真理関係

宗教ビジネスの危険性

幸福の科学の大川隆法氏が死亡してから「48日」が経過したわけですが、未だ教団からの公式の発表はありません。

これだからカルトってのは・・。

教団側が公式に発表していないということは大川さんの葬式も上げていないということでしょう。

教祖の死がショッキングなのは分かりますが、葬式はきちんとするべきです。

酷い話です。

普通なら死体は当の昔に腐敗しているはずですが、エンバーミングをしても期限は「50日」ですから明後日にはその期限を迎えます。

死までの経過はこうなっています。

ソース

2月5日に発熱し、2月28日に倒れるわけですが、その1週間前には呼吸困難に陥っています。

実の娘のブードゥー教的呪いとありますが、大川さんは霊道を開いておりますので、お多福かどうかは別として何等かの悪魔の攻撃を受けていたようです。

娘から攻撃を受けていると大川さんに思わせているところから、かなり悪魔の手の平で弄ばれていたようです。

あるいはそれが隠していた本音であったか。

実の娘に呪い殺された設定になっておりますので、咲也加氏は幸福の科学を追放されるかもしれません。

最後の霊言は酷いものですが、心臓の痛みを訴えています。

お多福の霊言は、2月10日に収録したようですが、これから18日後の2月28日に自宅で倒れ、3月2日に死亡が確認されています。

この霊言も酷いものであり、明らかに肉体に悪魔を入れて霊言をしているわけですが、恐ろしいことをするものです。

悪魔の予言通り、この後死亡します。

「突き破って」とおかしな表現をしておりますが、心臓を突き破ってという意味かもしれません。

お多福かどうかは別として、心臓を標的に悪魔に呪い殺されたということでしょう。

一部、脳梗塞ではないのかという情報が飛び交っておりましたが、心臓関係かもしれません。

大川さんの実の兄である富山誠も呪いの覚鑁に脳をやられて殺されておりますが、大川さんは心臓をやられています。

兄弟揃って悪魔に殺されていますが、悪魔を呼び込むには呼び込むだけの本人の心の汚れが呼び込んでいるわけですから、悪魔のせいにはできないのです。

大川さんは快楽と利益を旨とし、不快な貧乏人や病人、悪魔や青山霊園を避けておりましたが、日蓮も言っていたように真理の使徒というのは職業戦士であり、悪魔との戦いは避けることはできず、逃げられないのです。

快楽を取って不快を避けていきますと、その逃げた利益と快楽の方向に悪魔が大口を開けて待っているのです。

非霊能者には分かりにくいですが、青山霊園を避けていたのは、それはもう、凄いのがおるわけです。

霊能者にはそれが見えるために避けるわけですが、避けられないのです。

不快から逃げれば、逃げた先に必ず悪魔の罠が仕掛けられています。

悪魔は必ずそうですが、不快を伏線として快楽と利益の相対性に誘導していくのです。

快楽と不快を巧妙に使い分けます。

人が自我と快楽を「天」に置いてくれれば、自我と快楽を「地」に置いている眼前の大宇宙、すなわち神と切ることができるからです。

人間の方がその相対性に執着してくれている限り、いくらでも地獄に引きずり込むことができるのです。

従って快楽に耽る限り、いずれ悪魔の誘惑に落ち、憑依され、蹂躙されていきます。

快楽も相対的、不快も相対的であり、人がこの快楽と不快の苦楽に捉われている限り、闇の手に落ち、魔の暗躍を許すことになるのです。

苦楽を捨てて中道に入れ : 高橋信次

人類を相対的な快楽で救うことはできず、自己犠牲の不快で救うこともできないのです。

快楽と不快の自我の作用を超えた神の心によってしか人類は救えないのです。

エルカンは凄い、エルカンは偉い、エルカンは大きい、エルカンの光と比べれば、高橋信次の光は蛍の光。

ほら、気持ちいいでしょう。

鼻の下を巧妙にくすぐってくるのです。

悪魔にとって人の心とは利益と快楽によってしか入り込むことはできないからです。

不快と不利益では人が警戒し、その心に入り込むことができないのです。

だから悪魔はターゲットにしている人間に対しては、必ず「ほめあげ、ほめあげ、ほめあげ」します。

一瞬でも心で「もしかすると俺は光の天使ではないのか?」と思ってくれれば、鬼の首でもとったかのようにいくらでも囁いてくれます。

「そうだ、その通りだ。

実はお前は光の天使であり、菩薩という偉大な存在なのだ」といくらでも誉めてくれます。

そうすると「そうか、薄々気づいていたが、やっぱり俺は菩薩だったのか」と信じ込み、徐々にその心に入り込まれていくのです。

そしてまた時間が経つと、今度は「いや、俺は今まで自分のことを菩薩だと思っていたけれども、実は如来ではないのか?」と一瞬でも思えば、その一瞬一刹那の瞬間を悪魔は決して見逃しません。

