宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である : 西田幾多郎
宇宙は神の表現体であり、神の体である : 高橋信次
これはヘーゲルもエマソンも同じですが、かつて神の思想を悟られた方々は、宇宙の存在が神であるという事実を知っていたのです。
宇宙が神ですので過去・現在・未来の全人類も全て宇宙に支配されているわけです。
イエスも言っていたように地球人を支配しているのは11次元大日意識と言っていいでしょう。
地球全体をカバーしているエネルギー体です。
具体的に言えばその一つがGLAで説いていた「波長同通の法則」です。
この波長同通の法則そのものが大日意識の作用と言ってもいい。
波長同通の法則もあの世とこの世を貫く法則の一つです。
どういうわけかサッカーの好きな者は、サッカーの好きな者同士集まるのです。
どういうわけか勉強の好きな者は、勉強の好きな者同士集まるのです。
どういうわけか暴力団みたいな人は、暴力団みたいな人同士集まるのです。
悪霊みたいな心を持っている人は、悪霊が寄ってきて憑依されたりするのです。
類は友を呼ぶと言いまして、善なる心を持っている人は、善霊が寄ってきて色々な啓示やインスピレーションを与えてくれるのです。
あの世ではこの波長同通の法則が完璧に作用しておりますので、仏教で言う四苦八苦はありません。
生・老・病・死・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦八苦はないわけです。
生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死の苦しみ、恨み憎む者と顔を合わせる苦しみ、愛する者と離れ、分かれる苦しみ、求めても得られない苦しみ、肉体の五陰から来る苦しみの四苦八苦はないわけです。
あの世の諸霊は常に神の光と共に生活しておりますので生きる喜びしかなく、生きる苦しみがないのです。
また肉体がありませんので老いる苦しみもなく、肉体がありませんので死ぬこともない。
テニスンが残しておりますように「死とは笑うべき不可能事」です。
波長同通の法則が完璧に作用しておりますので、そもそも恨み憎む者とは波長が合いませんので会うことができず、怨憎会苦はありません。
自分と相性の合う者とだけ生活しておりますので愛する者と分かれる苦しみである愛別離苦もない。
善人が求めるものは全て得られるため求不得苦もなく、肉体がありませんので肉体の煩悩から来る苦しみである五陰盛苦もない。
あの世にはお金がありませんので、そもそも金絡みの苦しみも一切ないわけです。
あの世には四苦八苦はないのです。
仏教では四苦八苦を「有り」と説きますが、あの世には「ない」わけです。
肉体を「有り」としますと四苦八苦も「有り」となり、四苦八苦が「ない」あの世とこの世が分かれてきます。
あの世の「天」とこの世の「地」が分かれ、天地が分離してくるのです。
天地の分離は、人類の不幸の原理ですので今回の釈尊は「あの世とこの世を貫く幸福」を説かれたのです。
人生を「苦」とした四諦もこの世の人生を「苦」とすれば、あの世の人生に「苦」はないわけですから、この世を苦界と定義すれば、「苦」のないあの世と分離してきます。
あの世とこの世が貫かなくなるのです。
だからGLAでは四諦を説かず、四諦と八正道を切って八正道だけを説いたのです。
四諦と八正道は「四諦八正道」と言って仏教の教義では切れないわけですが、高橋信次氏時代のGLAでは四諦は説きませんでした。
あの世では波長同通の法則は完璧に作用しておりますが、この世では精神の波長よりも低い波長である物質を表現することによって主観と客観の波長の「ズレ」を創り、人間の修行のために波長同通の法則を不完全に作用させています。
神の智慧です。
これによって例えば10次元宇宙界の人と6次元霊界の人は、あの世では会えないわけですが、この世では会える世界を創ったのです。
あの世では波長同通の法則によって嫌いな人と会うことはできませんが、この世では会えるのです。
物質界が魂の道場であるゆえんです。
あの世では不可能なことが、この世では可能になっています。
またこの世で不可能なこともあの世では自己遍在によって可能です。
古い宗教は仕方ありませんが、仏教だけではなく、キリスト教の方でも天地を切った教えが多いのです。
現代の宗教でも夥しい生き神さまの数々が鼻息荒く並び立ち、天地を切っているのです。
神我が「天」であり、自我は「地」で、永遠に天地一体なのですが、生き神さまはこの「地」である自我を「天」に置いて、もう大威張り。
この宇宙では、絶対的なるものが「天」であり、相対的なものは「地」なのです。
神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体ですが、生き神さまは「地」である自我を「天」に置いておられますので大宇宙、すなわち神ご自身の目から見て間違っていると断定していいのです。
