真理関係

レザレクション 4

大宇宙は「神の心」の表現体であり、宇宙は「神の体」です。

「大宇宙の存在」を「神」と言いますので、もちろん過去・現在・未来の全人類を永遠に支配し、指導し、生かしているわけです。

「完全なる神の心」は、「大宇宙」や「自然界」に「象徴」として表現されておりますので、「神の心」を知りたければ、「大宇宙」や「自然界」に記載されている「神の心」を可能な限り、正確に読み取っていくしかありません。

エマソンは「神の心」は「自然界」に象徴されているのだという「象徴主義」を説きましたし、ヘーゲルは「神の心」というのは、「大宇宙」や「自然界」に現実化しており、「大宇宙」や「自然界」という現実的なものにもまた「神の心」があらわれていると残しています。

理性的なものは、現実的であり、現実的なものは、理性的である : ヘーゲル

「大宇宙の存在」のことを「神」と言いますので、我々「未熟な人間」の「心」が合一すべきは、この「大宇宙」であり、「自然界」であり、「多次元世界」です。

つまり「神」とは、人類にとって「永遠の目的」なのです。

「大宇宙」や「自然界」の「救済力」は、「無限」ですので、「自然界の心」と合一して地獄に堕ちる人は存在しません。

従って「自然界」と「人間」が、その「心」で合一した時、一人も地獄に堕ちる人はいなくなりますので、「人類の不幸」が消滅していくのです。

「人類の不幸」は、「宇宙即我」の悟りによって消滅していきます。

「大宇宙の心」を「神の心」と言うのであり、この「神の心」と「人間の心」が合一した時、「人類の不幸」は音を立てて崩壊していき、なくなっていくのです。

かく最深の宗教は神人同体の上に成立する。

人生の意義とは、これを獲得するにある : 西田幾多郎

そもそも宗教とは、「神の真景」を明らかにすると同時に、その「神の心」と「人間の心」を同じくするものです。

ある特定の「人間の心」、それはたとえ「大救世主」であろうとも、その「人間の心」といくら合一しても、「人類の不幸」がなくなることはありませんが、「自然界の心」と合一すれば、「人類の不幸」は全て消滅し、現象無常で過ぎ去り、消え去り、流れ去っていくのです。

つまりたとえ如来であろうが、菩薩であろうが、あるいは「光の天使」であろうが、人間に人類を幸福にする能力は、初めから「ない」のです。

「人類の幸福」を実現できる存在のことを「神」と言うのであり、それは過去・現在・未来の人類の中には存在せず、人間の創れるものの中にも存在せず、それは「人間の創れないもの」の中に存在しているのです。

すなわちこれが「大宇宙の存在」であり、「自然界の存在」であり、「多次元世界の存在」、すなわち「神」なのです。

誰であろうが、人間が「大宇宙」を創ることはできず、「自然界」を創ることもできず、「多次元世界」を創ることもできないのです。

この人間では創れない存在こそが、過去・現在・未来の全人類を救い、その全人類の幸福を実現し、全人類の心を育てることができるのです。

これが最高霊域の諸神霊が共通して持っておられる「宇宙即我」の悟りであり、「自然即我」の悟りであり、「多次元世界即我」の悟りなのです。

「宇宙即我」の悟りとは、人間では創ることのできない「大宇宙の存在」と「自己の心」が合一している悟りです。

中東の「神」が、人間の創ったものを拝む「偶像崇拝」を禁止してきたのは、人間やその人間が創れるようなものの中に人類の「救い」も「幸福」もないからです。

人類の「救済」や「幸福」は、「人間では創れないもの」、すなわち「大宇宙の存在」や「多次元世界の存在」の中にあるのです。

「大宇宙の存在」と合一して不幸になる人間は存在せず、地獄に堕ちる人間も存在しません。

それでももしこの世に「人類の不幸」が存在するとすれば、それは眼前に存在する「自然界の心」と「自己の心」との合一に失敗し、「神の心」と離れてしまった人間が存在するからです。