「そうだ、よく気づいた。

実はお前は偉大な如来なのだ、お前が自惚れないように菩薩と言っていただけだ。

だがお前は今、自分が如来であることに気づき、使命に目覚めたのだ。」とこういった箸にも棒にもかからぬざれ言をいくらでも囁いてくれます。

自分に甘い者は一発でやられてしまいますが、こうして徐々に自惚れ、傲慢となり、自己を特殊で偉大な人間だと思い込み、徐々に悪魔の虜となって心に入られていくのです。

自我を「天」に置き、快楽を「天」に置き、御利益を「天」に置き、富を「天」に置き、権力を「天」に置き、偉いを「天」に置き、散々真理上の罪を犯させて、心に曇りを作るように誘導し、悪霊や悪魔が憑依し易い環境を作った後、「ほめあげ、ほめあげ、ほめあげ」し、自惚れさせていきます。

相対的な自我を「天」に置けば、同じく相対的な物質の方面の支配を受け、物質の属性である「利益性」に支配され、富や利益を「天」に置くようになるのです。

するとお金のために「御利益祈願」をするようになるのです。

各種祈願  ●2009年BBS過去ログより

アンチがネタでやっているのではないかと思うほどのふざけた祈願の数々ですが、個人的には「熟睡祈願」が受けました。

真理上の現象利益とは宇宙論です。

神への信仰と悟りによって生命が進化・向上した時、これを原因として結果あらわれてくる物質が現象利益です。

従って神の心が真理であり、神の体が現象利益です。

神の心が統一であり、神の体が矛盾です。

神の心即神の体、真理即現象利益、神(統一)即人間(矛盾)、統一即矛盾で双方は一実在の両方面です。

双方を切ったら実在とはならず、自我となり、矛盾となり、方便となり、「地」に向かって天地が切れます。

宇宙は神の心の表現体ですから、神は大宇宙を通して人類に神の心で現象利益を表現していけと永遠に教えています。

御利益祈願はこの神の心と神の体、真理と現象利益を自我で切り、現象利益だけを拝んでいるから間違っている。

神の体という現象利益は、神の心が統一し、表現しておりますので現象利益だけを目的とする者は、神の心から現象利益だけを奪おうとしている「盗賊」であり、禅の坊主はこういった利益だけを目的とする者を「山賊」と呼び、「山賊、去れ、去れ」と言います。

神道は「天地の大泥棒」と言っていました。

神への信仰もなく、悟りもないのに利益と富だけを神の心から奪い取っているからであり、まさに資本主義や民主主義はこの「天地の大泥棒」を作っているのです。

今の世界は「盗賊の巣」みたいなものです。

だから60%もの人達が現代では地獄に堕ちている。

この宇宙では、神の心が永遠に「天」に置かれておりますでので神の善やその悟りを持っていない者達は本来、富や権力をもってはならないのです。

この大宇宙では永遠に神の心が現象利益を支配しているからです。

神のものは神に返せということです。

神の心が神の体を永遠に支配しているからです。

神の心が「天」であり、神の体は「地」で、永遠に天地一体であり、これが人類の幸福の原理であり、神から許された唯一の繁栄法則なのです。

これだけ信次ワールドをお金儲けに利用し、宗教ビジネスで汚した者もいないでしょうね。

GLAの時も「地」である霊格を「天」に置いて振りかざし、有名な過去世を振りかざし、大威張りしていた人は確かにおりましたが、さすがにここまで宗教をビジネスとしてお金儲けに利用した人はいないでしょう。

