宗教的戒律をどう捉えるのかの問題とは、悪をどう捉えるのかの問題と同じです。
戒律とは善を禁止するものではなく、悪を禁止するものだからです。
様々な宗教宗派で課される戒律とは、そこの教団や教祖が一体悪をどう見ているのかを明らかにしているものです。
神の目から見た悪とは何かということです。
悪とは何かを知らない者は、善とは何かを十分知らない者なのです。
少なくとも悪とは何かを正確に答えられなければ、如何にすばらしい真理であり、善であったとしてもその善は方便になってしまうのです。
本来、無限なる善が有限化してしまうのです。
悪について不正確なものは、善についても不正確になるのです。
悪がぼやければ、善もぼやけてしまうと言ってもいい。
この点も今回新たに発見したことの一つであり、どういうわけかそうなのです。
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