宗教の世界では、よく悪魔、あるいは悪霊の存在を説きます。
霊学上の基本的な知識がない、あるいは無知な人は、これが分からない。
テレビなどのおどろおどろしい心霊映像を見たり、無知な霊能者の霊体験やワケの分からない説明を聞きますと、どうしても不気味で得体の知れないイメージを持ち、何か恐怖心だけが先行し、正確に理解することができないわけです。
特に悪霊や悪魔の存在を説く宗教家自身が、何も知らず、悟ってもおらず、無知な連中の集まりですから、その者の説明を聞いても、本人自身が分かっておりませんから、それを聞く一般人も増々分からなくなるというのが現状だろうと思う。
そしてあの世や悪霊という言葉を使うだけで、何か如何わしい印象しか残らない。
あの世を説かなければならない宗教の世界でも、諸神霊によれば現代では、宗教団体の教祖の96%が地獄界に堕ちているような碌でもない世界ですから、結局はGLAで言っていたように「触らぬ神に祟りなし」が王道ということになる。
現代宗教の96%は、小悪魔、中悪魔、大悪魔のどれかに入られているわけであり、「触らぬ神に祟りなし」という言い方より、「触らぬ悪魔に祟りなし」という言い方の方が、意味としては正解だと思う。
暴力団とは関わりを持たない方が無難だということです。
大悪魔クラスになりますと、暴力団より遥かにタチが悪いですからね。
その筋の暴力団の方とは関わるなという意味で、GLAでは「触らぬ神に祟りなし」と言っていました。
しかしてそのGLAも、高橋信次氏の死後は、「お前がサタンだ」、「いや、お前の方こそサタンだ」と互いに罵り合い、お互いを悪魔呼ばわりし、何の悟りももっていない連中だという事実を暴露し、分裂していきました。
こういう罵り合いを、地獄というのです。
「俺の方が偉い」、「いや、俺様の方が偉い」、「いやいや、お前らは大したことはない。実は俺の方が偉い」、「高橋信次など実は大したことはなかったっていうか、俺の方が偉い」、というバカばかり作っておりましたが、こういうのを地獄というのです。
悪魔でも地獄界で力を競い、「俺の方が強い」、「いや、俺の方が偉い」とみんなやっているわけです。
宗教の世界は、概して渡る世間はバカばかりの世界であり、真っ当な方が関わってはいけない世界です。
しかして神の心は説かざるを得ない。
しかし説けば、宗教界の碌でもない連中と同一視されるリスクがあるわけです。
これも初期、アモン・ラーという神霊も言っていましたね。
霊や神、あるいはあの世についておかしなことを語る者たちを大量に作り、やがては正しい者たちまで一蓮托生で引きずり込もうとしている、と。
魔女狩りに誘う下準備をしているのだ、とそう言っていました。
ほんと、入念に下準備されちゃって。
条件反射の世界であり、パブロフの犬ですね。
ちゃりん、ちゃりんと鈴を鳴らして犬に餌を与える。
これを継続的に行いますと、鈴を鳴らすだけで犬は餌をもらえると思ってよだれを流す。
神や霊界、守護霊や輪廻転生、あの世や悪魔について語るだけで、このパブロフの犬のように条件反射で如何わしい印象をもつわけです。
それはそれで正しいのです。
大抵は如何わしいですからね。
その条件反射がその者の心を守っている場合もあります。
神の名を語って神の心はこうだと言って説いていいのは、現代では当サイトと大川さんしかいませんからね。
西洋でもいません。
だからほとんど如何わしいわけです。
その大川さんが元々は、ああいう人ではなかったのですが、おかしくなっており、はっきり言ってやってることはカルトです。
だから困ってるわけです。
幸福の科学は、もう以前のように元に戻らないのでないかと非常に懸念しています。
悪霊や悪魔というのは、要は死後の世界と言われているあの世を認めるか、あるいは認めないのかという点に関わっています。
あの世がないというならば、死後の意識は無となり、精神的気絶を遂げ、脳の喪失と共に意識現象も無となる。
この場合、神もなければ、あの世もなく、真理もなく、善もなければ愛もなく、美もなければ、叡智もない。
