いつもご覧頂きありがとうございます。
また色々とご迷惑をおかけし、心苦しく感じています。
入院中は、ずっとこちらの緊急連絡用サイトで更新を続けていました。
昨日(2月10日)、無事退院致しましたことを、ここにご報告致します。
実は、母が足の治療で毎日看護師の方に自宅に来て頂き、薬や包帯を巻いて下さっていたのですが、一定期間が経過すれば、定期的に病院で診てもらっていたのです。
その時、治療時の血圧が非常に高く、お医者さんも「こんな高い血圧は見たこともない」と言われたので、心配となり、一度国立の病院で診てもらったのです。
CTスキャンで、偶然見つかったわけですが、胸と腹部に動脈瘤が2か所見つかり、いつ破裂してもおかしくない状況と言われ、緊急に手術が決まったのです。
動脈瘤が破裂すれば、死に関わってきますので、お医者さんからは、「胸と腹部の動脈瘤の手術と足に血流が流れていないので、その血液が流れる手術の計3回の手術が必要」と診断されたのです。
お医者さんからは、胸か背中に痛みが走ったら、即座に救急車を呼ぶように忠告され、場合によっては緊急手術の可能性も示唆されました。
母の動脈瘤は、いつ破裂してもおかしくない状況だったのです。
動脈瘤は、破裂するまで本人の自覚症状がなく、たまたま見つかることが多いそうであり、母の場合は、不幸中の幸いであり、関係のない足の検査で、まさに偶然、CTスキャンで胸と腹部の動脈瘤が見つかったのです。
1回目の手術は、右足の付け根から血を流す「カテーテル何とか」と言う手術であり、先週の火曜日(2月3日)に入院し、4日に手術を終え、三泊四日で、無事6日に退院しました。
こちらも入院中であり、何もできなかったわけですが、家族に迷惑をかけました。
2回目の手術は来週の17日にあり、16日に入院、17日に手術と言う段取りになっています。
恐らく1週間の入院が必要であろうと言われました。
腹部か胸のどちらか分かりませんが、動脈瘤の手術です。
最後の3回目の手術は、まだ決まっておりませんが、来月の初めにずれ込む可能性が高いです。
今の病院は、どこでもそうなのかもしれませんが、感染症対策に厳しく、病室での面会はできないことになっており、たとえ家族でも所定の場所でしか面会することはできず、私の入院していた病院は「30分」の面会しか許されず、母の入院する病院でも面会時間は「10分」です。
マスク着用は義務であり、集団感染を非常に警戒しているようです。
入院と退院は、大変あわただしく、母のほうは足が悪く、普通に歩けませんので、車椅子で自動車に乗せるのも大仕事になります。
入院中は毎日ブログを更新することができましたが、今後は不定期になりそうです。
なるべく更新しようとは思っておりますが、片腕ではどうしても限界があります。
現時点では、長文が書けないのです。
私のほうも診察とリハビリが、まだまだ必要な状況ですが、3月から「Creator’s Report」を再開致します。
どうせゼウス神が動かなければ、どの神霊も何もできないのです。
今までどの神霊も何もできなかった理由や世紀末の予言が全て外れた理由も同じです。
他の神霊の中には、自分が偉いと言われたいと言うどうでもいい欲望を満たすために、いたずらに日々、不必要な犠牲を出しておりますが、真に偉大な神霊はそういうことはしないし、したこともないのです。
ただ真っ当な神霊は、そういった異常なことを、今までしたことがなかったために、この天上界の異常な悪を知らなかった神霊が多いのです。
これは決して悪魔がやっていることではないのです。
今回、初めてその異常性を理解し、知った神霊も多いのです。
まさに面食らったという感じのようです。
絶体、地獄界ができることをしているのは、天上界の特定の神霊なのです。
善や真理を目的にしてきた神霊は、地獄界を創るという発想自体がなく、今まで善を、ずっと目的にしてきておりますので、この悪に気づかなかったのです。
地獄界は結果の世界であり、悪魔が地獄界を創っているのではないのです。
結果には必ず原因があります。
天上界のある特定の神霊の動きが原因であり、その結果として地獄界が創られたのです。
