真理関係

宗教 Ⅶ

神の心(精神)が真理であり、神の体(物質)が現象利益です。

神の心と神の体は一つであり、大宇宙とは真理即現象利益の世界であり、双方は一実在の両方面です。

現実そのままが真理である : 西田幾多郎

現象利益とは、「目的」にもできず、「否定」もできず、そして今後もなくならないものです。

現象利益とは「結果」であり、「原因」ではありません。

神の心が「原因」であり、現象利益はその「結果」です。

「原因」と「結果」は、必然的な結合関係にありますので、双方切ることはできません。

真理が「原因」であり、現象利益はその「結果」です。

神の心が「原因」であり、神の体はその「結果」ですが、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

神の心を信ずることを「信仰」と言い、神の体を信ずることを「御利益信仰」、あるいは「偶像崇拝」と言います。

現代文明は「偶像崇拝文明」であり、神の体を信じている御利益信仰の文明です。

宗教団体でも御利益信仰をすれば堕地獄であり、その96%の宗教が魔のコントロール下にあります。

富を「天」に置いた資本主義や新自由主義、相対的な利益を「天」に置いた民主主義、物質を「天」に置いた社会主義とは、要は御利益信仰に耽っているのです。

宗教の世界より率は低いですが、やはりその御利益信仰によって「60%」の人達が現代では地獄に堕ちています。

神の心を信ずれば、地上天国が顕現し、神の体を信ずれば、堕地獄が顕現します。

神の心が天国を創り、神の体が地獄を創るということです。

神の体を「天」に置いて拝んでいるわけですから、世界的規模の腐敗を招くのは当たり前の話なのです。

世界と人類が腐敗するような選択をみずからしているのは人類の方であって、神の方ではありません。

神ご自身は、永遠に神の心を「天」に置き、神の体を「地」に置き、人類にもそうせよと永遠に導いています。

今の人類は、神の言うことを聞こうとしないでエデンの楽園を追放されたアダムやイブと同じです。

神の心と離れて幸福になれる人間は、個人にしろ、人類全体にしろ、存在しないのです。

逆から言えば、神の心と合一して不幸になる者は一人も存在しないということです。

つまり一人も地獄に堕ちることはないということです。

地獄に堕ちれば不幸ですが、神の心との合一でこれはありません。

神人合一が善であり、神人分離が悪です。

人類の中の誰であろうが、その人間の心と合一して一人も地獄に堕ちることなき地上天国を創ることはできませんが、神の心と合一すれば、一人も地獄に堕ちることなき地上天国を創ることができるのです。

すなわち人間の中で地上天国を造れる者は存在しないのです。

今後もいません。

地球ユートピアと言い、エデンの楽園創造と言い、地上天国と言い、神の存在抜きには語れないのです。

神への信仰なくして地上天国を創ることは永遠にできないからです。

世には往々、人間は何故神を信じなければならないのかを問う人がおりますけれども、神への信仰なくして一人も地獄に堕ちることなき地上天国を創ることはできないからです。

一人残らずの全人類救済と人類の幸福を真に願うならば、人間にこれは不可能なわけですから、それが可能な唯一の道である神への信仰の道を取るしかないのです。

あくまで全人類の幸福と救済を願うならばの話ですが、その理想を願い、自己の本音であるとすれば、神への信仰一択の道しかありません。

過去・現在・未来を通してこれ以外の選択肢は今後もないからです。

これ以外の選択肢で一人残らずの人類が救われ、一人も地獄に堕ちず、幸福になる道があるというならば、それを提示すればいいのです。

誰も提示できないのです。

そんな選択肢はどこにもないからです。

存在しないのです。

神への信仰一択の道しかありません。

この宇宙では、神への信仰は自由ではなく、義務になっているのはこれが理由なのです。

一人残らずの全人類救済法則や人類の幸福の原理を知っている者が「信仰の自由」を主張することはないのです。

「信仰の自由」を主張する宗教家は、全人類の救済や幸福の道を知らないから信仰は押し付けるものではなく、個人の自由だと思っているのです。

それは真に人類の救済や幸福を考えたことがない人達なのです。

だから信仰は自由だと勘違いしているのです。

神の心について何も知らない者が「信仰の自由」を主張するのです。

宇宙の存在を神と言いますけれども、この神とは過去・現在・未来の全人類一人残らずが、必ず信じなければならない「信仰の必然性」を持った存在なのです。

これを具体的に説けない者は、神の心を悟っている者ではありません。

「信仰の自由」を主張する方の言う神や仏は、まさにその方の言う通りの神であって、それは信じてもいいし、信じなくてもいい、どうでもいい神なのです。

信じなくても別に支障のない神なのです。

はっきり言って、それは神ですらないわけですが、神でも何でもないものを神だと信じ込んでいるから「信仰の自由」を主張できるのです。

真の神を知っている者は、「信仰の必然性」を悟っておりますので、神の存在とは、とても人間が否定できるような存在ではなく、信じざるを得ない存在だということを明確に悟っています。