諸神霊によれば、96%の宗教が魔の軍門に下っているようですので、行くべきところに行かれるでしょう。
しかなるべしでしょう。
その弟子達も教祖と同じ罪を犯しておりますので、同じところに堕ち、おっとっとっと、おさなごのお耳によろしゅうござんせんよ、同じところに行かれるでしょう。
また宗教のみならず、政治や経済でも天地を切っておりますので既存の世界システムでは人類の幸福はないわけです。
資本主義や新自由主義でも利益と快楽を「天」に置いて天地を切っておりますし、社会主義の方でも物質を「天」に置いて天地を切っています。
民主主義も利益を「天」に置いて天地を切っています。
天地の分離とは、不幸の原理ですので、天地一体の原理に基づく世界システムを構築しませんと人類の幸福は実現できないのです。
だから釈尊もあの世の「天」とこの世の「地」が貫かれた天地一体の原理に基づく人類の幸福を実現せんとして再誕されたのです。
死んでしまいましたけどね。
宇宙は神の表現体であり、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。
人類の幸福の原理は、眼前の大宇宙が体現してくれているのです。
神は人類に模範を見せてくれているわけです。
この通りに世界を創り変えていきなさい、と。
神の心を「天」に置き、神の体を「地」に置け。
正義を「天」に置き、利益や国益を「地」に置け。
神我、あるいは良心を「天」に置き、自我を「地」に置け。
幸福を「天」に置き、快楽を「地」に置け。
統一を「天」に置き、矛盾を「地」に置け。
原因を「天」に置き、結果を「地」に置け。
精神を「天」に置き、物質を「地」に置け。
真理を「天」に置き、現象利益を「地」に置け。
この通りに生きることができましたならば、眼前の大宇宙の構造や仕組みと一致してくる「宇宙即我」の生き方となります。
宇宙即我の悟りとは、天地一体の悟りと同じであるということです。
宗教とは、宇宙の心と人間の心を一致させる宇宙即我の道を説くものです。
俗に邪教と言われる宗教は、この逆であり、宇宙の心と人間の心を分離させ、自然界の心と人間の心を分離させ、良心と本人の心を分離させるものを言います。
ただ今の世界は宗教において真理を説くだけでは済まず、世界システムそのものの構造を根源から改変していかなければならないのです。
たとえ人間が宇宙即我の生き方ができたにしろ、政治体制や経済原理、その他諸々のシステムが全て神の心と真逆になっており、要は政治から経済、宗教から何から何まで根源から変革していかなければならないのです。
あぁ~あ、人類のみなさま方は、間違えられるのがほんとお得意で。
できの悪い子ほどかわいいとも言いますけどね。
もう、世界中ことごとく神の体を「天」に置いた偶像崇拝に耽っておりますので、一旦世界を崩壊させて、人類をもう一度ゼロからやり直させる必要があるのかもしれません。
世界の隅から隅までことごとく物質とその属性を拝んどるから。
お手上げ状態です。
もちろん「世の終わり」については、諸神霊と地球意識の仕事なのでしょうが、少なくとも今の天地分離の世界システムのままでは人類の幸福はないわけです。
神の体を拝むとは、「地」に向かって転落している状況ですので、神の心からどんどん遠ざかっているのです。
今の人類は命綱の切れたアストロノートです。
しかして世界と人類を本当の意味で良くしようとすれば、今の世界は「ご苦労さん」と言って、一旦終わって頂かなければならなくなります。
それだけ神の存在を無視してきたということでしょうが、神とは大宇宙の存在のことを言うのです。
小さき人間の前で大宇宙という大きな存在をドンッと置かれましても、人間の方はそれが神だと気づかず、あるいは神だと認識できないのです。
しかしてたとえ神であると認識できなくても、神と人類は永遠に一体で生きておりますので、人間がそれを認めようが、認めまいが、過去・現在・未来の全人類は一人残らずこの大宇宙に支配されています。
人類のうち誰であろうが、その相対的な自我を強化すれば、波長同通の法則の作用によって同じく相対的な神の体(物質)の方面の支配を受け、その統一的な神我を強化すれば、波長同通の法則の作用によって同じく統一的な神の心の方面の支配を受けるのです。
そして神の心に人類が支配されれば、世界は「天」に向かって良くなり、神の体に人類が支配されれば、世界は「地」に向かって悪化を続けるのです。
神の心とは、ただこれだけなのです。
神の支配からは誰も逃れることができないのです。
神の心に支配されたくないといくら泣き叫んでも、良心や神我を強めれば、自動的に神の心に支配されますし、神の体に支配されたくないと口角泡飛ばして喚いても自我を強めれば、自動的に神の体に支配されて必ず利益と快楽を追うのです。
