真理関係

真理の柱 7

キリスト教では、「百匹の羊」の比喩が説かれています。

ここに「百匹の羊」を持った羊飼いがいるとする。

そのうち一匹の羊が群れからはぐれていなくなってしまった。

果たして羊飼いはどうするのか。

「羊飼い」と言うのは、愛に生きる者の象徴です。

その羊飼いは、残りの九十九匹の羊をその場に放っておいてでも、そのはぐれた一匹の羊を探しにいくのだ。

一人も切り捨てない、一人も見捨てない、一人残らずを救うという神の全人類救済への思いを説いた教えです。

決してそのはぐれた羊を一人にはしない。

必ず探しにいく。

愛とは喜びを2倍にし、悲しみを半分にします。

ミカエルからも啓示を受けたことがありますが、ミカエルは愛とは足し算ではなく、掛け算であると言っていました。

人間の10の愛と10の愛が結びつけば、10+10の20の愛とはならず、10×10の100の愛になるのだ、と。

「百匹の羊」には、2つの意味があり、一つは「一人残らずを救う全人類救済」であり、二つにはこの「愛は喜びを2倍にし、悲しみを半分にする」、この2つです。

だからはぐれた一匹の羊を羊飼いは、必ず探しに行く。

村八分を信念とする神道の教えとは異なり、そのはぐれた一匹の羊の苦悩を半分背負い、悲しみを半分にしてやることが愛に生きる者の使命なのだと説いているのです。

そして共に喜びますので、愛は喜びを2倍にします。

この「一人残らずを救う」という部分に甚大な影響を受け、全人類救済を探究していったわけですが、当時大川さんがこれをせせら笑っていました。

99人を犠牲にしてでも、1人を助けに行くという間抜けな判断をせせら笑っていたのです。

確かに未熟な人間の創る社会では、1人を救うか、99人を救うかの選択に迫られる場合があります。

戦場において、指揮官は1人を犠牲にしてでも、99人のほうを救う選択をしなければならない時もあるでしょう。

そんなことは分かっていますが、私が常に99人を犠牲にしてでも、その1人を救う選択をすると思ってせせら笑っていたのです。

見下すようにあざ笑いながら、「あなたがそう思い、そう説くのは勝手です。

ただしその責任はあなたが取りなさいよ」と私にテレパシーのようなもので言っていました。

霊道も開いていないのに、どうして分かるのか知りませんが、どういうわけか必要ならば分かるのです。

また神霊の中には、あえて私に実名が分かるように指導してくる場合もありますし、当時は私と大川さんを意識レベルで結び付けていた神霊が、恐らくいたのです。

だから当時は大川さんの本音や思っていることがよく分かりました。

幸福の科学が生き神信仰を始めてから、電波が混戦するように分かりにくくなりましたが、それでも1990年代の後半ぐらいまではそういった状態が続いていたのです。

せせら笑うのは勝手ですが、勘違いしてもらっては困るのは、この「百匹の羊」の比喩は、イエスが聖書で述べている比喩であり、私が言ったのではないのです。

つまり大川さんは、イエス・キリストの教えをあざ笑っていたのです。

本当に神のない人だなと思いましたが、イエスが言っていたのは、不完全な人間が創る不可避な選択的判断のことを言っていたのではなく、「神の思い」について言っていたのです。

神の思いは「一人も切り捨てず、一人も見捨てず、一人残らずを救う」ことにあるという人類救済の思いを説いていたのです。

この「百匹の羊」の比喩に大きな影響を受けてしまったために、一人残らずの全人類救済を探究していったわけですが、当時は絶望を感じました。

当時の世界人口は50数億人ほどであり、「・・これを一人残らずなのか・・」と思って絶望したのです。

その数に圧倒されたのです。

しかしてこの「神の思い」は正しいと思っておりましたので、ここで正しさの「希望」と「絶望」の矛盾を解消する作業を始めたのです。

果たしてそのようなことが可能なのか?

当時はその不可能性から絶望しか感じることはできませんでした。

50数億の一人残らずを救う法とは何か、当時はどこから手をつけていいのかも全く分かりませんでした。

この全人類救済の探究の過程で受けた啓示が「家庭ユートピア」の思想だったのです。

これも何故、孔子だと分かったのか知りませんが、どういうわけか分かったのです。

50数億という膨大な人間を救う真理を、絶望を感じつつ、真剣に探究していったわけですが、憐れと思うてくれたのでしょう。

その過程で孔子が声なき声で教えてくれたわけです。

「お前は全人類50数億を救おうなんて思い、真理を探究するのもいいけれども、我々は人類をそう見ていないのだ。

お前の周りにも家族がいるであろう。

2人、3人といるであろう。

50数億ではなく、お前の周りにいるたった3人でいいのだ、たった2人でいいのだ。

そのお前の周りにいる、わずか2名から3名の人間とユートピアを創り、幸福を生み出すことができれば、それで今回のお前の人生は合格なのだ。

2名、3名とお前の命題とは違うけれども、もし全人類全てが、その周りにいるたった2名、あるいは3名の人間を幸福にすることができれば、もし人類の全てがそう生きることができれば、それが地球ユートピアなのだ。