カントは「まさに善を為すべし」という道徳的命令を説きましたが、大宇宙は神の心を「天」に置き、「まさに神を信ずるべし」という道徳的命令を永遠に発しています。

今回、歴史上初めて説かれる「救世の法」と既存の宗教的真理とを画然と分けているものは、色々とありますが、その一つにこの「信仰の必然性」があるのです。

「救世の法」は「信仰の必然性」を説きますが、それ以外の宗教ではこの「信仰の必然性」が説けないのです。

「信仰の必然性」を説けませんから「信仰の自由」を主張するしかないのです。

そして神を信ずるのは個人の自由だと言い、神の御名を語りながら、神の心を何も悟っていない事実を暴露してしまうのです。

換言すれば、神の心を悟っている者は「信仰の必然性」を説けますが、神の心を悟っていない者は、如何に神の御名を流暢に語ろうとも、絶対この「信仰の必然性」を説くことができないのです。

これは相対ではなく、絶対です。

絶体に説けないということです。

過去・現在・未来の一人残らずの全人類は、必ず神を信じなければならない理由とその「信仰の必然性」を説くことができないということです。

この「信仰の必然性」が「救世の法」とそれ以外の真理とを画然と分けているものなのです。

過去・現在・未来に出現してくる全宗教・全思想・全哲学の正邪を分ける公理は、宇宙の構造と仕組みに組み込まれており、既に説いておりますので繰り返しませんが、あえて簡単なものを付け加えるとすれば、この「信仰の必然性」なのです。

宗教的真理において、これが本物の真理よ、あれが偽物の真理よと人間が選択するようなものではありませんし、また人間が決めるようなものでもありませんが、あえて本物の真理か偽物の真理かを知りたければ、そこの教祖や人間にこの「信仰の必然性」を問えばいいのです。

過去・現在・未来の一人残らずの全人類が、必ずその神を信じなければならない理由とは何かを問い、もし答えられなければ、その者の主張する真理とは偽物の真理なのです。

もしその問いに答えることができず、「信仰の自由」を主張するならば、その方は神の心を何も知らず、悟ってもいないということなのです。

つまり「信仰の自由」を主張する教えが偽物の真理であり、「信仰の必然性」を主張する教えが本物の真理なのです。

「救世の法」は、この「信仰の必然性」を説きますが、偽物の真理やそれ以外の宗教ではこの「信仰の必然性」を説くことができないのです。

それは神の心を悟っていないから説けないのです。

一人残らずの全人類救済法則を悟っていないから説けないのです。

悟っている者は説けるのです。

説けない者は、だから無難に「信仰の自由」を主張するしかなくなるのです。

「信仰の自由」を主張する宗教は、現代の「救世の法」が説かれる時代では、100%偽物の真理であり、100%偽物の神の心と言っていいのです。

これが偽物の真理と偽物の神の心を説いている者達の普遍的な特徴です。

神の心を信ずることは個人の自由であり、「信仰の自由」を言い始めたら、その者の説く神やその者の信ずる神は、全て偽物の神と断定して差し支えないのです。

少なくとも神の心を悟っている人間ではありません。

本物の真理は「信仰の必然性」を説きますが、偽物の真理は「信仰の自由」を説くということです。

これが最も簡単な宗教の正邪の見分け方です。

宗教とは、宇宙や自然界に表現されている神の御心を読み取り、神の思想を説くものです。

人間の頭脳の密室で言葉遊びをし、複雑にこねくり回し、勝手にでっち上げたような人間の思想を説くものではないのです。

宗教とは神の思想を説くものであり、人間の思想を説くものではありません。

ここ2、300年を捉えても、かつて神の思想を明確に悟られていた方は、ヘーゲルやエマソン、高橋信次や西田幾多郎等、片手で数えられるほどの人しかこの神の思想を悟られた方はいないのです。

