真理関係

追悼 大川隆法 3

大川さんが死亡して「19日」が経過しているわけですが、未だ教団からは何も公式な発表がありません。

どうなっているのでしょう。

こんなこと言っています。

火葬されていない?

では土葬でしょうか。

信者の方は、どうも復活の祈りをしているようですが、土に埋められた状態で復活すれば、まさにゾンビです。

ジョージ・ロメロ?

ドーン・オブ・ザ・デッド?

教祖の「死」を受け入れがたい気持ちは理解できますが、火葬も土葬もしていないとなれば、死体が腐敗してくる頃であり、長期間火葬しなければ、下手をすれば死体遺棄罪になります。

少なくとも死亡届は死亡してから1週間以内に届けなければならないわけですから、既に届け出は済んでいるはずです。

教団の異常な対応を見ておりますと、やはり多くの人の心を狂わせてしまったようです。

ここでは脳梗塞ではないかと言われています。

大川隆法さんが亡くなる前に書き留めていた、日記がわりの詩集

報道によると、2月28日に自宅で倒れているのを発見。

心肺停止の状態で病院に運ばれ、死亡が確認されたそうです。

いまのところ、教団側は「大川総裁の現在の状況についてはコメントを差し控える」という対応で、死因などは公表されていません。

3月2日にニュースになる前、3月1日の時点で、「大川隆法が都立広尾病院で脳梗塞で亡くなった」といった話が広まっていました。

(3/18追記:『週刊実話』2023年3月23日号によると、山田直樹さんが「知己の公安関係者」から「自宅で脳梗塞の発作があり救急搬送された」と聞いたとのことでした)

大川隆法総裁は、使命が終わるまでは、絶対に死ぬわけがないのでした。

「救世の法」を破壊してしまったわけですから、教義が崩壊したわけです。

教義が崩壊すれば、教団も崩壊しますから、教団の方がその内崩壊するのではないかと予想しておりましたが、教祖の方が崩壊してしまいました。

これは意外でした。

「救世の法」とは、神の法であり、神の御心ですから神の心の方を殺しますと、教祖の方が殺されてしまいました。

やはり神の方を殺そうとしますと自分が殺されるのですね。

行くべきところに行ったでしょう、しかなるべしでしょう。

やりたい放題でしたので、もう思い残すこともないでしょう。

80才まで生きると予言していたわけですが、66才で死んでしまいました。

不可解な死と言いますか、どう見ても大往生とは言えませんでした。

これだけ真理を無茶苦茶にしてしまった人は、今まで見たこともありませんでしたが、幸福の科学は日本と運命を共にしてきた教団ですので日本の未来を占えます。

幸福の科学がこのまま崩壊するならば、日本も崩壊し、教団が細々と続いていくならば、日本も細々と続いていくことになります。

イエスは私の聞き間違いでなければ「既に手遅れ」と言っておりましたし、モーゼは「1からやり直させてやることも神の慈悲なのだ」と言っていました。

何故、モーゼだと分かるのか知りませんけどね。

分かるものは、どういうわけか分かる。

幸福の科学の最高指導霊は、このイエスとモーゼだったのです。

彼らがこう思っているということは、一旦教団を白紙に戻すのかもしれません。

確かにその方が彼らのためです。

もう、手の施しようがないのです。

大川さんがどこをどう間違えたのかについては全て知っておりますし、「救世の法」も元に戻すことはできますが、それだけではどうしようもないのです。

やってきたことを見るとね。

高橋信次流の反省法だけではどうにもなりません。

全身転移の末期ガンは如何なる名医でも治せないのです。

最低、如来の悟りを持ってから立教すべきでした。

〈どこでも宗教の本質は「洗脳」なのだ〉

このような邪なことを本音に持っている者が、神の御名を語ってはいけません。

真実とは神の別名であり、人間の側に真実はありませんが、宗教とは神の心を説くものですので、限りなく神の心に近い真実に導くものです。

今更言っても仕方ありませんが、幸福の科学の誤りは、GLAの誤りと全く同じでした。

このあの世のミカエルの言葉に尽きるでしょう。

信仰というものは神に対してなされるものであって、特定の人間に対してなされるものではない。

それを私はあなた方に言っておく。

まちがったミカエル信仰(エルカン信仰)、このミカエル信仰(エルカン信仰)も、天上界のミカエル(エルカン)ではなく、地上にいるという、その生き神信仰になってしまった。

こうした信仰にしてしまったその罪はひじょうに重いということを、私はあなた方に言っておく。

あなた方の最大のまちがいは高橋佳子(大川隆法)をミカエル(エルカン)の本体だと言い、そして高橋佳子信仰(大川隆法信仰)をミカエル信仰(エルカン信仰)のごとくしたこと、これが最大の誤りです。