今後も真似る人が出てくる可能性が十分ありますので、正確に説いておかなければならない。

まずこの大宇宙では永遠に神の心が「天」に置かれておりますので、神の体(利益)を「天」に置く宗教ビジネスは許されておらず、禁止されています。

それでも宗教ビジネスをするならば、それは明確に神の御名を利用した詐欺と断定していい。

神はこの宇宙において人類を幸福にするものしか「天」には置いておらず、人類を不幸にするものを決して「天」には置きませんし、置いたこともありません。

あの世で高橋信次氏も現世利益を売り物にする教祖は堕地獄であると言っていたはずです。

利益はそれを「天」に置けば、人類を不幸にするものだからです。

最初、幸福の科学で不思議だったのは、狂ったように高額な布施をする信者の存在です。

通常、高額な布施を要求する宗教は、信者に警戒されるはずなのですが、その警戒感がまるでないのが不思議でもあり、また疑問でもありました。

家庭用のエルカン像、300万円、降魔型エルカン像、1500万円と悟りや神の心と何の関係もない単なる銅像に300万円や1500万円も出す信者の存在が疑問だったのです。

単なる教祖の金儲けです。

300万円、あるいは1500万円という額は、ひとつの家庭を破壊するのに十分な金額であり、このような高額な布施を信者の方の生活に配慮することなく、煽ることそのものが問題です。

これが以前は良く分かりませんでした。

信次ワールドを利用していたのです。

信者の方はあの世を信じておりますので、その「あの世の存在」をお金儲けで利用していたわけです。

例えば教祖に100万円の布施をすれば、あの世に帰天した時、その金額は10倍の1000万円になって返ってくると信じ込まされているから、いくらでも高額な布施が出来たのです。

自己が布施した金額が10倍になって返ってくると信じているから狂ったように高額の布施をしていたのです。

あるいは輪廻転生の未来世を利用します。

教祖に高額な布施をすれば、未来世において大金持ちの家庭に生まれることができると信じ込ませることによって高額な布施を煽っていたのです。

教祖に高額な布施をすれば、するほど、あの世に帰天した時、その額は10倍になり、未来世においても大金持ちの家に生まれることが約束される。

まずあの世にお金はありませんので10倍になって返ってくることはありません。

お金そのものがあの世にはないからです。

善の心しか持って帰れないのです。

また高額な布施をしたからといって、未来世において金持ちの家に生まれるか、貧乏な家に生まれるかは、その方の魂の修行の方向性で決まりますので大金持ちの家に生まれる絶対の保証など存在しません。

教祖の気に入るように高額な布施をした者には、有名な過去世と高い霊格を与え、教祖に不快で不利益なことをした者には、無名の過去世と低い霊格を与え、暗に有名な過去世と高い霊格の認定が欲しければ、多くの布施をせよというのならば、それはもはや詐欺としか言いようがありません。

現世利益を売り物にする教祖は堕地獄なのです。

多次元世界を売り物にし、輪廻転生を売り物にし、あの世の存在を売り物にし、銅像を売り物にし、宗教グッズを売り物にし、未来世を売り物にし、有名な過去世を売り物にし、霊格を売り物にし、御利益祈願を売り物にする。

これほど信次ワールドを売り物にした教団は初めて見ました。

GLAの時も霊格や有名な過去世を振りかざすぐらいであり、ここまでお金儲けで利用した人はいないでしょう。

当然のことですが、菩薩や如来と言った霊格をお金で買うことはできません。

神の心を悟ることによってしか霊格は上がらないのです。

また霊格を上げるために神を信ずる者はおらず、有名な過去世を得るために神を信ずる者もいません。

神の心とは絶対無条件で信じ、求めるものであり、霊格や過去世といった自己の利益のために神を信ずるとすれば、その人はとても神への信仰者とは言えません。

人間の相対的な自我では人類を救うことも幸福にすることもできないために、もし人類を救い、幸福にする心があるとすれば、それは相対的な自我を超えた神の心しかないがゆえに絶対無条件で信じ、神の心を求め、探究するのです。

自我や表面意識の好き嫌いは時間と共にコロコロと変わるものであり、そのような相対的な自我が善悪の標準になるわけありません。

ただ今までこれだけお金儲けのために信次ワールドを利用した人もいないでしょう。

これは今後の未来において同じことをする人が出てくるかもしれませんので、十分警戒しておかなければならない。

こういった騙し方もあるということです。

もちろんこういったことはやってはならないことです。

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