確かにそれぞれ思想の個性や多様性はありますが、その共通した理念もあるのです。

神の思想を悟られた方の共通の理念は、主に3つあり、一つは神の心と切られた自我や現象我、ないしは表面意識は悪であることを悟っていることです。

精神の実体と本質は、自我同一性の概念におけるところの絶対的否定性である : ヘーゲル

表面意識は悪であり、潜在意識は善である。

これを悟ったならば、悟りの境地に入ったと見て良い : 高橋信次

真我独在、実相独在、本来、現象我なし : 谷口雅春

ヘーゲルは自我を絶対的に否定したところに精神の本質、すなわち神の心はあると残し、高橋信次氏ならば、表面意識を悪とし、谷口雅春氏は現象我(自我)を「なし」としています。

スウェーデンボルグならば、みずからの自我や表面意識を悪とし、「常に真理は主から発しているため、人間は悪に生まれついているのです」と残しています。

共通点は理解できるはずです。

ヘーゲルは自我同一性の概念、いわゆる自我を絶対的に「否定」したところに神の心はあると言い、高橋信次氏やスウェーデンボルグは自我や表面意識を悪としました。

あるいは現象我(自我)を「なし」とした谷口雅春、それぞれ使用する言葉は異なりますが、要は神の真善美は自我の奥の神我、表面意識の奥の潜在意識、現象我の奥の実相我から来ると言っているのです。

真理は自我や表面意識からは来ないのです。

正確に言えば、神の心と合一していない表面意識や自我は悪なのであり、神の心と合一している表面意識や自我は善なのです。

人間は神の心によってのみ善の存在になるのであり、逆から言えば、神の存在がなければ、人間は善の存在にはなれない事実を必ず悟っているということです。

相対的な自我はそれ自体が「矛盾」であり、「矛盾」だけで善の存在にはなれません。

人はみな神への信仰と合一によって善の存在になるのです。

神の思想を悟られた方は、みな必ずこの点を悟っているということです。

神の思想を悟られた方は、第一段階として自分が善であると悟るのではなく、自分が悪であると悟るのです。

自我や表面意識、自我同一性や現象我は、それだけならば矛盾であり、悪なのです。

神の思想を悟られた方の第二の共通した特徴とは、表面意識や自我はそれだけならば悪であるけれども、自我の奥の神我、表面意識の奥の潜在意識、現象我の奥の実相我から来る神の真善美の洗礼を受けた時にのみ自我や表面意識は善になるという事実を悟っていることです。

これをスウェーデンボルグは、真理は「主から発する」と残し、高橋信次氏は表面意識の奥にある「潜在意識が善である」と言ったのです。

谷口雅春氏は、万教は現象我(自我)に帰一するのではなく、万教は現象我(自我)の奥の生命の実相に帰一すると残しています。

生命の実相とは、精神の根源的本質である神の心のことです。

すなわち万教は神の心に帰一すると言ったのです。

神の思想を悟られた方の第三の共通した特徴とは、真善美や多様な真理は全て神の心に帰一し、神の心から来るけれども、その神の心そのものは宇宙や自然界に「象徴」として、「現実」として、「存在」として、「比喩」として、「詩」として、「あらわれ」として表現されている事実を必ず悟っていることです。

宇宙や自然界こそ神の思想の表現体であることを悟っているのです。

神の思想とは、過去・現在・未来を問わず、必ずこの3つの共通した特徴を持っています。

この3つの特徴を知らない者の真理は、真理ではなく、人間の思想です。

神の思想ではありません。

神の心とは、大宇宙や自然界に表現されておりますので、宗教とは宇宙の心と人間の心を同じくし、自然界の心と人間の心を同じくし、生命の実相と人間の心を同じくし、良心と本人の心を同じくするものです。

正法とは、神の心とおのれの心を同じくするという、ただこれだけなのです : モーゼ

高橋信次氏時代のGLAでは、自然界の心と人間の心を八正道によって同じくしようとしたのです。

生長の家では、生命の実相と本人の心を同じくしようとしたのです。

モーゼが述べておりましたように、宗教とは神の心と人間の心を同じくするものです。

何故、同じくしなければならないのか?

そうしなければ、世界が良くなることは絶対にないからです。

宇宙は神の心の表現体であり、永遠に神の正しき世界なのです。

その宇宙や世界の存在の波長と自己の心の波長が同通しなければ、世界を繁栄良化していくことはできないからです。

宇宙即我の悟りとは、宇宙の心の波長と人間の心の波長の同通なのです。

今の世界が腐敗しているのは、ひとえに人類の心と自然界の心が離れており、波長がズレ、同調していないからです。

宇宙即我が善であり、宇宙と我との分離が悪なのです。

宇宙の心と人間の心、いわゆる神の心と人間の心が離れているために世界の腐敗を招いているのです。

これも未来永劫変わらない真理知識の一つです。

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