真理関係

大救世運動の敗因

宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である : 西田幾多郎

宇宙は神の心の表現体ですので、「大宇宙の存在」を「神」と言います。

大宇宙の構造と仕組みは、神の心が「天」であり、神の体(物質)が「地」で、永遠に天地一体です。

神の心が「幸福」であり、神の体が「快楽」で、幸福即快楽で天地一体の世界です。

神の心が「真理」であり、神の体が「現象利益」で、真理即現象利益で天地一体の世界です。

神の心が「統一」であり、神の体が「矛盾」で、統一即矛盾で天地一体の世界です。

神の心が「原因」であり、神の体が「結果」で、原因即結果で天地一体の世界です。

神の心が「絶対的なもの」であり、神の体が「相対的なもの」で、絶対即相対で天地一体の世界です。

神の心が「神我(良心)」であり、神の体が「自我」で、神我即自我で天地一体の世界です。

「天地一体の原理」が、人類の「幸福の原理」であり、「天地分離の原理」が、人類の「不幸の原理」です。

人類が不幸になりたければ、大宇宙の構造と仕組みに反して天地を分離すれば、必ず不幸になれます。

神の心(天)と神の体(地)の天地を切り、良心(天)と自我(地)の天地を切り、真理(天)と現象利益(地)の天地を切り、統一(天)と矛盾(地)の天地を切り、幸福(天)と快楽(地)の天地を切り、あの世(天)とこの世(地)の天地を切れば、人類は必ず不幸になれます。

人類が幸福になりたければ、大宇宙の構造と仕組みの通り、天地を一体にすれば、必ず幸福になれます。

神の心(天)と神の体(地)の天地を合一し、良心(天)と自我(地)の天地を合一し、真理(天)と現象利益(地)の天地を合一し、統一(天)と矛盾(地)の天地を合一し、幸福(天)と快楽(地)の天地を合一し、あの世(天)とこの世(地)の天地を合一し、天地一体の原理に生きれば、人類は必ず幸福になれます。

「幸福になる」とは、一人も地獄に堕ちることはないということです。

地獄に堕ちれば不幸ですが、地獄に堕ちないわけですから、人類の幸福が実現していきます。

神の心が「天」であり、人間の心が「地」で、永遠に天地一体です。

「神の心」と「人間の心」が天地一体となれば、地獄に堕ちる人間は消滅し、存在しなくなりますので、人類の幸福が実現していくのです。

神の心と合一して地獄に堕ちる人はいません。

すなわち神の心には、不幸が「ひとかけら」もないのです。

これを幸福の科学では、「あの世とこの世を貫く幸福」と説いていたわけですが、あの世の「天」とこの世の「地」が貫かれた「天地一体の原理」です。

この「天地一体の原理」は、確かに人類の「幸福の原理」なのです。

ただ注意すべきは「あの世とこの世を貫く幸福」というのは、あくまで方便であり、結果に過ぎません。

説いている本人があの世とこの世を貫いておりませんでしたので、その原因と理由を知っておく必要があるのです。

あの世とこの世は、「利益と快楽」(神の体)を本音にし、「天」に置けば貫くことはできなくなるのです。

幸福の科学は、教祖がこの「利益と快楽」(神の体)を本音にし、「天」に置いていたため、あの世とこの世を貫くことができなくなり、高級霊の霊言を下ろせなくなったのです。

大宇宙では、神の心が「天」であり、神の体は「地」で、永遠に天地一体の世界です。

大宇宙の通り、神の心を本音とし、「天」に置かなければ、あの世とこの世を貫くことはできないのです。

大宇宙や自然界では、永遠に神の心が「天」に置かれているため、人間がこれを「地」に置けば、大宇宙と人間が切断され、「宇宙即我」の悟りを失い、宇宙と我とが分かれ、高級霊の指導を受けることができなくなるのです。