真善美は、脳の喪失と共になくなる。
なくなるものが悪。
なくならないものが善。
カント哲学で言えば、まさに善をなすべしという道徳的命令がこの世で成立しなくなる。
ゆえにこの世で正義を信じ、愛を信じ、真理を信じ、叡智を信ずるならば、神の存在と霊の不死はこの道徳性から必然的に要請されると説いた哲学が、カントの実践理性批判です。
これは俗に道徳的証明と言われますが、あの世ではなく、この世で真心や愛、正義や真善美を信ずるならば、神の存在と霊の不死、つまりあの世はこの道徳観から必然的に要請される。
死イコール無の等式では、この世で道徳や善悪が成立しないと説いたのです。
あの世を否定すれば、この世で善悪・真偽・美醜の一切の価値が成立しなくなる。
真善美を信じても、その信じた価値は死と共に脳の機能も停止し、なくなるからです。
なくならないものが善。
なくなるものが悪。
善や正義は信じざるを得ない。
ならば神の存在とあの世を信ずるのは当然のことです。
神の存在と霊天上界の前提なくして、この世で正義や善悪は成立せず、また真偽美醜を論じても意味はないと説いたのがカント哲学です。
あの世がなければ、いくら善悪を口角泡飛ばして論じても、その論じている善悪は死と共に無となり、なくなるのです。
むなしい議論です。
あの世がなければ、正義を実現しようとしても、その正義とやらは、死と共になくなるのです。
神はなくなる正義など創造していない。
あの世ではなく、この世で善悪美醜真偽の一切の価値が成り立つためには、神の存在と霊の不死はこの道徳観から必然的に要請される。
これが200年前ヨーロッパで説かれた道徳的証明と言われる神の存在証明法です。
我々地上人間が、この世で正義を信じ、愛を信じ、真理を信ずるならば、神の存在とあの世を信ずるのは義務となる。
カントは要は一方で善悪や正義を主張し、他方で神の存在とあの世を否定する者の人生観と価値観は根本的に矛盾していると知で論証したのです。
このカントの道徳的証明に関してドストエフスキーが、カラマーゾフの兄弟で「そんな言い方をするのならば、一面から言っても神の存在と霊の不死は認めざるを得ないし、他面から言っても認めぬわけにはいかない」と言わざるを得なかった理由です。
ドストエフスキーはカントの道徳的証明を知っているのですね。
ボルテールという哲学者も、もし神が存在しないのならば、我々は無理にでも神を創造せざるを得ないだろうと言ったのもこの道徳的証明からのみ言える。
神の存在がなければ、この世で正義と道徳、愛と美の価値の一切が成り立たなくなるからです。
だから正義を信ずる者は、無理にでも神を生み出さざるを得ないと言った。
そして事実、存在することを実証したのが、初期の幸福の科学ですね。
今はコンタクトできていないようですが。
このあの世の存在は、GLAが多次元世界としてその全貌を初めて説きましたが、この多次元世界は幸福の科学でもそのまま受け継がれています。
悪魔や悪霊という存在を理解するには、このあの世を前提としていなければ理解できないのです。
あの世の前提なく、悪霊や悪魔の話を聞きますと、単に魑魅魍魎とした百鬼夜行の妄想世界となり、何か不気味で得体の知れない存在としか認識できなくなります。
善から言ってもあの世は認めざるを得ないわけですが、悪から言ってもあの世を前提とせざるを得ないわけです。
あの世を否定するならば、正義も善もこの世では成立しない。
だから神の存在とあの世は前提とせざるを得ない。
そしてあの世があるならばどうなるか?
この世の人類77億人が、死後すべて霊天上界に帰るというのは理想としても、実際帰れるでしょうか。
これだけ腐敗した世界を作っているということは、それだけの悪を犯している者もまたいるということです。
それだけの悪を犯した者が死後、天国に帰れるでしょうか。
あの世があるということは天国と地獄があるということであり、天国に帰れないほどの悪を犯した場合、その方はどこに行きますか?