生きている人間は生き神様になってはならない。

信仰というのは神に対してなされるべきことです。

それは人間に対してなしてはならない。

人間に対して誓ってはいけない。

人間に対してそうした絶対の帰依をしてはいけないのです。

帰依は神に対してしなければならない。

地上に降りた人はあくまでも光の使者であり、預言者であるということ。

神の言葉を預かる人であるという立場に甘んじなければいけないのです。

決して生き神信仰だけはしてはならないのです。

これをやリ始めた時に魔が忍び込んできたのです。

そうした歴史的な事実を今、あなた方は知りなさい。

ソース : 大天使ミカエルの降臨 3

ミカエルは生き神信仰をやり始めた時に魔が忍び込んできたと言っておりますが、幸福の科学も同じであり、1991年の3月にご本尊を教祖の顔写真にし、生き神信仰を始めた時から諸神霊の霊言を出せなくなったのです。

それ以後、一霊も高級霊は出ていません。

至極当たり前の話です。

あの世の高橋信次氏は「人につかず、組織につかず、法につけ」と言っていたはずです。

大川隆法という「人につかず」、幸福の科学という「組織につかず」、「法につけ」と言われていたはずですが、大川隆法という人につき、幸福の科学という組織につき、法につかなくなってしまいました。

神を拝まずに人間を拝み、幸福の科学という「組織」が発展すれば喜び、衰退すれば悲しむという「組織」の細胞となって苦楽を作っています。

苦楽の両極端を捨てて中道に入れ : 高橋信次

神の心以外のものを心の物差しに置いた時、苦楽は作られます。

苦悩も相対的、快楽も相対的であり、相対的な苦楽は、同じく相対的な物質(神の体)を心の物差しに置いた時に作られます。

苦楽の両極端を捨てて中道に入れとは、神の体を捨てて神の心を心の物差しにせよと言っていたのです。

宗教とは永遠にビジネスにはならないものです。

正確に言えば、神仏の心というのは宗教ビジネスを許さないのです。

やろうと思えばできるというものではなく、まさに「できない」のです。

それでも無理にやれば、そこの教祖が死ぬのです。

精神と肉体共に死にます。

特に精神の方は必ず死にます。

だから宗教をビジネスにすることは「できない」と言っているのです。

宗教とは神の心を「天」に置くものであり、それを「地」に置くものは堕天したのです。

教祖が利益を本音に神の心を語れば、それは必然的に詐欺になります。

信者の方はそれが神の心だと思って信じているのです。

にも拘わらず、教祖が利益(神の体)を本音にすれば、人を騙していることになるのです。

利益のために神の心を語っているからであり、利主神従の地獄の創造主になってしまいます。

この宇宙では永遠に神主利従です。

宇宙では神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

教祖が宗教ビジネスと称して利益を「天」に置きますと、それは神の体を「天」に置く偶像崇拝となって天地が切れます。

天地の分離は不幸の原理ですから、多くの不幸を生産していくことになるでしょう。

宇宙では永遠に神の心が「天」に置かれているため教祖が利益(神の体)を「天」に置きますと眼前の大宇宙と分離されます。

神の心と離れてくるのです。

神と離れていきますと悪になってしまうのです。

だから高級霊の霊言を出せなくなったのです。

カルトとは、神への信仰がないにも拘わらず、信仰を語り、主張する宗教です。

これがカルトの不変の定義です。

神への信仰を語る前にそもそも神とは何かが分かっていない宗教と言ってもいい。

神とは一人一人の心の中心に存在している心であり、人間精神の根源的本質です。

過去・現在・未来の全人類の心は全てこの宇宙のゴッドにつながっているのです。

だからソクラテスも「汝自身を知れ」と言ったのです。

汝自身の内なる神を知れ、良心を知れ、宇宙を知れという意味です。

その神が自己を客体化した存在が眼前の大宇宙ですから、大宇宙や自然界を神と言います。

これ以外のものを信ずることを信仰とは言わないのです。

従って神の心というのは、この大宇宙と自然界に表現されています。

如来の共通の悟りとは「宇宙即我の悟り」、「天地一体の悟り」、「神人合一の悟り」の3つです。

宇宙と我が一体であるがゆえに宇宙の理法と十分通じている。

だから如来は全てそうですが、大宇宙や自然界に表現されている神の心を単独で読み取ることができるがゆえに神の心が説けるのです。

菩薩以下はまだ宇宙即我の悟りを持っていないがゆえに宇宙と自己がまだ離れているのです。

だから大宇宙や自然界に表現されている神の心を十分読み取ることができないのです。

大宇宙や自然界に表現されている神の心を単独で読み取れないがゆえに菩薩はまだ神の心を説くことができないのです。

如来とは、宇宙を読める者のことを言います。

カルトとは、神への信仰がないのに信仰を語る宗教です。

神への信仰がありませんので、カルト宗教の教祖は必ず自己都合で自我から出た思想を説いています。

全ての真理は神我と神の心に帰一しており、如何なる教祖の自我にも帰一していません。

多様な真理の全ては、神我に帰一し、実相に帰一し、神の心に帰一しており、大宇宙に帰一しています。

これは永遠に変わらないのです。

しかしてカルト教祖は、自我を「天」に置いて自己都合の法を説いておりますので必ず神の体(物質)の方面の支配を受けているのです。

