FOMC(連邦公開市場委員会)において利上げが見送られました。
フェデラルファンド(FF)金利の目標誘導レンジ「0%~0.25%」のゼロ金利政策は継続です。
FOMC、世界経済懸念で利上げ見送り 年内実施の可能性は残す ロイター
FRBが利上げの条件としているのは二つです。
1 労働市場の改善
2 中期的にインフレ率が2%目標に向かって戻る確信が持てた時
この二つの条件を満たし、これに確信を持てた時と毎度言うわけですが、確かに「1」の労働市場の改善の条件は、表面的には満たしているわけですが、「2」のインフレ率2%に、あくまで拘るならば、FRBは2018年まで利上げできないことになります。
インフレ率が2%となるのは、FRB当局者の予測によれば2018年になるからです。
声明ではインフレ率の低下圧力を気にしていたようですが、年内の利上げには含みを持たせました。
年内に利上げするとアナウンスしているわけですが、本当に利上げできるのか疑問をもたせる見送りです。
ゴールドマンサックスは12月の利上げを言うわけですが、12月には、当然上記の条件であるインフレ率2%は達成できていないはずであり、中期的には2%になるという確信があって利上げするというならば、脆弱な金融市場が動揺しかねない。
特に声明を見ますと他国のせいで利上げできないと言っているように聞こえます。
「海外情勢をめぐる不透明性の増大を踏まえ、FOMCは待つことが適切と判断した」
「米国と諸外国の経済・金融上の関わりの深さを踏まえると、海外情勢を注視する必要がある」
「海外の動向が事実上、FRBの手足を縛ったとの考えを示した」
まるで発展途上国のような言容です。
先進国である大国が発展途上国やエマージング諸国の経済に影響を与えるというのは、よく聞きますが、エマージング諸国が大国の経済政策に影響を与え、その政策の手足を縛るというのはあまり聞きません。
大国がそれぞれ弱体化しているのではないか。
イエレン議長は「バタフライ効果経済」を強調していましたが、中国で何かあるとアメリカに波及して自動的に金融が引き締まってしまう。
中央銀行の独立性が脆弱化している。
世界が一緒になって経済成長をし、見通しにおいても先に何のリスクも存在しなくなるまで利上げができないとなれば、永久に利上げはできない。
セレンテ氏の言う通りアメリカは利上げができないというのは当を得ているかもしれません。
欧米日共に「ゼロ金利政策」であり、抜け出すことができないでいる。
誰かの罠にかかったのではないか。
本当にゼロ金利政策から抜け出せるのでしょうか。
これは日銀のゼロ金利政策の推移ですが、1999年3月に導入して数年を除いてほとんどがゼロ金利であり、抜け出せていません。
短期的に解除できても、すぐにゼロ金利に戻っている。
まるで「アリジゴク」です。
這い上がろうとするのですが、砂に蒔かれて落ちてしまう。
ゼロ金利から正常な金利に戻そうとするのですが、景気が悪くなってすぐにゼロ金利に戻さなければならなくなる。
アメリカも2008年12月からずっと「ゼロ金利」です。
今年の12月にゼロ金利を解除しますと7年間もの間、ゼロ金利を継続したことになります。
本来ゼロ金利は、一時的な緊急避難的措置ではなかったか。
王道の政策になってきている。
日銀とダブルのですね。
ゼロ金利は市場金利の上昇を抑える抜群の効果があるのは分かっておりますので、続けるわけですが、それに手を付けますとそうそうゼロ金利政策からは抜けられなくなる。
まるで覚醒剤患者みたいです。
一旦、覚醒剤に手を出すと、その快楽でやめられなくなる。
ちなみに私は覚醒剤などやったことはありませんし、みたこともありませんので誤解をしないように。
この「快楽」という「餌」に釣られて罠にかかったのではないか。
神理が善、利益は悪であり、この利益と快楽を目的とした世界を「バビロンの大淫婦」と言い、「姦淫のぶどう酒を飲んだ人類」と言う。
神の体を拝する「偶像崇拝」の極致の世界ですね。
世界経済の水面下にアリジゴクを造り、その下でウスバカゲロウが待っている。
先進国の中央銀行はパワーのあるオオクロアリです。
アリジゴクから必死で逃れようとするのですが、砂が落ちてきて這い上がることができない。
そのうち体力の限界が来て力なくウスバカゲロウに食されることになって消滅する。
これですね。
その後に出現するのはソクラテスの経済原理でしょうが、新しいものを作るには古いものは壊さなければいけませんからね。
宇宙の理法から言えば、快楽に耽れば耽った分だけの反作用があり、すなわち「不快」の反作用がある。
苦楽は物質と自我の感応関係から生じるものであり、有限であると同時に作用は反作用に等しい法則が作用します。
この世でその反作用を受ける場合もあれば、あの世で受ける場合もある。
この反作用をあの世では地獄と言う。
今回は恐らくこの世とあの世の双方で反作用が現象化するでしょう。
この世で残る者はあの世でも残り、この世で残らぬ者はあの世でも残らない。
天地一体の悟りと光が干渉していく時、この世で滅ぶものはあの世でも滅び、この世で生き残る者はあの世でも生き残る世界となる。
天地一体そのままが実在であり、神理です。
本来、天地一体の世界で天地を分ける物質と利益を拝んでいるわけであるから、ある意味自業自得。
神の心を拝むことを「信仰」と言い、神の体を拝むことを「偶像崇拝」と言う。
神への悟りと信仰によって生命が進化・向上した時、これを原因として結果現象化するもの、そしてこれを拝んで最上位に置いて目的とするもの、これを「偶像崇拝」と言う。
では生命が進化・向上すれば何が現象化するか?