「宇宙即我」が「善」であり、宇宙と我とが離れれば「悪」なのです。

つまり「神の心」(自然界)と「人間の心」が離れた時、そこに「不幸」が現象化してくるのです。

「神の心」と合一していれば、地獄に堕ちることはありませんので、「不幸」は存在しません。

「大宇宙」とは、「幸福一元論」の世界なのです。

「神」には「不幸」や「悪」が「ひとかけら」もないからです。

我々の暮らしている「大宇宙」は、「神の心」が永遠に「天」に置かれている「天国」なのです。

この「大宇宙」では、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体の世界です。

「神の心」が永遠に「天」に置かれているという「大宇宙の構造と仕組み」の中に、人類の「永遠の目的」が示されているのです。

人類の「永遠の目的」とは、「神の心」であるがゆえに、眼前の「大宇宙」では永遠に「神の心」が「天」に置かれているのです。

従ってこの「神の心」を「地」に置く者は、誰であろうが、「転落」し、「堕天」したと言えます。

それはこの「大宇宙の構造と仕組み」から言えることなのです。

この世であれ、あの世であれ、「神」の創られた正しき世界は、「神の心」が「天」に置かれている「永遠の天国」なのです。

その「神」の創られた「永遠の天国」を、「神の体」(利益と快楽)を「天」に置くことによって「無限の地獄」に変えてしまったのは、今の「未熟な人類」なのです。

この人類各人の「未熟」が、人類の「全ての不幸」の原因です。

資本主義で相対的な富を「天」に置き、民主主義で相対的な利益を「天」に置き、社会主義で相対的な物質を「天」に置き、根源から間違った世界を創ってしまったのは、あくまで「神」のほうではなく、「人間」のほうなのです。

人類各人の「未熟」が、この「人類の不幸」を創ったのです。

従ってこの世界の悪化と人類の不幸を食い止めるには、手立ては一つしかなく、「神の体」を「天」に置いている間違った世界を「悔い改め」、「神」の創られた「大宇宙」や「自然界」と同様、「神の心」を「天」に置いた世界を創っていくしかありません。

「地上天国」とは、「大宇宙」と同様、「神の心」が「天」に置かれている世界なのです。

「神の心」や「神」の創られた世界に「不幸や悪」は「ひとかけら」もありませんが、「未熟な人類」の創る世界には、「地獄や不幸」が至るところに存在するのです。

諸神霊も述べておられましたが、「未熟な人類」が創る世界では、「60%以上」もの人間が「地獄」に堕ちているのです。

人類の「6割以上」が「不幸」になっているということです。

その根本的な原因とは、眼前の「大宇宙」や「自然界」を通して「神」ご自身が、「良きお手本」を示されているにも拘わらず、「神の心」を「天」に置くことをせず、自分が気持ちがいいものだから「利益と快楽」(神の体)を「天」に置き、「神の心」を「地」に置いてしまったことが原因なのです。

「矛盾」(神の体)を「天」に置けば、「悪」の無限化は避けられません。

今の人類と同様、「神の体」(利益と快楽)を「天」に置いてむさぼった「大救世主」は、天寿を全うすることなく、聖なる使命を果たすこともなく、人を育てることもなく、世を去っていったのです。

「神の体」を「天」に置く限り、今後も世界と人類の悪化は避けられません。

神の創られた世界は、「神の心」が「天」であり、「神の体」が「地」で、永遠に天地一体です。

この「天地一体の原理」とは、人類不変の「幸福の原理」なのです。

永遠にこの原理は変わることはないのです。

人類の「不幸の原理」とは、この逆であり、「天地一体の原理」ではなく、「天地分離の原理」が、人類不変の「不幸の原理」なのです。

ではどうすれば、天地が分離し、「天」と「地」が離れ、人類は不幸になっていくのか?