菩薩に進化するまで人類救済はできない、あるいは如来にまで進化しなければ人類救済はできないと説いてはならない。

5次元精霊界であろうが、6次元霊界であろうが、たとえ未熟者であっても、わずか2名、あるいは3名を幸福にすることはできるのだ。

そして全ての人間がそれを実践すれば、それが地球ユートピアになるのだ。

菩薩や如来が地球ユートピアを創るのではないのだ。

悟りが高いに越したことはないけれども、5次元精霊界や6次元霊界の者でも十分地球ユートピアの建設は可能であり、その使命もあるのだ。

わずか3人の家庭ユートピアを創り、もしそれを地球上の全ての家族が実践すれば、その時、地球ユートピアができるのだ。

地球全土がユートピアになるのだ。

家庭ユートピアの建設こそが、地球ユートピアなのだ」

と、こう言われまして、不思議な感覚に打たれたことがあります。

それまで50数億という数に圧倒されていたわけですが、逆のことを言われたわけです。

たった2、3人でいいのだ、と。

そう言う考えもあるのだなと不思議な感覚に打たれたのです。

50数億の全人類救済を真剣に探究していたからです。

その後、大川さんが『仏陀再誕』か何かで「家庭ユートピア」を説き始めたのです。

六大神通力で監視していたのは明らかであり、でもこの思想に関してはショックはありませんでした。

自力で悟ったり、みずから啓示を受けた思想を先に発表されますと、一々ショックを受けておりましたが、この「家庭ユートピア」の思想は、明らかに孔子からの啓示でしたので、ショックはありませんでした。

「大川さんの中にも、この思想に共感するものがあったのだろうな」ぐらいにしか思いませんでした。

ただ「家庭ユートピア」の思想の出どころを、幸福の科学の信者の方は知りません。

これは孔子からの啓示であり、孔子がそういった考えを持っているということなのです。

私は10次元宇宙界の出身でもなければ、救世主でも何でもありませんが、この霊域の神霊からはよく指導を受けます。

宇宙界やその神霊の名前を語って偉くなろうだの、有名人の名前を語って自己を権威づけようだの微塵も思っておりませんが、事実だから仕方ありません。

悟りの高さと内容がなければ、霊格や過去世といったものは、ほとんど意味がないのです。

悟りの高さもなく、努力もなく、高度な真理を悟ってもいない者が、有名な過去世や高い霊格を誇っても滑稽なだけです。

ただ如来界というのは、結果として有名な人ばかりだというだけの話です。

当時は絶望を感じながら探究していたためか、孔子が憐れんで指導してくれたのです。

この時点では、一人残らずの全人類救済法則は悟っておらず、孔子から「家庭ユートピア」の思想もご指導頂きましたが、やはりイエスの「百匹の羊」の比喩の影響が強烈だったため、その後も地道に探究を続けたのです。

一旦、強い影響を受けますと、その疑問の答えを見つけるまで満足できないものです。

やはり不満を持ったまま探究をやめることはなく、得心がいくまで真理の探究は続けるのです。

「家庭ユートピア」の思想を啓示されてから2、3年後だったと記憶しておりますが、一人残らずの全人類救済法則に到達することができました。

人類一人残らずが救われるには、救われるだけの「法則」があったのです。

この通りにしなければ、一人残らずの全人類救済はないという「法則」です。

振り返ってみるに、「百匹の羊」の比喩の影響を受けてから7年かかったことになります。

今は単純な法則として説いておりますが、実はこの単純な結論に到達するまで、非常に複雑で執拗な探究の過程を経てきているのです。

キリスト教では、確かに一人残らずの全人類救済への「思い」は説かれておりますが、どうすれば具体的に一人残らずの全人類救済ができるのかまでは説かれていません。

だからクリスチャンは、誰も知らないのです。

歴史上、説かれたことがないから知らないのです。

人類の救済を掲げる宗教は多いわけですが、一人も知らないわけです。

知らないということが私には分かるのです。

一人も知らなかったから、今まで人類救済を一人も成就できなかったと言い換えてもいい。

歴史上、どこにも説かれておりませんし、日本の宗教団体でも説いている教団はありません。

私はギリシャ的独創の最右翼ですので、『神約民主論』にしろ独創が多いのです。

過去の歴史を見ても、誰も説いておらず、世界中の図書館を探しても存在せず、どの文筆家も知らず、それでいて最も神の心に近い独創的な思想を自分の心から生み出すことが幸福なのです。

