安倍政権が、また歴史修正主義をやらかしていたようです。
自民党が歴史修正本バラマキ大顰蹙、自民党が海外の学者に歴史修正本をバラマキ大顰蹙! 豪の大学教授は「日本の立場にダメージ」と警告、資金源に疑惑も
背後で糸を引いているのは神道ですが、どうしても認める気はないようですね。
自己の尊敬されたい自愛のために、何としても歴史を書き換えようとしているのでしょうね。
自我が絶対化されていますが、あの世でこういった霊系団があるわけですから、すべての悪を悪魔や地獄霊のせいにしてもらっては困ります。
しかも国家単位で歴史を修正しようとしている点にカルト振りの異常性があらわれています。
記事にはこうあります。
南京大虐殺や従軍慰安婦の問題を「存在自体否定しよう」とし、さらにはユネスコへの拠出金停止をちらつかせ恫喝するなど、歴史修正主義的主張を全面展開している安倍政権。
国際社会からは大ひんしゅくを買っている恥ずかしい状況だが、国内メディアは政府・与党に丸ノリして、ユネスコと中国批判を展開している。
戦前もまさにこうやって国際社会から孤立していったんだろうな、と暗澹とした気分になる
この前「痛切な反省」だの「過去をこの胸に刻み続けます」と言ったばかりですが、言うことと行うことが見事に真逆です。
これを「心にもないことを口にする」、「二枚舌」、あるいは「ダブルスタンダード」と言います。
心で思っていることと行いが全く真逆です。
思うことの「主観」と行うことの「客観」が見事に分かれています。
本人らはそれを帝王学と思っているふしがある。
大衆は霊的未熟から利益と国益、あるいは快楽と物質に弱いわけです。
だから生命が信仰と悟りによって進化・向上した時、これを原因(神の心)として結果(神の体)あらわれる利益と国益、物質と現象、世界平和と非暴力、そして何よりも美辞麗句に弱いわけであり、平和や国益という「利益」を振りかざしていれば、大衆はこれに弱いためにだませることを知っているわけです。
戦争の本音を隠している者ほど平和(利益)という美辞麗句を囁く理由は大衆が、それでだませることを知っているからです。
富と権力、国益と軍事力を有している者に絶対服従する理由もこれですが、神の体に絶対服従しているわけです。
アメリカへの迎合もこれです。
神の正義などは関係ないわけです。
神の心ではなく、神の体に服従している政権ですね。
神の体は物質ですから相対的であり、この相対性から思うことの主観と行うことの客観が分離してくる。
物質に服従しているわけですから、物質の意味する利益と快楽が基準です。
例えば自己の名誉心という快楽のためには、どのような洗脳でも嘘でも言います。
徹頭徹尾、利益と国益、快楽と自我の欲求(悪)が目的ということです。
従軍慰安婦を認めることは不快であり、自己の快楽(悪)に合わないわけです。
悪が目的の政権ですから、こういった者は絶対に不快を認めません。
たとえ歴史上の事実でも不快ならば認めないのです。
自我と快楽が絶対化されているからです。
自我は必ず利益と快楽を求めるのです。
悪の見本ということです。
自我が絶対化されれば、神の体の方面の支配を受け、物質の属性を身につけます。
「ウフフ、従軍慰安婦があったというならば、証拠を出しなさい、証拠を、アーハッハッハ。
証拠を出しなさい、証拠を、アーハッハッハ」
「ウフフ、証拠を出しなさい、証拠を! アーハッハッハ。
南京虐殺があったというならば、証拠を出しなさい、証拠を! ワッハッハッハ」
これは物的証拠がなければ、どんな犯罪でも犯していいと思っている者です。
真実は物的証拠に問うものではなく、良心に問うものです。
自分の胸に問えば分かるはずです。
物的証拠がなければ、いくらでも白を切れると思っています。
悪というのは本気でそう思っているらしいのです。
自分のハートにノックすれば分かることです。
特に日本では洗脳が国家単位ですから、洗脳の本質はこの物質の意味する快楽と利益です。
これでだますのです。
これは悪魔も同じです。
悪魔も必ず利益と快楽でだますということです。
快楽のために善をいう光一元思想も虚栄です。
だから見えないところで、例えば日本会議を通して一生懸命歴史を修正し顰蹙をかっているわけです。
ひとえに不快だからです。
幸福のために、すなわち神のために善を言っているわけではないことは立証済みです。
善だけを言っていれば、見かけがいいわけです。
ところが本音は別ですから、歴史教科書問題や歴史修正主義で出るのです。
背後で動いているのは、すべて光一元思想です。
その快楽性と利益性の自我の作用が他国間との間で不信を蒔き、相互の無理解を生んでいる事実は言うまでもない。
上記の記事ではこう続きます。
またひとつ、安倍自民党が世界中に赤っ恥を発信していることが明らかになった。
最近、国内外の学者、知識人、ジャーナリストらに対し、自民党議員が“歴史修正本”を送りつけているというのだ。
自民党はこんなことを影でしていたのですね。
河野談話や村山談話を踏襲すると言っておりますが、本音ではないことはこの行動から明らかです。
三国同盟(イタリア・ドイツ・日本)の独裁政権において唯一反省していない国であり、責任者が裁かれなかった国です。
今回の救世の法の事業に、この第二次世界大戦の亡霊が関係してくるとは思いませんでした。
背後にいるのはすべて神道でした。
第二次世界大戦の時も、神道が背後にいたのでしょう。
