
戒律 6
かつてオスカー・ワイルドは、一切はその人の内部から出てこなければならないのだと言いました。禅で言う「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」であり、無…
かつてオスカー・ワイルドは、一切はその人の内部から出てこなければならないのだと言いました。禅で言う「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」であり、無…
宗教的な「戒律」とは、単純に言えば方便の善ですが、神の心と人間の心のギャップと乖離から生まれているものであり、神的なものと言えば神的なものですが、人間的なものと…
神の心が実相であり、神の体が方便です。方便の真理とは、神の体に比喩した善ですので方便は天地の秩序から言えば「地」です。実相が「天」であり、方便が「地」で…
戒律は神の心から生まれるというより、あくまで正当な戒律の場合、人間の未熟から生まれています。大抵の戒律は、真理上の方便にすらなっていない戒律が多く、カルトに…
宇宙は神の心の表現体であり、宇宙や自然界は真理の表現体です。現行の人類が創る文明のような相対的な利益や国益の表現体ではないわけです。現象利益の表現体とは…
宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である : 西田幾多郎宇宙の存在とは、神の表現であるということは、宇宙が神であるということです。キリスト教などは、神と…
神我と良心は神の心と同通し、自我は神の体と同通します。人間は神の存在、いわゆる大宇宙と永遠に一体で生きておりますので、自己の心の在り方次第で神の心にも神の体…
実相が「天」であり、方便が「地」で、永遠に天地一体です。従って地獄界の創造原理とは、この「地」を「天」に置いた方便の真理の無限化です。神の秩序の破壊です…
道徳性と適法性とは、本物の善と偽物の善の関係のことですが、カント哲学では明確に区別されています。明確に区別するというのは、未だ方便であり、神我と自我を明確に…
「道徳性と適法性」(コードク)とは、真理のプロと真理の素人とを画然と分ける神の善悪の基本ですが、多くがこれを知りません。これも真理における神の善悪の基本の一…