諸如来諸菩薩、光の天使は、「宇宙の心」の通りにしか生きることはできませんので、人間のほうが「宇宙の心」と離れていきますと、指導できなくなるのです。

高級霊の霊言を出せなくなった原因とは、教祖が「神の正しさ」を本音にできず、「天」に置けなかったことが原因なのです。

神の体(利益と快楽)を「天」に置いた「自分」を反省しなければならなかったのですが、反省しなかったのです。

すなわちこれが今回の大救世運動の失敗の原因です。

「神の心」を最後まで「天」に置ける人間でなければ、地球の救世はできないということです。

この「救世運動の敗因」を知っておかなければならず、地球の救世とは、最後の最後まで大宇宙と同様、神の心を「天」に置けるかどうかなのです。

神の心を「天」に置くとは、神の心を信ずることができるかどうかということです。

神の心を信ずることのできない人間は、地球の救世はできないのです。

神の心(真理)と神の体(現象利益)は永遠に一体であり、神の創られた世界は、永遠に「真理即現象利益」の世界なのです。

「真理即現象利益」の理法が働いている世界です。

従って真理(幸福)を説けば、この「真理即現象利益」の理法によって、必ず現象利益(快楽)の矛盾があらわれるのです。

真理と現象利益の関係は、真理即現象利益であり、双方は一実在の両方面です。

統一即矛盾で天地一体なのです。

統一と矛盾を切ったら実在(無限)とはならず、自我(有限)となります。

真理を説けば、必ず現象利益があらわれるということです。

神の心(真理)が、神の体(現象利益)をあらわしているのと同じであり、これが「宇宙を生きる」と言うことです。

それが本当の真理であれば、あるほど、その真理の「質」に見合う莫大な「現象利益」があらわれてくるのです。

初期の幸福の科学も莫大な「現象利益」があらわれていたはずです。

この時、このあらわれてきた「現象利益」のほうを握れば、その時点で救世運動は終わるのです。

中心人物が、この「真理即現象利益」の理法によって現象化してくる「現象利益(快楽)」のほうを「心」で握り、「天」に置いた瞬間、その時点で救世運動は終了するのです。

今回の救世運動もこれで終了したのです。

教祖が宗教ビジネスと称し、宇宙の構造と仕組みに反し、神の体(現象利益)のほうを「天」に置き、宇宙と我とが切られてしまったのです。

「真理即現象利益」の理法を悟ることができず、「即の中道」を外れ、右の現象利益に偏ったのです。

真理と現象利益、神の心と神の体は一つであり、「真理即現象利益」、「神の心即神の体」で永遠に一体なのです。

神の心を悟るとは、真理と現象利益の左右の矛盾を統一している「紙一重」を悟ることであり、神の心と神の体の左右の矛盾を統一している「即の中道」を悟ることなのです。

悟りとは「紙一重」です。

神の心(無限)は、「真理」と「現象利益」の左右の矛盾を統一している「紙一重」にあり、「神の心」と「神の体」(物質)の左右の矛盾を統一している「紙一重」の領域にあるのです。

この真理の「紙一重」を悟っていない人間は、救世の出来る人間ではなく、いずれ自我に偏り、右の「利益と快楽」の方面に偏って道を逸れていくのです。

左右の両極端を捨てて中道に入れ : 高橋信次

この真理の「紙一重」を悟れなかった人間は、現象利益があらわれてきた時、必ず右の現象利益や快楽に偏り、「即の中道」を外れ、道を逸れていくのです。

今回のイエスを中心とした大救世運動が、失敗してしまった原因とは、中心人物がこの「即の中道」を悟れず、真理の「紙一重」を悟っていなかったことが原因なのです。

だから実に野放図に利益に身を乗り出し、快楽に飛びついていました。

まさに「未熟」であり、「悟り不足」としか言いようがありません。

あんなに簡単に「利益と快楽」(神の体)に飛びつくような人間では、「地球の救世」はできないのです。

我々が暮らす大宇宙や自然界では、神の心が永遠に「天」に置かれているからです。

永遠に「地」と定められている神の体(現象利益)を「天」に置けば、直ぐに大宇宙と自分自身が切られてしまうのです。

大宇宙と切られている人間を指導するような高級霊はいないのです。

神の創られた正しき世界は、「真理即現象利益」の世界ですので、それが本当の真理であり、本当の神の心であれば、あるほど、その神の心の「質」に見合う莫大な「現象利益」があらわれてくる創りになっているのです。

