影響はありませんでした。
日本はキリスト教系のすべての宗派、例えばカトリックやプロテスタント、あるいは新興宗教等、すべてのキリスト教徒を集めても、その信者数は決して日本では「100万人」を超えないのです。
大川さんが世界の盟主として日本を選んだために、200年前から3段階に渡って多くの光の天使が生まれ、G7に入るほど経済的にも発展し、イエスもまた日本で再臨したわけですが、イエスが再臨してもそれほどの影響はなかった。
これが例えば欧米で再臨しますと、大変な影響を与えたでしょうね。
実名を明かして書物を2冊、あの世から啓示として出版しているわけですから、言い逃れもできない。
欧米では大きく広がる前に大川さんが慢心してしまったために知らないのも無理はありませんが、イエスの再臨は物的証拠として残っているわけです。
西洋のホワイト・イーグルやインペレーター、あるいはシルバーバーチみたいに実名を明かさず、内容で勝負する形で出していれば、それほど問題にはならなかったのでしょうが、今回はみな実名を明かして啓示を降ろしている。
ゼウス神やニュートン氏なども、明らかに全人類へのメッセージとして最高霊域から啓示を降ろしていたわけです。
ゼウス神も、4千年の静寂(しじま)を破りてではっきりと第一声で言っていました。
「我は全智全能の主ゼウスなり。
地上の者どもよ、今この機会に我が声を聞きしことを、大いに喜べ。
我、いまだかつて、このようなかたちで地上の者どもに霊示を送ったことはない。
思うに、現代の文化・文明というものも、すべて起源はギリシャにあったであろう。
哲学も思想も神学も芸術も、すべてギリシャにあったであろう。
このギリシャの力を現在にいたるまで創ってきたは、このゼウスだ。
そのギリシャに、光の柱を打ち立てしは我。
我存在するところ、すべて世界の中心となり、我存在するところ、すべて文化の中心となり、我存在するところ、すべて宗教の中心となる。
おまえたち地上の人間よ、よくよく我が言葉を聞くがよい。
おまえたちは、大部分は日本人であろうが、また我が言葉を他の国にて読む者もあるであろう。
おまえたちに言っておく。
おまえたちは、たいへんなまちがいを犯していると。
神を信じなくなったとき、人類はそもそも存在を許されないのだ。
おまえたちは、神を信じなくなって久しい。
にもかかわらず、おまえたちの存在が許され、繁栄が許されるということは、いかなるわけか知っているか。
それは、おまえたちが、かならずやゼウスの雷(いかずち)に打たれて、改心をするということが前提となっているからなのだ。
もし、おまえたちがこの九次元大霊の光を浴びて、なおかつ心を改めないというならば、おまえたちは地上に存在するなんらの絆(きずな)もなく、なんらの基盤もないということを知れ。」
幸福の科学では宇宙界は9次元で説かれており、この世を3次元と説いています。
ゼウス神の第一声は、人類の不信仰への一撃でした。
「我が言葉を他の国にて読む者もあるであろう」
と述べておられたように、初めから諸神霊はみな全人類へのメッセージとして降ろしていたのです。
HSは教団の利害関係で諸神霊の言葉を封印してしまいましたけれども、啓示は人間知を入れてはならないものであり、神の言葉を都合の良いように削除や修正をしてもいけない。
後の祭りかもしれませんが、霊訓というのは、今回イエス・キリストが責任をもっていたはずであり、責任を取れるのでしょうかね。
1986年から1989年までの期間に降ろした多くの諸神霊の言葉、これに全人類が触れることなく、封印されたままになっている。
あのままHSが慢心せず、当サイトを神道が抑えず、うまくやっていれば、20世紀は劇的な最後を遂げていたでしょうね。
おかげですべての預言が外れてしまいましたけどね。
そのイエス・キリストですが、彼も2冊啓示をあの世から降ろしています。
バチカンの崩壊も預言しておりましたが、イエスが荒野でサタンに3つの誘惑を受けます。
現代のようにスーパーやコンビニなどはない時代ですから仕方がないのかもしれませんが、聖書では、やたらイエスは「腹、減っとった」という記述が多い。
あんまり腹が減っとったためにイチジクをつまんで、食べようとするのですが、そのイチジクがなっていなかった。
すると救世主がイチジクに八つ当たりですよ。
「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」マタイ21-19
ほんと、かわいそうなイチジクで。
肉体を持てば、救世主でもあの世のようにはいかないということですな。
この「腹、減っとった」という部分を荒野の誘惑で最初に試されます。
「イエスよ。
そんなに腹、減っとんなら、この石をパンに変えてみい。」マタイ4-3
するとやせ我慢しながら、
「人はパンのみに生きるにあらず。
神の言葉の一つ一つによって生きる」
と答えます。
次に2番目の誘惑として、悪魔はイエスを都に連れていき、宮の頂上に立たせ、
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。
『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』
と書いてありますから」マタイ4-6
と試します。
これは旧約の詩編第91篇11-12にある言葉であり、サタンは聖書を読んでいるのですね。
中々、悪魔も勉強家です。
するとイエスは、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」マタイ4-7
と答えますが、これは申命記6-16からイエスが引用した言葉であり、この言葉を引用して誘惑を跳ね返します。
第二の試みです。
神の心を試すというのは、あり得ないわけです。
真理が善、利益が悪です。
人が人を試す時というのは、利益という悪を旨としている時です。
こいつは自分の利益になる人間なのか、あるいは不利益になる人間なのか?
