多様性あっての統一であり、統一あっての多様性という言葉はよく聞きます。
統一の「一」と多様性の「多」の関係ですが、これは西田哲学では「一即多、多即一」の悟りとして説かれてきました。
実在の根本的方式とは、一なると共に多、多なると共に一、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具するのである : 西田幾多郎
西田哲学で説かれる平等即差別の実在論とは、世間一般が言うような神の体(物質)を基準とした「平等」でもなければ、「差別」でもありません。
一般は、「平等」と言う言葉を使うにしろ、「差別」と言う言葉を使うにしろ、大抵は神の体(物質)を基準とした「平等」と「差別」のことを言っているのです。
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