実相が「天」であり、方便が「地」で、天地一体であり、実相即方便です。
戒律とは方便ですので天地一体の理法から言えば「地」に相当します。
神の心を直接説く善を実相と言い、神の体に比喩した善を説くものを方便と言います。
戒律とは、心の外から善を押し付けるものですので、どうしても方便になります。
戒律とは善悪二元論であり、善と悪の双方を創るものです。
例えば「偶像崇拝」の禁止の戒律を与えれば、偶像崇拝をしなければ善となり、偶像崇拝をすれば悪となり、善と悪の双方をみずから創るのです。
物質を媒介として善と悪の双方が生まれるのです。
物質は相対的なものだからです。
戒律が方便になるのは好意的に見ても有限の善だからであり、この戒律を神の御名を語って「天」に置けば、必ず善悪の双方を創るために地獄界がなくならなくなるのです。
方便の善を無限に伝道していけば、必ず悪も無限に現象化してきます。
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