海外の識者に送り付けていた「歴史修正本」は、
総じて韓国を徹底的に攻撃し、従軍慰安婦問題の捏造を主張するといった内容。
韓国や中国が歴史を「歪曲」しており、それを正すために、同封した書籍や記事を読んでほしい、ということらしいのだが、山口氏は〈ソースもほとんどないこれらの本は、明らかに研究者が資料として使える種類のものではない。
資料になるとすれば、「日本の歴史修正本」のサンプルとしての使い方しかないだろう〉と断じている。
今回の事案は、一般的な学者・研究者から見れば噴飯モノの“トンデモ歴史修正本”が自民党議員から送られてきた、というわけなのである。
一般的にはそうですが、日本国内では必ずしもそうではなく、この洗脳本を本気にしている方が神道の洗脳から割と多いのです。
従軍慰安婦や南京虐殺は、本当になかったと思って、信じ込んでいるのです。
反中国感情を利用して、意図的にそう誘導しているのです。
他国民は信じられないかもしれませんが、日本国内では本当にそう思っている人が多いのです。
だから神道カルトと呼ばれるわけですが、これは戦時中と全く同じ洗脳です。
歴史修正本の献本は自民党が、党として戦略的に行っているようです。
こんなことをしているから、どんなに謝罪しても本音で謝罪しているわけではなく、そう言わないと国際社会で経済活動ができないから利益のために謝罪していることがバレバレとなり、反感を買うのです。
口先の謝罪を見抜いているわけですね。
いずれにせよ、この戦略は海外からも明らかに“恥知らずの安倍政権”として映ったようだ。
モーリス=スズキ教授は、自民党の「対外戦略」を、「tragic and destructive ‘history wars’」(悲劇的かつ破壊的な“歴史戦”)と表現して論評を結んでいる。
ようするに、安倍政権がやっていることはグロテスクな歴史修正そのものであること、そして、政府・自民党のファナティックな行動が、日本の人々の総意でないとしても、国際社会からの日本全体の評価の失墜を招いていることを、冷静な視座から告げているのだ。
当然でしょう。
自国の名誉心で他国から尊敬され、憧れられたいといった自愛で歴史を修正しようとするのは間違いというよりも犯罪でしょう。
歴史を修正しようなどとは、傲慢な政権であり、神道だと思います。
神にでも成り上がっているつもりなのでしょうか。
しかして私の経験から言えば、神道は絶対に反省しませんし、認めません。
大衆の無知に付け込んで、かつてのおのが行為を糊塗し、必ず誤魔化し、歴史からなきものにしようとするはずです。
その神道の自我の異常性を私は知っています。
一般的な感覚ではこの異常性は、とても理解できるものではないと思っています。
従軍慰安婦や南京虐殺を本当に悪かったと思って反省している者が、こんなことをするわけはありません。
「痛切に反省」していないからしているわけです。
「過去をこの胸に刻み続け」ていないからしているのです。
ユネスコに日本人を送り込もうとしている意図は明白であり、従軍慰安婦のユネスコ登録を妨害しようとしているわけです。
バレバレです。
名誉心が傷つくわけですね。
だったら初めからしなければいいのです、したのならば謝罪することです。
被害者の方が納得できる内容と形で、まだ生きている内に良心を見せることです。
今回の神理の件でもそうですが、70年も誤魔化そうとしてきた国を誰が信用するのでしょう。
今更謝罪しても信用はされないと思いますよ。
信用されているのは、富だけです。
富をもっているからそれなりに扱われているのであって、それでもそれは人間としての信頼ではなく、富への信頼だということを忘れないことです。
人類は神道の名誉心を満たすために生きているわけではないことが、どうしても理解できないようです。
すべてを自分中心で考えるのは「サイコパス」です。
自国内で神道の名誉心を満たすために自国民を奴隷化しているからと言って、他国民にまで強要するのは間違いです。
従軍慰安婦がなかった、南京虐殺はなかったと言うのは、神道に洗脳されている日本人だけであり、日本人以外でどこの国民が「なかった」と言っているのでしょう。
頑なにケチをつけているのは日本人だけです。
嘘をまかないことです。
そこには被害者もまだ生きているのです。
セカンドレイプはおやめになることです。
それでもやめないでしょうね。
「従軍慰安婦はなかったのだ、韓国政府の陰謀なのだ。
あいつらは嘘をついているのだ」
「南京大虐殺などはなかったのだ、中国政府のプロパガンダなのだ」
永久にそうなのでしょう。
認めないわけですから、議論がかみ合うわけはありません。
警察官と犯罪者の相互理解はないということですね。
自分の胸に問えない方ですから、善を語るのはおこがましいですね。
胸に問えない生命の欠如が「日本鬼子」と、かつて言われた所以であり、あれだけ残酷なことができた理由でもあります。
善を、自己を美しく見せる化粧道具に使うのはおやめなさいとしか言いようがありません。
善は虚栄の道具ではないのです。
言っても分からんでしょうがね。
Very interesting topic, thankyou for posting. “It is much easier to try one’s hand at many things than to concentrate one’s powers on one thing.” by Quintilian.