今の人類のように「神の体」(利益と快楽)を「天」に置けば、それを永遠に「地」に置いておられる「神」(天)と離れていきますので、おのずと天地が分離していくのです。

不幸を満喫できるわけです。

実際、今の人類はその多くが、地獄に堕ちて不幸を満喫しているのです。

「神の心」が「天」であり、「人間の心」は「地」で、永遠に天地一体になった時、そこに一人も地獄に堕ちることなき「地上天国」が建設されます。

「神の心」と合一して地獄に堕ちる人間は一人もいないからです。

「天地一体の原理」こそが、人類の「幸福の原理」なのです。

我々の暮らすこの「大宇宙」や「自然界」は、「神の心」(天)と「神の体」(地)が、永遠に合一している天地一体の世界です。

「神の心」(天)と「神の体」(地)の「矛盾」が、永遠に「統一」されている世界なのです。

「大宇宙の存在」、すなわち「神」ご自身は、「大宇宙」や「自然界」を通して、人類の「幸福の原理」を永遠に体現しておられるのです。

未熟な人類にも「我のようにせよ」と永遠に指導しておられます。

もっと言えば、「神の心」を否定した時、その時点で「地上天国」の建設は不可能になるのです。

「神」の存在を否定した時、人類は不幸になっていくしかないのです。

未熟で不完全な人類の中で、全人類の幸福を実現できるような人間は一人も存在しないからです。

それは「神」のみが可能なことなのです。

逆から言えば、「自然界」と同様、「神の心」を「天」に置くことができれば、そこに「地上天国」が建設されるということです。

「地上天国」とは、「神の存在」を否定してできるような世界ではないのです。

「神の心」と「人間の心」が離れ、天地が分離した時、世界は悪化を続け、人類の多くが不幸になり、この地獄に堕ちていくのです。

「神の心」と合一して地獄に堕ちる人間は一人もいません。

ならば当然の帰結ですが、一人も地獄に堕ちることなき「地上天国」を建設するには、「自然界」と同様、「神の心」を「天」に置いた世界を創るしかないのです。

どう屁理屈を言ったって、「未熟な人間」は、そうするしかないのです。

「神」と「信仰」の御前に選択の余地はないのです。

西田哲学でも説かれておりますけれども、「選択の自由」は、むしろ「自由」を失っている状態なのです。

「神」が過去・現在・未来の全人類を永遠に一体となって支配し、指導し、導き、育てておりますので、人間ではどうしようもないのです。

それを「忖度」だの、「都合」だの、「恣意」だの、色々とご都合主義でことを為そうとするから、今後も人類と世界は悪化を続けていくのです。

過去・現在・未来を通して「神の心」は変わらないのです。

永遠不変なのです。

2500年前の老子の時代でも、相対的な「自我」の「忖度」や「作為」を為さない、「自我で為さない」、「無為自然の道」が説かれており、「天地自然の理法」と「人間」との合一の道が説かれています。

それは現代でも、未来でも変わらないのです。

現代でも「自然即我」が「善」であり、自然と我とが離れれば「悪」なのです。

「神の心」が変わることはないのです。

「神」が過去・現在・未来の全人類を永遠に支配し、指導しており、この「宇宙即我」の関係を変えることのできる人間は存在しないのです。

従って誰であろうが、その「相対的な自我」を強めれば、同じく「相対的な物質」(神の体)の方面と「心」が波長同通しますし、「統一的な神我」、ないしは「統一的な良心」を強めれば、同じく「統一的な神の心」の方面と「心」が波長同通するのです。

そして人類が「神の心」と同通すれば、世界は良くなり、「神の体」と同通すれば、世界は悪くなるのです。

今の世界が悪化を続けているのは、人類の多くが「神の体」とその「心」が同通してしまっているからです。

「神の心」は永遠不変ですので、「神の体」と「心」が同通してしまっている限り、世界が良くなることはありません。

従って誰も世界を悪化させたい人はおりませんので、世界を良くしたければ、人間は自己の「統一的な良心」を強化するしか選択肢はありません。

「神」と「信仰」の御前に選択の余地はないのです。

まさにそうするしかないわけです。

そうしなければ「未熟な人類」は、未熟なりに「幸福」になれないのです。

「神」の支配というのは、人間ではどうしようもないのです。

「神の心」とも、「神の体」とも、「同ずぅじだぐなあーい」と鼻水垂らして、わがままこいたって「同ずぅ」するものは「同ずぅ」するのであり、どうしようもないのです。

この宇宙に生きている限り、「同ずぅじだぐなあーい」といくら泣き叫んでも、通用しないのです。

「神」と「人類」は永遠に一体で生きておりますので、人間ではどうにもなりません。

未来の人類もみな同じです。

自我を強化すれば、「神の体」に支配されますし、神我を強化すれば、「神の心」に支配されるのです。

ほんと、どうしようもないです。

人類と世界を良くしたければ、誰であろうが、自己の良心を強化し、「神の心」と波長同通していくしかありません。

これが「救世の法」の基本です。

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