この時、もしその悟りに「未熟」があれば、必ずそのあらわれてきた「現象利益」のほうを握って、道を逸れていくのです。

「真理即現象利益」の「即の中道」の「紙一重」を悟っていないからです。

神の心は説かざるを得ず、説けば、「真理即現象利益」の理法から、必ず現象利益があらわれてきます。

この時、「即の中道」の「紙一重」を外れ、現象利益の方を握れば、アウトであり、救世運動はその時点で終了するのです。

高級霊が戻ってくることはありません。

今回の救世運動もかなり早い時期にこの理由で終了したのです。

大宇宙や自然界と同様、如何なる莫大な現象利益があらわれてこようが、最後の最後まで神の心を「天」に置ける人間でなければ、地球の救世はできないのです。

必ず途中でその現象化してきた「利益と快楽」のほうを握ってしまうからです。

神の心を「天」に置くとは、神の心を信ずることができるか否かなのです。

神の心を信ずることができなければ、宇宙と同様、神の心を「天」に置くことはできません。

大抵の人間はできないのです。

途中で必ずと言っていいほど、そのあらわれてきた「利益と快楽」のほうを心で握るのです。

そういう人間に救世はできないのです。

もし人類の中で「神の心」を最後の最後まで「天」に置くことのできる人間が存在しなければ、誰も地球と人類を救うことはできないのです。

神への信仰が世界と人類を救うのです。

神への信仰によって神の心を「天」に置くため、神の心を永遠に「天」に置いておられる眼前の大宇宙と我とが融合していくからです。

大宇宙と融合していくがゆえに救世が可能になるのです。

「宇宙即我」の悟りを持っている人間でなければ、神の心を説くことはできず、地球と人類を救うこともできません。

神への信仰を通して、神の心を「天」に置くことができれば、それを永遠に「天」に置いておられる大宇宙や自然界と融合していくため、その大宇宙そのもの、自然界そのもの、すなわち神そのものが全人類を救済していくのです。

今回の救世運動は、その「天」に置くべき神の心を、宗教ビジネスと称し、金儲けの道具に堕とし、「地」に置いたのです。

神ご自身が、大宇宙を通し、自然界を通し、多次元世界を通して、永遠に「天」に置いておられる「神の心」を道具にし、「地」に置いたのです。

当然、大宇宙と自己は分かれ、自然界と自己が分断することになりますので、神や諸神霊の指導は止まり、悟りは低下を続けた挙句、喪失し、その利益の「矛盾」に突かれ、魔に蹂躙されていくことになるのです。

悪魔とは「鬼軍曹」であり、イエスや高橋信次氏のように優しくはないのです。

その悟りに「寸毫」でも「未熟」があれば、情け容赦なくその「悟り不足」を突いてくるのです。

そして最後は殺すところまで行くのです。

あの世の日蓮も厳しく注意し、警告していたはずであり、正法行者と言うのは「職業戦士」であり、魔との闘いは避けられません。

避けようとしても、避けられず、逃げようとしても、逃げられないのです。

魔との闘いは避けられませんので、「職業戦士」は負ければ「死ぬ」のです。

やたら死人が多く、何か負けた戦士ばっかりですが。

死にたくなければ、「神の正しき心」を悟り続けていくしかありません。

サメの如く、一生泳ぎ続けなければ「死ぬ」のです。

一生、悟り続けていくしか生き残る道はありません。

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