その天上界の原因のほうを、ルシフェルという存在は、象徴としてその理由と意味をよく体現しています。
立ち向かうルシフェルの存在は鏡なり、天上界のある特定の神霊の姿を映してや見んということです。
気づいた人が、どれだけいるのかは知りませんが、今回は、仏教的解脱観では決して説明のできないキリスト教的な堕天使・ルシフェルの問題の解答も明確に出ました。
キリスト教徒も、仏教徒も、堕天使・ルシフェルが堕天した原因を理解していないはずです。
皮肉にも霊言が出たから分かったのです。
霊言が出なければ分からなかったということです。
ただそのような不誠実なことをしていれば、人間のほうが真面目に真理や善を信ずることができなくなるのではないか。
神は、人が人を騙したり、陥れたり、嘘をついたりするような人間ばかりとなれば、人に不信を撒く世界ができるだけであり、世界と人類が良くなるようには創っていないのです。
人類と世界を本当に良くしたければ、善に対して正直に生きるしか選択肢がないのです。
自己が偉くなるために神の心を手段として利用したり、自己が「利益と快楽」を得るために人を騙したり、嘘をついたり、美辞麗句を弄したりしても意味はなく、実害なだけです。
人が人を崇めるのも結構ですが、その「偉い」と言っている本人が悟り、向上していかなければ、世界は良くならないのです。
「偉い」と言われれば、それでいいというものではないのです。
その特定の人間を、知りもしないのに、たとえ「偉い」と称賛しても、その「偉い」と言っている本人自身が向上・進化しなければ、世界が良くなることはないのです。
人類の不幸の全ての原因とは、人類各人の「心の未熟」だからです。
「偉い」と言うのは、一つの結果に過ぎず、単なる方便であり、目的にもならないけれども、否定もできないものです。
人から「偉い」と言われることを目的にするのは、明確に間違いであり、そんなことを目的にする暇があったら、人類の不幸の原因である「未熟」を消滅させるために、神の心をみずから悟り、一人一人が向上・進化していくことです。
偉人や天才を「偉い」と言うことによって、それを免罪符とし、自己の「未熟」を誤魔化さないことです。
個々人が「未熟」である限り、人類の不幸がなくなることはないのです。
そういう厳然とした法則が、この宇宙では永遠に働いているのです。
「偉い者」を「偉い」と言い、その「偉い」と言っている本人が「未熟」なままならば、その「偉い」に意味はなく、実害でしかないのです。
一人一人の悟りを通した成熟と進化のみが、人類の不幸を消滅していくのです。
個々人の「心」が向上・進化しなければ、人類の幸福はありません。
宗教家によく見かけますが、「偉い」と言われる「感情の快楽」にご執着なさるのは、おかしいことなのです。
悟りが「天」であり、高度な真理を説けば、これを原因として結果、「偉い」と言われますので、「偉い」は「地」の属性に過ぎないのです。
悟りが「天」であり、「偉い」が「地」で、永遠に天地一体です。
この「地」である「偉い」を「天」に置けば、それが宗教戦争の原因となり、地獄界を創造してしまうのです。
我々未熟な人間にとって「永遠の目的」となり、「天」に置くべきものは「神の心」のみであり、「偉い」ではありません。
神の心というのは、人間が高々1万年や10万年生きたぐらいで悟れるような小さな心ではないのです。
80年しか生きられない人間が、慢心したり、自惚れるというのは、まるで神の心の偉大さを理解できていない証拠に過ぎません。
悟りに上限はないのです。
我々人間は、永遠に神の背中を追っている存在です。
時々、振り返って励ましてくれることもありますけれども、神の心は「永遠の目的」ですので、人間はその大きな背中を追うことしかできないのです。
そうすることしかできない道こそが、人類の幸福の道なのです。
取り合えず、今まで長らくご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
























この記事へのコメントはありません。