地位が上がり、富が増加し、出世し、国益が上がる。
ただこれのみを拝む者を「偶像崇拝者」と言う。
日本ではこの利益のみを拝む者、それを保証する祈願を「拝み屋」と言い、「拝み屋の末路は哀れ」と言いますね。
それは神の体だけを拝み、悟りと信仰を無視して利益だけを拝んでいるからです。
大宇宙は神の神殿であり、聖地です。
利益と国益を拝んでいるということは、神の神殿で「商売」をしているということです。
かつてイエスは神殿で商売している者の商売道具を蹴散らしていたと思いますが、富にご奉仕していていいのでしょうか。
言うことと行うことが随分と違いますな。
神殿で商売している者は、蹴散らされるということですね。
「あきんど」ですな。
「へい、いらっしゃい、バカいっちょ上がり」の世界ですね。
なんで江戸っ子になるのかは知りませんけどね。
物質を拝んでいるわけであるから物質の相対性から、心の物差しが物質に置かれている場合、その相対性からまず比較する。
すると次に優劣の感情を偽創造し、優越感の快楽と劣等感の不快の苦楽をみずから作り上げていく。
苦悩も相対的、快楽も相対的であり、この相対的世界の中に人類の幸福はない。
そこには対立と矛盾しか存在しない。
それを最上位に置いて目的としているわけですから、偶像崇拝を犯している。
「板曼荼羅が本物か偽物か、なんて、バカ言うんじゃない。
板であろうが紙であろうが、そんなことは関係ないのだ。
大宇宙と言う神の心と体の中で、この神殿の中で人間の思うことと行うことが重要なのであって、板曼荼羅なんて、こんな人間の作ったもの、信じません」
そう言っておりました。
「こんな人間の作ったもの、こんな偶像、信じません」って言っていました。
中東ユダヤのヤーウェの考えが、GLAの教義と悟りにはよく出ています。
指導霊も中東のモーゼであり、あちら系の方ですね。
今回は釈迦仏教の再現が使命だったそうですから仏教の仮面を一応、被ってはおりますが、いたるところに中東系の考えと悟りが出ています。
やはり魂の生地は隠せないのでしょうね。
後から仏陀の本体が出てくるということで露払いをしていたそうです。
今は「魔王・仏陀」みたいに見えますけどね。
もう悟っているんだか、悟っていないんだか、もう何がなんだか。
GLAでは高橋信次氏の死後、
「あなたたち人類は、5年後、私、ミカエル佳子の前に膝まずくのよ。」
「もう、ひざまずくのよ。5年よ」
髪を振り乱して「私、女優よ」みたいな感じで、「私、女王よ」てな感じで、過去世見ると実際、女王さまのようで。
「あなた達、人類は5年後、ミカエル佳子である私の前にひざまずくのよ。
ひざまずかない方は、私の赤いハイヒールのかかとで、その高いお鼻を踏みつぶしてさし上げるわ。
5年よ。
あなた達、人類は私の前に膝まずくのよ」
・・・これは、・・偉すぎておしっこちびりそうだ。
「あなた達人類は、私の前にひざまずくのよ」
次の釈迦がでてきますと、
「ほら、あそこに銀河が見えるだろう。
おれはあの銀河を消したり、出したりできるんだ。
宇宙を出したり、消したりできるんだ、俺はぁ」
「・・・これは、ミカエル佳子の負けぇ、釈迦の勝ち。
偉さで釈迦の勝ちぃ。
それは宇宙を出したり消したりって、こりゃかなわん。
人類をひざまずかせるどころの話じゃないわ。
誰もかなわんわ。
少しおてやわらかに」
誰かそばで止める人はいなかったのですかね。
救世運動も今となっては、何がなんだか。
霊天上界も今となっては一致団結とはいかんでしょう。
それぞれある意味バラバラでしょうね。
結局はゼウス神にかかっているわけですが、神の神理と光の両方が行使されると思います。
結論は「この世で残る者はあの世でも残り、この世で滅ぶ者はあの世でも滅ぶ」ことになる。
数百年はあの世でも混乱が続くのではないか。
ただ何が起ころうとも最終最後には神において全人類は永遠にひとつであるという結論となり、全人類の答えも一つとなる。
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