神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。
潜在意識が「天」であり、表面意識が「地」で、永遠に天地一体です。
この潜在意識を「多次元世界」と言い、俗に「あの世の世界」と言われてきました。
この世では、「大宇宙の存在」を「神」と言い、あの世では、「多次元世界の存在」そのものを「神」と言います。
人間はみな「神の子」ですので、あの世であろうが、この世であろうが、永遠に神と一体で暮らしています。
人間は「神」と離れて生きていくことはできないのです。
この世では大宇宙や自然界と一体であり、あの世では多次元世界と一体です。
「神」と離れようとしても離れることはできません。
人間は、この世では「大宇宙」と離れることはできず、あの世では「多次元世界」と離れることはできないのです。
人間はみな「多次元世界」から生まれ、「多次元世界」に還っていく存在です。
この世であろうが、あの世であろうが、神の創られた正しき世界は、「主観」と「客観」が合一した「主客合一の世界」です。
この世では、見られる全世界(客観)は、見る者全人類の心の世界「主観」であり、「主観」と「客観」は永遠に合一しています。
あの世も同じであり、見られる菩薩界というその世界(客観)は、そこに住む菩薩の心の世界(主観)であり、「主観」と「客観」は永遠に合一しています。
見られる地獄界というその世界(客観)は、そこに住む地獄霊の心の世界(主観)であり、やはり「主観」と「客観」は永遠に合一しています。
「天国」や「地獄」を問わず、神の創られた世界は「主客合一の世界」なのです。
すなわち「主客合一の法則」とは、全ての善と全ての悪を超えて発動している法則です。
我々の暮らす世界の構造と仕組みを知っていれば、客観の世界を良くしていくには、主観、この「心」を良くする以外にないわけですが、この「心」を無視して「客観の世界」だけを良くしようといじくりまわしている文明が、現代文明の特徴です。
あの世であろうが、この世であろうが、「心」が「世界」を創っておりますので、「世界」だけを良くしようとしても良くなることはないのです。
「心」と「世界」、「主観」と「客観」は永遠に一つであり、切ることはできないからです。
西田哲学では、「主観の統一力」と「客観の統一力」は二種あるのではなく、ただ一種あるのみであると説かれています。
心の統一力と自然界の統一力は、同じであり、この同じ統一力ゆえに、心で認識している数理によって、客観の自然界を説明することができるのです。
この「統一力」そのものを見れば、「主観」と「客観」を区別することはできず、「主観」と「客観」の「矛盾」を統一している存在であることが分かります。
この「統一力」を「神」と言ってもいい。
神とは宇宙の大統一者である : 西田幾多郎
「神」とは「主観」と「客観」を永遠に統一している存在ですので、「大宇宙の存在」を「神」と言います。
過去に生きた人類も、全て死んで「無」になったわけではなく、この「5次元幽界」から「10次元宇宙界」までのどこかの次元世界に必ずいるのです。
この「多次元世界」は、一人一人の「心」の中、すなわち潜在意識に存在しています。
個人の「心」の中に過去の人類の全てが存在しているということです。
現代の人類は「80億人」ですが、死後は例外なく、天国であれ、地獄であれ、この「多次元世界」に還っていきます。
この「多次元世界」は、一人一人の「心」の中に存在しているのです。
個人の「心」の中に現代の人類の全てが存在しているということです。
未来の人類もみなこの「多次元世界」から生まれ、「多次元世界」へと還っていきます。
未来の全人類もまた個人の「心」の中に存在しているということです。
過去・現在・未来の全人類は、一人一人の「心」の中に存在しています。
これを「全人類即我」の悟りと言います。
あの世の天台智顗大師によれば、実はそれどころの話ではなく、個人の「心」の中には大宇宙が入っておりますので、この大宇宙における他の惑星に住んでいる全ての「神の子達」も存在していると言っていました。
「全神の子即我」です。
個人の「心」の中には、「天国」もあれば、「地獄」もあるのです。
つまり人間の「心」の中には「全ての全て」があるのです。
人間の個性は異なりますが、どの個性から入っても、頂上は一つであり、その「悟りの頂点」には、同じ「大宇宙の存在」があります。
「大宇宙の存在」を「神」と言いますので、「悟りの頂点」には「神」がおられるということです。
それを実証しておられるのが、如来界のお歴々です。
地球系霊団では、「500名弱」の如来がおられるようですが、みな共通して「宇宙即我」の悟りを持っています。
「宇宙即我」の悟りを持っていなければ、大宇宙や自然界に記載されている「神の心」を読むことができず、また如来界に住むこともできないのです。
如来界に住んでおられるということは、「宇宙即我」の悟りを持っておられるということです。
人間の「心」の中心と本質には、この「神の心」があるということです。
「神の心」を知ることが、「真正の自己」を知るということです。
悟りとは、真正の自己を知る、これに始まってこれに尽きる : 西田幾多郎
まさに人類共通の「人生の意義」とは、この「神の心」を知り、「神の心」を悟るということです。
「神」とは大宇宙を創造し、維持できるほどの存在ですので、「完全なる正しさ」なのです。