あの世がないのならば、好き勝手悪をやればいい。
やってもあの世がないわけですから、死にますと全員無となり、その犯した悪もなくなり、地獄もありませんから地獄に堕ちるということもありません。
好き勝手、悪を犯していけばいい。
それをエゴイストだの悪人だの非難されても、その非難する者もまた無となるわけですから、その非難も無効です。
あの世はなく、死んだ後はすべて無になるわけです。
好き勝手やればいい。
ドストエフスキーもだから霊の不死がなければ善もないわけであり、すべてが許されると言った。
それは人肉食いさえも許される、と。
それを悪と非難しても、その非難する者もまた無となるがゆえにすべてが許される、と。
しかして実際、あの世は存在するわけであり、人間如きが屁理屈で否定できる世界でもないわけです。
ならばそれだけの悪を犯した者達が天国に帰天できないとしたならば、その方々は死後どこに行くと思いますか?
そう、地獄に行くしかないのです。
そしてその地獄界に堕ちた者を、宗教では俗に地獄霊、あるいは悪霊と呼んでいるのです。
もちろんその悪霊も我々と同じ人間であり、神を宿した神の子です。
ただ生前、何を迷うたのか、地獄界に堕ちてしまう人たちがいる。
悪霊や悪魔、あるいはサタンという言い方そのものに抵抗があり、また誤解させる言い方だと思いますが、ただとても天界の霊とは言えないために、あくまで便宜上「悪霊」、あるいは「悪魔」という言い方を宗教ではしている。
もちろん我々と全く同じ人間であり、地獄に堕ちたとて神を宿している点に相違はない。
天界は善の認識が客観化された世界であり、地獄界は悪の認識が客観化された世界です。
ただ一言善といい、悪と言っても人の数だけの善と悪があるわけです。
だからそれだけの客観化された世界が展開している。
これが霊界の広大無辺性のゆえんです。
そして善にも悪にも段階と度合いがある。
あらゆるものには段階と度合いがある : エマソン
これが天界では多次元世界としてGLA以降説かれています。
悪にも段階と度合いがあり、通常の一般人が地獄に堕ちた場合、それほど深い地獄には堕ちません。
大きい善のできない方は、また大きい悪もできないという可愛いところがあるのです。
だから一般人の場合、たとえ地獄に堕ちることがあったとしてもそれほど深い地獄には堕ちません。
この点は高橋信次氏もあの世で言っていたと思いますが、通常人の場合、地獄に堕ちてしまったら、平均して200年~300年ぐらいで大体生前の罪を償い、地獄界から抜け出て、天界に帰天していく。
そして天界で100年ほど生活した後、また地上界に生まれてくる。
80%の人は、大体この過程と経過を歩むと思って間違いないと言っていました。
これが通常、悪霊と呼ばれる人です。
もちろん神の子であり、同じ人間です。
ただ悪の度合いが強烈な者が一部例外的にいるのです。
地獄のサタンと言われる連中が狙うのは、大抵は一般人ではなく、権力者やエリート、資産家や有名人著名人、宗教の教祖や軍隊の長、いわゆる大衆に対して大きな影響力を持っている者達です。
こういった者を一人落とすだけで大量の大衆を地獄に引きずり込むことができるからです。
ここら辺の悪党となりますと一般人の犯す悪とは次元が異なっており、死後は少し深い地獄、と言ってもマリアナ海溝ぐらいですが、深い地獄に堕ちていきます。
この深い地獄に堕ちた者達を、宗教ではいわゆるサタンや魔王、あるいは悪魔という言い方をする。
もちろんこの悪魔も元は人間であり、神の宿った神の子であり、我々と同じ存在です。
だからハイスピリットは、悪魔を敵とは見ていないし、悪魔とも見ていない。
悪魔をも救おうとしている。
地獄で悪さをしておりますが、神の子なのです。
だからハイスピリットは、悪魔でも救おうとして、色々と説得するのですが、生前エリートだの総理大臣だのやっておりましたから自我が異常に強く、ハイスピリットのいうことを聞かないのですね、ここら辺の魔王になると。