大川さんの場合、「愛の発展段階説」を自分の心から生み出した時が、その幸福の時だったはずです。

一人残らずの全人類救済法則もその一つですが、自分の心からそれを生み出すというのは、何ものにも代えがたい幸福です。

この幸福を悟りというのでしょう。

ただ当時は高級霊の霊言が出版されている時であり、「一人も切り捨てず、一人も見捨てず、一人残らずを救う」のがイエスの言った天の父の思いと信じておりましたので、その天の父が悪魔を見て、「人間の最後、もう出れない」と言っていた時は、ちょっとガクッときましたけどね。

イエスが天の父と呼んでいたのは、このエル・ランティのことであり、少し頭に来ていたのでしょうが、そう言っていたのです。

割りと真剣に一人残らずの人類救済を探究しておりましたので、少しガクッときました。

「もう、ここまで堕ちたらマリアナ海溝の世界ですから、1万メートルの深海の世界です。

水圧が凄くてね。

ここに悪魔と言われる連中がたくさんおりますけれども、まあ、あわれです。

もの凄い荒々しい波動で、光の天使も救いに行こうとするけれども、その凄い波動に耐えられなくなります。

ここまで堕ちたら、もうダメだね、もう上がってこれないね。

もう無理だね。

光の天使でも行けなくなるね。

人間の最後、もう出れない。」

って、思いっ切り見捨てているじゃないの。

一人も切り捨てないんじゃなかったのかよ。

「百匹の羊」の比喩は、嘘だったのかよと少し思いましたけどね。

でも探究は続けていました。

幸福の科学も生き神信仰を始めてからおかしくなっていったわけですが、あの世の高橋信次氏やモーゼ、あるいはミカエルも、みな個人崇拝と言いますか、生き神信仰だけは絶対にやってはならないと指導していたのですが、やってしまいました。

生前の高橋信次氏も、個人崇拝を厳しく戒めており、「神仏を名乗る者を決して信じてはならない」と残していたのです。

この考えは死後も変わっていなかったのです。

北風と太陽の比喩で「忍辱」の重要性を指導されていたにも拘らず、平気で恫喝訴訟を繰り返すような教団になってしまいました。

この宇宙では宗教ビジネスは許されていないのです。

神の体(利益と快楽)を「天」に置き、神の心を「地」に置き、神の心をお金儲けの道具に使うような宗教ビジネスは、神の体が永遠に「地」に置かれているこの宇宙では許されていないのです。

この我々の暮らす大宇宙とは、神の心を「天」に置く場所なのです。

大宇宙自身が、神の心を永遠に「天」に置いている神の神殿だからです。

人間はその心の中心に神の心を持つ神の子ですので、神の心を「地」に置けば、その本人が必ず「地」に向かうのです。

神の体を「天」に置けば、それを永遠に「地」に置いておられる大宇宙と自己の心が離れ、分かれていくのです。

宇宙と我とが離れてくれば、人間は「悪の存在」になってしまうのです。

宇宙即我が善であり、宇宙と我との分離が悪だからです。

過去・現在・未来の全人類に普遍妥当する善悪の基準とは、この大宇宙であり、自然界であり、多次元世界なのです。

大宇宙の存在を神と言いますので、神と離れれば、如何なる人間であろうとも「悪の存在」になってしまうのです。

宇宙即我の悟りを持っていなかったと判断するしかありません。

高級霊が、如何に正しい指導をしても、地上人間のほうが言うことを聞かなければ、彼らの指導は徒労に終わってしまうのです。

悪妻封印祈願』なんて酷い祈願もやっていました。

一体、神に何を祈ってんだか。

「悪妻よ !」、だって。

まあ、まあ、ゲンコツ煎餅でも食って、少し落ち着けよ、と。

「ユートピア活動を妨げる 家庭ユートピアなどあるべからず」、なんて怖いことを言っておりますが、そもそも自分の思想ではないから、こういった矛盾が出るのです。

孔子は家庭ユートピアと地球ユートピアを分けていませんでした。

私もカントから受けたことがありますけれども、真理の普遍的特徴とは、個の原理と全体の原理が必ず一致しているのです。

個の原理(家庭ユートピア)と全体の原理(地球ユートピア)が一致していなければ、それを真理とは言いません。

真理の柱とは、「多次元世界の存在」であり、「輪廻転生の法則」です。

後は高橋信次氏が残した「反省法」に「悟りの段階論」です。

当サイトで言えば、「自を生かし(7次元神界)、他を生かし(8次元菩薩界)、全てを生かせ(9次元如来界)」の幸福の発展段階説がこの悟りの段階論に相当します。

「一人残らずの全人類救済法則」や孔子の「家庭ユートピア」も真理の柱と言っていいでしょう。

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