「主観」と「客観」を永遠に統一している存在ですので、「神」とは「完全な善」であり、「完全な美」であり、「完全なる真」なのです。
「神の心」は、全ての矛盾を統一しているため「矛盾」がなく、最も合理的な存在なのです。
理性的なものは、現実的であり、現実的なものは、理性的である : ヘーゲル
ヘーゲルは「神」とは「歴史の究極目的」であるため、「歴史とは神の世界計画である」と残しています。
人類は「理性の狡知」を通して一歩一歩、この「究極目的」に向かっておりますので、ヘーゲルは歴史とは真理による「自由の意識の進歩」と言いました。
確かに「神の心」とは、「完全なる正義」であり、人間精神の本質でもありますが、これを「悟る」ことが人類共通の「人生の意義」としますと、1回80年の人生では悟れないのです。
カントが「最高善」を人間が認識することはできないと言うのも、これを言ったのです。
すなわちあの世の存在を、安易に否定される方がおりますけれども、もしその方の言う通り、あの世はなく、死ねば人間の「心」は、みな「無」となる存在ならば、人間に「人生の意義」も「存在意義」もないことになるのです。
死によって「心」が「無」になりますと、その「心の本質」にある「神の心」も同時に「無」になりますので、人類から「平等」が失われますように、その「神の心」を知ると言う「人生の意義」も失われるのです。
「完全なる神の心」を悟り、知ることが、人類共通の「人生の意義」としますならば、1回80年では知ることができませんので「永遠」が必要になるのです。
すなわち「多次元世界」であり、あの世の世界(永遠の世界)です。
「永遠なる世界」があって、初めて誰もがこの「完全なる神の心」を悟っていくことができるのです。
神の心が「天」であり、人間の心が「地」で、永遠に天地一体です。
あの世がなければ、誰も「完全なる神の心」に到達できませんので、「天」に到達できないのです。
もしあの世の世界が存在しなければ、「天」(神の心)に誰も到達できませんので、天地分離の原理に呑み込まれてしまうのです。
天地分離の原理は、人類の「不幸の原理」なのです。
天地一体の原理が、人類の「幸福の原理」です。
すなわち人間があの世の世界を否定してしまいますと、必然的に人類は不幸になっていくのです。
あの世の世界が存在して、初めて人間は「天」(神の心)に到達していくことができるため、人類の幸福が可能になり、「神の心」を悟るという「人生の意義」も説明できるようになるのです。
あの世の世界の「肯定」が、天地一体であり、あの世の世界の「否定」が、天地の分離です。
今回の「救世の法」において「多次元世界の存在」が説かれなければならない理由とは、これなのです。
あの世の世界を前提にしなければ、誰も「神の心」を悟ることができなくなり、「天」に到達できなくなるからです。
「永遠の世界」があって、初めて「完全なる神の心」を、一人一人が悟っていくことができるのです。
しかも1回限りの人生では「完全なる神の心」を悟り、「真正の自己」を知っていくことはできません。
一人一人の「心」の中には、悟りの高低はあるかもしれませんが、この「完全なる神の心」がみな存在しているのです。
この「完全なる神の心」を知ることが「人生の意義」になっており、それは1回限りの人生では悟れないのです。
だから今回の「救世の法」において「輪廻転生の法則」が説かれているのです。
1回限りの人生ではなく、時代と地域を変えて、何度も生まれ変わりを繰り返し、修行していく過程で、誰もがこの「完全なる神の心」を悟っていくことができるのです。
高々、1回80年の人生で「完全なる神の心」を悟ることはできないのです。
「輪廻転生の法則」を「否定」すれば、誰も「天」に到達できないのです。
輪廻転生の「肯定」が天地一体であり、輪廻転生の「否定」が天地分離なのです。
今回の「救世の法」において「多次元世界の存在」が説かれ、「輪廻転生の法則」が説かれているのは、これを説かなければ、「完全なる神の心」を悟り、「真正の自己」を知ると言う人類共通の「人生の意義」を合理的に説明できなくなるからです。
安易に「輪廻転生の法則」を否定する人がおりますけれども、ではどうやって自己の「心の本質」にある「完全なる神の心」を悟り、「真正の自己」に到達していくというのでしょう。
1回限りの人生で「完全なる神の心」を悟ることはできないのです。
「永遠」を生き、「輪廻転生」を繰り返していく過程で、誰もが「完全なる神の心」に到達し、「真正の自己」を知り、「天」に達し、「天地一体の自己」を得ることができるのです。
この「輪廻転生の法則」については、キリスト教のほうでは「否定」しておりますし、仏教のほうでも不完全な説き方しかされていないのです。
仏教もキリスト教も「世界宗教」ですが、この人類共通の「人生の意義」を合理的に説明できていないのです。
世界に「人生の意義」を合理的に説明した宗教が「ない」わけです。
今回、「GLA」から「幸福の科学」の流れの中で、「救世の法」の編纂が意図された理由も、本当に「人生の意義」を合理的に説明した宗教がなかったからです。
「ない」ならば、創るしかないということです。
「多次元世界の存在」と「輪廻転生の法則」、そして「悟りの段階論」の3つの法は「救世の法」の土台であり、骨格なのです。
この「3つの法」を説いていない宗教的真理は、「救世の法」とは言えません。























この記事へのコメントはありません。