私も見たことがありますが、エジプトのファラオ気取りの悪魔もいるのです。
数千年も経っているのに、まだファラオ気取りでいるのです。
この深い地獄に堕ちた者を通常の悪霊と区別して悪魔と宗教では呼んでいます。
悪霊や悪魔という言い方は便宜上の言い方であり、ほんとに相手を悪魔だの悪霊だの思っているハイスピリットは一人もいません。
地獄霊の生命の本質にも神が宿っており、その神の子が地獄に堕ちて、苦しんでいるというのでその本質を見て、一生懸命救おうとしています。
敵だの悪魔だから滅ぼすだの焼き殺すだの、そんなことを思っている諸神霊は一人もいません。
天台智顗大師もあの世で言っておりましたが、地獄界というのは病院と見て欲しい、と。
地獄界を悪だから叩き潰せという考えは、病院をなくせば、病人がいなくなるという発想と同じである、と。
病院を片っ端から破壊しても病人はなくならないのです。
心を病む人は今後も出てくるのです。
その時、病院がなかったらどうしますか。
地獄界というのは、慈悲の世界として捉えて欲しい、と。
悪霊や地獄霊は病人ですから、わがままを言います。
苦しいために利己的に振る舞い、自分のことで頭が一杯なために回りにも迷惑をかけます。
ただ病人ですから、いつかその病は治り、霊天上界に帰天していく人達なのです、と言っていました。
地獄霊や悪霊、あるいは悪魔という言い方に恐らく問題がある。
まるで我々人間と根本から何か異なる存在のように認識させるものがあります。
便宜上仕方ない言い方なのかもしれませんが、通常の悪霊は天台大師の言う通りですが、サタンクラスになりますと少し精神病的なタチの悪い患者なわけです。
いきなりナイフをもって街で暴れまわるような、ね。
それを力づくで押さえつける警察官のような役割をもっている神霊が、これがモーゼであり、ミカエルと言われる神霊です。
そういう役割をもった神霊もいます。
ただ悪魔クラスになりますと、中々ハイスピリットでも救えない。
彼らは諸神霊を敵対すべき敵と見ており、戦争対象として見ています。
言うことを聞かないわけです。
だから力である程度抑制するしかない。
その悪魔も、1000年、3000年、あるいは1万年、10万年も地獄界で生活しておりますと、その霊体が変わってくるのです。
この世では肉体がありますから、心でクソッタレと思いながら、肉体の方では笑顔でニコニコしていられるわけです。
偽善者ということですが、あの世ではその肉体がありませんので心がストレートに霊体にあらわれます。
何千年も地獄界におりますとその霊体が蛇やトカゲ、あるいは得体の知れない毛むくじゃらの動物のような霊体に変容していくのです。
それを地上人間が霊視しますと、とても同じ人間には見えないために余計誤解していくのです。
悪霊もサタンもみな我々と同じ神の子であり、人間なのです。
ところが蝙蝠の羽をばたつかせ、牙で威嚇してきますと、とてもこれが同じ人間には見えないために、悪魔を何か得体の知れない不気味な存在として認識していくことになる。
これがまた誤解を生むのです。
徐々に悪魔や悪霊というのが、人間の認識の中でわけのわからない存在となっていくわけです。
悪霊も悪魔も我々と同じ神を宿した神の子であり、人間だということです。
またそんなことを言わなくても、この世でも異常な悪を犯したり、教祖面して大衆の心を狂わせたり、人を殺すことに慣れ、何とも思わなくなっている人が一部いるはずです。
こういった者が死後、悪魔だのサタンだのになっていくわけです。
少し深い地獄に行ってしまうわけです。
そしてその世界に長くいれば、その霊体すら変化してくる。
その変化した霊体を見れば、「これ、人間か?」みたいな格好をしておりますので、それをそのまま認識していくために悪魔や悪霊に対する認識の誤解を生んでいくということです。
これが悪霊、あるいは悪魔と言われる者の正体です。
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