しかしてそれが分からない。
この時に、この人間は自分の利益になる人間なのか、そうでない人間なのか分からないために試そうとします。
利益という悪を旨とした時に人は人を試すのです。
神を試みることなかれ。
神の体を旨とすることなかれ。
神を試すなかれというのは、神の心以外世界を良化するものはなく、選択の余地はないのです。
その選択の余地のない心をイエスは試すな、と言った。
不信仰を言ったわけです。
実際、神は試せない。
人間が神を試そうが、試すまいが、その神の心は微塵も揺らぐことはなく、変更もされない。
その神を試せば、試すほど、その者自身の心が神から遠く離れていく。
利益という悪を旨とした時、人は試すということです。
サタンが人を試すのは、常に富と快楽、権力と利益を旨としているからです。
逆から言えば、信仰の欠如した者のみが人を試します。
真理は信仰の世界であって、そういった不信仰の世界には属していない。
だからイエスは神を試すなと言った。
サタンの不信仰を指摘したわけです。
神への信仰と悟りを得んとする者は、神を試すことはないし、試せないことも知っている。
にも拘わらず神を試そうとするならば、それは利益という悪を旨として生きている者達であり、その者の心は遠く神から離れている。
『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』マタイ15-8.9
これを狂信者、あるいは盲信者と言う。
最後にサタンは、3つ目の誘惑をします。
この世のすべての栄華と繁栄を見せて、イエスを誘惑します。
「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」マタイ4-9
この3つ目の誘惑に堕ちているのが、現代人です。
富と国益、繁栄と栄華のためならば、どんな不正や偽りでもやるし、場合によっては戦争すらする。
サタンにひれ伏しているわけです。
サタンにひれ伏しているから全世界が腐敗している。
イエスは、ただ神のみを拝し、神のみに仕えよと答えます。
この四十日四十夜の荒野の誘惑ですが、聖書にはサタン、あるいはデビルとしか記載されていないわけですが、イエスによれば、ベルゼブブの試みを受けたと言っていました。
荒野でイエスを誘惑したのは、ベルゼブブだったのですね。
ここら辺は、聖書にも書かれていません。
蠅の王・ベルゼブブです。
フライ・マスターですね。
蠅は雑菌やばい菌を媒介して食物を腐らせる。
従ってベルゼブブの得意とするところは、あらゆる悪を媒介して人心を腐敗させ、人と人の心を引き離すことです。
だから蠅の王と言われている。
愛を真面目に旨とすれば、どういうわけかベルゼブブがよくくるわけですが、イエスの時代の2000年前から悪さをしているのですね、このサタンは。
ただ荒野でイエスを誘惑したサタンというのは、ベルゼブブだったというのは聖書にも書かれていないのです。
そんな具体的な名前はね。
これが今回、イエスの口から明らかになりました。
これが四十日四十夜の荒野の3つの誘惑ということです。
人はパンによって生きんとして富と国益を追い、利益を旨として人を試し、神をも試さんとする。
そして富と国益、このサタンにひれ伏し、全世界が腐敗している。
パンによって生きるのは、人間を肉体という物質として捉え、認識しているからであり、正義や善は試すものではありませんが、それが自己の利益になるか、ならないかで試そうとする。
そして神を拝さず、神に仕えようともしない。
まさに全世界の腐敗の縮図ですな。
肉体を自分だと思い、その肉体を維持するのは正義じゃない、愛じゃない、真理じゃない。
水と食料であり、それを管理している富です。
人間を肉体と見ている者は、従って富を追う。
つまり物質観です。
次にこの真理は利益になるか、ならないかを試そうとする不信仰があり、富と快楽、この相対的なものにひれ伏し、神にひれ伏さない不信仰がある。
イエスは一応サタンの試みに勝利したわけですが、現代人が勝利しているとは見えない。
全世界の腐敗はこの物質観とそこから生じている不信仰に原因がある。
そういうことですね。
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