本来、「責任」とは、神の正しさが永遠の基準になっているわけですが、現代では神の体(利益と快楽)が基準になっており、すり替わっています。
これも人類の未熟と悟り不足を示しているものです。
ステークホルダー(利害関係者)に損失を与えますと謝罪し、利益で責任を取ろうとするのです。
利潤にどっぷりと浸かっているわけです。
相互が利益を追い、その利益でどこかに損失が出れば、また再び利益で責任を取ろうとするわけですが、利益に比喩した方便の責任感であって、霊性の発達や進化とほとんど関係のない責任感になっています。
しかしてこれを当然と思っているわけです。
もちろん当然ではないわけです。
例えばここに暴力を振るい、傷害事件を起こした人間がいるとします。
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