本日、6月18日に毎月勤労統計調査4月の確報が公表されました。
PDFの12ページの左下です。
「マイナス0.1%」とあります。
前回の記事で、「確報は下方修正されるかもしれません」と書きましたが、やはりというべきでしょうか、速報のプラス0.1%からマイナス0.1%へと下方修正されました。
これで今年は今のところ速報がすべて下方修正されていることになります。
報道では実質賃金は24ヵ月連続の減少となりました。
4月の実質賃金、確報値は0.1%減 給与総額は2カ月ぶり増 日経
「現金給与総額から物価上昇分を除いた実質賃金は前年同月比0.1%減と24カ月連続で減少した」
この手の報道でたまに思うのですが、記事には確かに「24ヵ月連続で減少」とあるのですが、厚生労働省の毎月勤労統計調査を見ますと、どう見ても実質賃金が連続減少を始めたのは2013年7月からであり、連続というならば「22か月連続減少」とすべきなのに24ヵ月と報道されています。
自分の統計の見方が間違っているのかなとも思いましたが、この表を作成された方を見ますと別に間違っているわけでもないらしい。
確かに2013年7月から実質賃金は減少を始めているわけです。
確報にもそう記載されていますから統計の見方が間違っているわけでもない。
すると2013年7月から2015年4月まで連続減少をしているわけですから、どう見ても「22ヵ月連続減少」が正しい。
ところが報道では経済の専門紙・日経新聞でも上記のように「24ヵ月連続減少」と報道します。
いつも2ヵ月後に発表されますから6月の発表時点で、5月と6月の2ヵ月分を入れて24ヵ月と言っているのかなとも思いますが、下記の記事を見ますとそうでもないらしい。
実質賃金、2年ぶりプラス 消費増税の影響一巡、賃上げ広がり 日経
「2013年4月(0.4%増)以来2年ぶりにプラスに転じた」
上記の表をご覧下さい。
2013年4月の実質賃金はプラス0.7%であり、プラス0.4%ではない。
12ページの左下ですが、どう見ても厚生労働省の出している数字では「プラス0.7%」なのです。
なのに「0.4%増」と報道する。
これはどういうことなのか分かりませんが、2013年4月の確報ではなく速報が0.4%だったのかもしれないと思ったりしています。
しかし厚生労働省のサイトでは以前の速報は確認できません。
日経だけではなく、大手のロイターも日経と同じ数字を使っています。
「物価の変動を考慮した実質賃金は前年比0.1%増となり、2013年4月(同0.4%増)以来、2年ぶりのプラスとなった」
やはり「0.4%増」と報道しています。
今は記事は削除されていますけれども毎日も読売も大手報道機関は同じ数字を使っています。
実質賃金が24ヵ月連続減少と捉えるならば、2015年4月から24ヵ月遡れば2013年5月から実質賃金が減少を始めたと思うでしょう。
ところが上記の表でもそうですが、2013年5月の実質賃金は減少ではなく、「プラス0.2%」です。
6月も「プラス0.3%」であり、実質賃金の減少は明らかに2013年7月から始まっているのです。
2013年7月から2015年4月までの22か月連続減少が正しい。
上記のロイターの報道では、確かに2015年4月から24ヵ月を遡れば2013年5月となり、だからこそ2013年4月以来のプラスと報じました。
ところが厚生労働省の数字から述べますと正確には、「2013年6月以来のプラス」と速報段階で報道すべきなのです。
大手報道機関の報道を見ますと誤解しかねない場合が、たまにあります。
ちぐはぐな報道です。
大手の報道機関でもそれをそのまま鵜呑みにすれば、間違った数字を記憶し、前提としかねない場合が、こういった事例から分かります。
だから正確には24ヵ月連続減少ではなく、22ヵ月連続減少であり、実質賃金がプラスに転じた場合は、2013年5月から減少が始まったと勘違いをして2013年4月以来のプラスと認識するのではなく、2013年6月以来のプラスと認識すべきだと思います。
私の方がどこか間違っているのかもしれませんが、統計数字からはそうとしか読めない。
こういった不可思議な報道がまれにあります。