人間は宇宙の子であり、神の子ですので、誰であろうが、神の心が意味する正義か、神の体が意味する利益か、必ずどちらかを基準に生きています。
それが人間が神の子である証明なのです。
心が神の心に支配されている者は、必ず真理や正義を求め、心が神の体に支配されている者は、必ず利益や快楽を求めるのです。
神の心か神の体のいずれかを必ず基準に生きています。
大宇宙を基準に生きているということです。
宇宙が神だからです。
そしてこの宇宙では、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体ですので、神の心に支配されれば、世界は繁栄良化し、神の体に支配されれば、今の世界のように悪化を続けるのです。
人間では、神の支配はどうしようもないのです。
支配されたくないといくら喚いても、否応なく支配されるのです。
試しに自分の自我を強めてご覧なさい。
必ず神の体(物質)の方面の支配を受け、必ず利益と快楽を追うようになり、利益と快楽は矛盾と相対性を意味しておりますので、どんどん世界は矛盾に満ちた世界となり、悪化していくのです。
「地」に向かって転落していくわけです。
既に転落している者に世界を良化する能力はないのです。
地獄に堕ちる者も増加を続けていくでしょう。
いたたたたたっ!、あちちちちっ!、いたっ!、あちっ!、あちっ!、いたっ!、こわっ!、さぶっ!、さぶこわっ!、いたっ!、いたたたたたっ!、あちちちちっ!、さぶっ!、こわっ!、さぶこわっ!、なんて、あんたこんなこと200年も300年もやるんですよ。
幸福の科学でも今の人類は半数以上もの人達が地獄に堕ちていると言っておりましたが、そのソースは霊界情報なのです。
幸福の科学は今でもこう言っておりますが、そのソースは高橋信次の霊言なのです。
初期から知っている人は知っているのですが、幸福の科学は高橋信次氏を追放してしまいましたので明かせないのです。
これはこの世の人間が分かる情報ではないのです。
1985年から1989年までは、大川さんと高級霊とのコンタクトは正常な状態に保たれていたのです。
この時の霊言で入信した人も多いでしょう。
この時期の霊言がソースなのです。
まあ地上にいる人、百人に聞きましたというアンケートでもして、百人の人に会って、固定の憑依霊持っている人が何人くらいいるかっていうと、そうだねえ、百人のうちでやっぱり、今七、八割いるねえ。
七十人か八十人は固定したお客さんがいるんですね、お得意さんがいます。
だけども、七、八十人いると言っても、常時ついてばっかりいる人ではないようですね。
たまに心がいらいらしたりキーキーしているときには来て、いつものお馴染みさんがついているけど、あとはいないという人がいますね。
ところが、いっつも常時いるって人もいますね。
常時くっついているタイプの人というのは、だいたい半分ぐらいはいるでしょう。
一人以上いるのは半分ぐらいですね。
そして、百人のうちで五体以上くっついているような人、これはだいたいどのくらいかと言うと、まあ、だいたい十五人ぐらいいるんですね。
十五人ぐらいだと思います。
十五パーセントぐらいだと思いますね。
このへんは、もうだいたいまっさかさまにストーンと行くんですね。
五体ぐらいつかれていたら、死ぬやいなや死神に連れ去られるというのはこのことを言うのですね。
守護霊や指導霊が来て説得しようと思う間もないんですね。
死ぬやいなやストーンと地獄に落ちて行くんです。
もうこれどうしようもないです。
このようにして、地獄に行く可能性のある人も半分以上いるわけですが、まあ地獄もよいとこ一度は行かれてもいいと思いますが、たいていの人は、そうだねえ、地獄の平均滞在期間がいくらぐらいか私もよくわからんが、まあ二、三百年かねえ、二百年ぐらいでしょうかね。
二百年ぐらいしたら出てくるのが普通だと思いますね。
ある程度反省期間を経て、そのあと出てくるんですね。
そして天国に百年ぐらいいて、また生まれ変わってくる。
まあこれが大抵のパターンですね。
ソース : 高橋信次の心の革命 第2章 悪霊となるな
これはあの世の高橋信次氏が下ろしていた霊界情報なのです。
彼が言っていたわけです。
本人は否定しておりましたが、大川さんは高橋信次氏の法の後継者ですので輪廻転生の法則や多次元世界、憑依の原理や波長同通の法則、あるいはこういった現代で地獄に堕ちている人の数など未だ生前の高橋信次氏が説いた法を継承しているのです。
高橋信次氏を追放しましたが、法までは追放できなかったのです。
だから「矛盾の弾丸」によって破壊してしまったのかもしれません。
二人の大如来が日本で木っ端微塵になってしまったのです。
何とも言いようがなく、言葉を失ってしまいます。
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