すると物質の属性をもった思想と行動しか取れなくなるのです。

物質の属性とは「利益性」です。

相対的な自我で法を説いている者は、同じく相対的な物質の支配を受けておりますので、必ずこの「利益性」に支配されています。

だから宗教ビジネスをするのです。

あるいは悟りも反省もなく、心の浄化もしないで御利益祈願と称して利益(神の体)だけを拝ませるようになります。

神の心ではなく、神の体を拝ませるのです。

神の体に人心を誘導することを人の心を狂わせるというのです。

神の心が真理であり、神の体が現象利益です。

真理即現象利益、統一即矛盾で双方は一実在の両方面ですが、真理と現象利益を切り、現象利益だけを拝ませるようになるのです。

物質の属性には「一時性」もあります。

相対的な自我のままに生きている教祖は、この宇宙では必ず波長同通の法則が作用しておりますので、相対的な自我と相対的な物質が同通し、物質の属性であるこの「一時性」に支配されます。

すると一時的なもの、時のアイドルや俳優・女優、並びに人気映画や大河ドラマ、あるいは一時的な流行りものや流行にすぐ飛びつく軽佻浮薄な行動を取るようになります。

あの世のイエスから2000年後の立場に立って今を反省せよと指導されていたはずですが、この「一時性」に支配された者は芸能プロダクションまで作って、2000年後には残っていないアイドルや俳優ばかりを作るようになるのです。

2000年間残る神の法を編纂しなければならない者が、2000年後には残っていないアイドルや俳優ばかりを一生懸命作るようになるのです。

実相不変、現象無常ですから、自我のままに生きている教祖は、自我の相対性と物質の相対性が同通し、必ずこの物質の属性である「無常性」に支配されています。

すると法も現象無常でコロコロと変わり、霊格も現象無常でコロコロと変わり、過去世も現象無常でコロコロと変化していきます。

法の一貫性や統一が失われ、矛盾だらけの法になるのは、この「無常性」に支配されたからです。

これもカルト教祖の普遍的な特徴であり、この宇宙に生きている限り、自我のままに生きれば、神の体の方面に支配され、神我や良心を強化すれば、神の心の方面の支配を受けるのです。

物質宇宙は神の表現結果ですから、物質の属性にはこの「結果主義」があります。

自我のままに生きているカルト教祖は、この物質の属性である「結果主義」に強く支配されており、ここからノルマを課す行為をしたり、結果として悪霊に憑依されている者はおりますから、結果そのままを見て人さまを悪魔呼ばわりするようになるのです。

あるいは物質の属性には「従性」があります。

神の心が「主」であり、神の体は「従」なのです。

自我のままに生きているカルト教祖は、自我を「天」に置いておりますので物質も「天」に置くのです。

すると従的なものも「天」に置かれます。

学歴職歴主義に落ちて心をなくしたり、有名人著名人病のようになったり、地位や名誉と言った「従的」なものにやたら心が執着するようになるのです。

また正義が「主」であり、力は「従」ですから、自我のままに生きている教祖はこの従性に支配されておりますので「力」に支配されています。

だから恫喝訴訟を繰り返し、集団デモの威圧をするようになり、「力」に訴えるようになるのです。

忍辱の教えはどこへやら。

これも生き神信仰が原因です。

生き神信仰を通して自我を「天」に置いたから物質に支配されたのです。

そして物質の属性を有した思想や行動しか取れなくなったのです。

神でも何でもないものを信仰する宗教をカルトというのです。

カルトは神でも何でもないものを一生懸命信仰しておりますので、そこの教祖は必ず自我のままに生きているのです。

するとこの宇宙では必ず神の体の方面に支配され、物質の属性をもった思想や行動しか取れなくなるのです。

幸福の科学が何故カルトと言われるようになったのか?

教祖がこの物質の属性を有した思想や行動ばかりとっているからなのです。

エルカンもちゃんと大宇宙が支配しているはずです。

大宇宙が神だからです。

この物質の属性をもった思想や行動は、決して神の心の属性ではないのです。

神の心の属性のままに動いていないのです。

自我のままに生き神信仰に耽っているから神の心を心にしようとしないのです。

カルトとは、そこの教祖が神の体に支配されている宗教と言ってもいい。

この大宇宙に生きている限り、統一的な方面である良心や神我を強めれば、同じく統一的な方面である神の心に支配され、相対的な自我を強めれば、同じく相対的な神の体(物質)の方面に支配されるのです。

そして人類が神の体に支配されれば世界は腐敗と悪化を続け、人類が神の心に支配されれば世界は繁栄と良化を続けていくのです。

人類自身が神への信仰に覚醒することなく世界を良化繁栄させていくことはできないということです。

まず目の前に存在する大宇宙が神であるという事実を知ることです。

神が存在するもしないも目の前にずっと存在しているでしょう。

神の存在は肉眼でも見えます。

議論の余地などないのです。

幸福の科学がカルトの認識から脱却するのは、今となっては難しいかもしれない。

正しき心の探究を真面目にやるべきでしたね。

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