以前にもありました。
大手の報道機関がそろって間違う理由は、恐らく横並びの報道姿勢にあるのではないかと推測しています。
独裁者が一人間違うとすべての国民が間違うのと同じ現象ではないかと思っています。
独裁者が信用できないように、今の報道は福島の件でもそうですが、すべての報道を鵜呑みにはできない。
間違った権威主義とも言えそうです。
権威でもないものを権威だと思い、間違った情報を信じ込まされる。
報道にはこういった理解に苦しむ事例があります。
バグっている情報です。
実質賃金がマイナス0.1%と言うことは、22ヵ月連続減少であり、賃金が物価上昇率を下回っている、すなわち物価に賃金が追い付いていないということです。
人口減少下の日本では経済の縮小過程にあるわけで、ある意味自然現象です。
このまま物価が上昇を続け、賃金が追い付かない状況とは、スタグフレーションでしょう。
原油価格が上がったらどうするのでしょう。
富は必ず我々を裏切るものである エマソン
神の体(利益・国益)は必ず我々を裏切るものである。
神の体、すなわち物質は必ず我々を裏切るものであるから中東では、物質を拝む「偶像崇拝」を禁止してきました。
物質は相対的、自我も相対的、神の体の時空も相対的であり、相対的なものに救済も幸福もない。
相対的なものを中心に置けば、必ず矛盾と対立から逃れられず、その矛盾と対立は無限の歪みを現象化していく。
ここに人類の幸福も救済もない。
だから心ある者は、絶対的存在である神の心を求めていく。
我々には完全な神の心は悟れないけれども、赤子が母親の乳房を本能で求めるように神の子も神の心を本能で求めていく。
この生命の本能を「求道心」と言う。
本能であるから「求道心」は他人から教えられる心ではない。
仏教ではこれを「菩提心」と言い、最も大切な心と説かれている。
生命の本能を持たない者に神の心を説いても、それは猫に小判、豚に真珠であり、小判と真珠を足で踏みつけていくだけである。
西田哲学ではこの生命の本能たる求道心を、自然の欲求と言っていた。
人間性の基本と述べておられたと思います。
してみると西田博士は「求道心」を人間性の基本と見ていたことになります。
「求道心」とは神理たる神の心を求める心であるから、神の心を求め、信ずる心こそが、人間性の基本であり、これを失った心が世界の腐敗を生んでいると言う意味になる。
神への信仰が人間性の基本であるということだ。
これを失った時、人は人間性を失うのだ。
自分らしさをも失う。
してみると世界の腐敗は、人間性の喪失とそれをもたらす神への信仰の欠如が原因と言える。
神の体、すなわち物質はこの人間性を奪い、自分らしさを喪失させるがゆえにエマソンが述べていたように、我々を真の意味で裏切るのだ。
試しに利益と国益を追っていくがいい。
必ず何かを欲し、得ようとするがゆえに自分らしさを失っていく。
国益を極端に追って得れば、自分を失う。
利益を極端に追って得れば、自分を失う。
快楽を過剰に追って、それを得れば、その時、一番大切なものを失う。
この大切なものを「人間性」と言う。
ゼウス神の真意は人間性の解放であり、これは神の心と合致した時にのみあらわれる人間の本性である。
快不快、利益不利益はコインの裏表であり、互いに切れず、心の中道を失い、両極端にぶれて神の心、この自己の本質と実体から遠ざかることになる。
両極端とは心が物質と一体化し、神の心と自己が分離している状態である。
快楽にのみ耽れば人間性を失う。
不快にのみ捉われれば人間性を失う。
快不快は物質から生じ、利益不利益も物質から生じている。
物質から生じるものに人間性はない。
人間性は神の心より生じて発現し、神の体より生じることはない。
故に「偶像崇拝」は人間性を喪失させるがゆえに、世界の良化に役立つことはない。
人は神の体を拝んだ時、自己を失い、人間性を失い、世界のがん細胞となって荒らしていくことになる。
神への信仰のみが人間性を解放し、世界を良化していくことになる。
神への信仰こそが人間性の基本と言える。
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