真理の柱の一番目は輪廻転生の法則であり、二番目の柱はあの世の存在、いわゆる多次元世界の存在です。
あの世が「天」であり、この世が「地」で、永遠に天地一体です。
俗にあの世とは、各個人の表面意識の奥、現象我の奥、相対的な自我の奥、すなわち潜在意識に存在しています。
人は誰であろうが、このあの世の存在と離れて生きていくことはできません。
永遠に一体で生きています。
宇宙は神の表現体であり、神の体である : 高橋信次
宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である : 西田幾多郎
過去、神の思想を説かれた方は、みな眼前の大宇宙が神である事実を悟っているのです。
神と宇宙の関係は、よくクリスチャンに見られるような芸術家とその作品の如き関係ではなく、西田哲学では本体と現象の関係であると説かれておりますけれども、神の心と神の体の関係です。
そして宇宙が神の体であるならば、多次元世界もまた神の体であり、神的母体なのです。
何ぴとも神と離れて生きていくことはできませんが、あの地獄界ですら、神と離れては生きられないのです。
だから地獄界は、神の神的母体である多次元世界の5次元幽界下段界で生存している。
地獄界は、神の心と離れて存在している世界であると理解している人もいるかもしれませんが、その認識は方便の認識であり、実際悪魔とて神と離れて生きていくことはできません。
多次元世界という神の神的母体と離れて生きることはできないのです。
だから5次元幽界下段界にいる。
地獄界は多次元世界と離れて存在している世界ではないのです。
神と離れては何ぴとも生きることはできません。
あくまで神の神的母体の中で悪さをしています。
天上界を支配しているのは神の心であり、地獄界を支配しているのは神の体です。
全ての善を知るとは、神の心を知るということであり、全ての悪を知るとは、神の体(物質)を知るということです。
神の心と神の体を知る、すなわち大宇宙を知ることが、神の如く善悪を知らん人間の創造となります。
洋の東西を問わず、神の思想を悟られた方の共通した悟りの特徴の一つに真理というのは、常に表面意識の奥、自我の奥、現象我の奥から来る事実を明確に悟っている点が上げられます。
神の心というのは自我からは来ないのです。
自我の奥から来るのです。
これを神我から来ると言ってもいいし、潜在意識から来ると言ってもいいし、実相から来ると言ってもいい。
この点をヘーゲル哲学では、精神の実体と本質は、すなわち神の心は自我同一性の概念におけるところの絶対的否定性であると残しています。
ヘーゲルの言う自我同一性とは、自分が自分であること、すなわち自我のことを指しています。
精神の本質、すなわち神の心は、この自我を絶対的に否定したところに在る。
生長の家では、真我独在、実相独在、本来、現象我なしと説き、現象我という自我はないと説き、神のみ在ると説いた。
GLAの高橋信次氏ならば、表面意識が悪、潜在意識が善である。
これを悟ったならば、悟りの境地に入ったと見て良いと残しています。
スウェーデンボルグの方は、悪魔と対話している時に悪魔にこう言われました。
「あなたの心の中には悪しかありません」、と。
するとスウェーデンブルグは、悪魔にこう答えます。
「私はその通りだということを知っています。
しかしてあなたの心の中にも悪しかありませんよ。
何故ならば真理は常に主から発しているため、人間は悪に生まれついているからです」、と。
真理は自我からは来ず、自我を悪としており、表面意識を悪とした高橋信次氏とダブりますが、真理とは自我の奥から来る点をスウェーデンボルグも明確に悟っています。
彼らの霊格は全て如来クラスだそうですが、共通点があるのは理解できると思う。
自我同一性の概念を絶対的に否定したヘーゲル、本来、現象我なしと言った生長の家、表面意識を悪、潜在意識を善といった高橋信次、自我を悪とし、真理は自我の奥から発していると言ったスウェーデンボルグ、神の思想を悟られた方は、全て神の心というのは自我の奥、表面意識の奥、現象我の奥から来る点を明確に悟っています。
知花氏も神我のハイバイブレーションを顕現せよと説き、西田哲学でも表面意識上の意識現象は独我論に堕ちると残しています。
ここら辺が如来の悟りの共通点の一つですが、当サイトは自我を悪とまでは言いませんが、少なくとも他の如来の方々は「なし」と言ったり、否定している点は理解できると思う。
従って如来が自我を標準とした自己都合で法を説くことはありません。
如来は真理が来るが如しと書き、自我の心ではなく、神の心を説くのです。
多次元世界から平等知を抜き去ったり、物質観から見ますと、単なる霊的なカースト制度のようになります。
大魔王即大如来であり、悪さをしておりますけれども大魔王の生命の本質にも神の心はあり、大如来の生命の本質にも全く同じ神の心が宿されており、永遠に「一」で結ばれており、天界・現界・地獄界の全霊人は、この神の心の下においてのみ永遠に平等なのです。
大魔王と大如来の絶体矛盾は、神の存在によって自己同一化されている。(絶対矛盾的自己同一)
6次元霊界人の本質にも神は在り、10次元宇宙界の神霊の本質にも同じ神が在るのです。
この同じ一つの心、いわゆる神の心を悟るために人はみな永遠を生きている。
だからこの一つの心を信ずることを、神への信仰と言います。
これ以外のものを信ずることを神への信仰とは言わない。
確かに我々はこの一つの心を知らんとして生きているのですが、万人の努力の質や量は全て異なっており、均一な努力はないため、これを神の心から公平に評価すれば「多」としてあらわれる。
多次元世界はこの「一即多、多即一の実在」によって現象化している世界であり、だから5次元幽界から10次元宇宙界までが展開している。
実在の根本的方式は一なる共に多、多なると共に一、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具するのである : 西田幾多郎
ちなみに西田哲学で説かれている平等と差別は、一般が認識している平等や差別ではない。
言葉は同じでも理念と意味は逆です。
一般は物質にすり替えて平等と言い、差別と言っていますが、西田哲学で言われている平等と差別は、実在を捉えて平等即差別と言っています。
多次元世界もこの物質観にすり替えて認識し、霊的カースト制度と誤解している人がいたはずですが、西田哲学で言われる平等と差別は、そういった意味ではない。
この世も実在、多次元世界も実在であり、この世は仮の宿ではない。
多次元世界を霊現象界と捉える生長の家の捉え方は方便であり、高橋信次氏が言っていた霊実在界が正しい。
正確に言えば、アリストテレスが主張していた「不動の動者」の霊実在界と捉えるのが、正しい捉え方です。
この世もあの世も見られる世界(客観)は、見る者の心の世界(主観)であり、主客は永遠に合一しています。
見られる菩薩界というその世界は、そこに住む菩薩の心の世界であり、主客は永遠に合一している。
見られる地獄界というその世界は、そこに住む地獄霊の心の世界であり、主客は永遠に合一している。
西田哲学の主客合一の法則とは、天界・現界・地獄界で顕現しており、過去・現在・未来の時間をも超えている絶対的な法則です。
あの世というのは、この主客合一の法則、波長同通の法則、一即多、多即一の法則、不動の動者の実在論から理解していかなければならず、未来では科学者の手も借りながら、正確に探究されていく歴史になります。
誰も完全には解明できませんが、歴史を通して一歩一歩着実に解明していく必要があります。
この多次元世界の正確な解明なくして人類の幸福はないからです。
通常は、新たな真理が説かれることによって文明の方が崩壊していくのですが、文明が崩壊する前に法の方が崩壊してしまった。
前例のないことをやってくれます。
下の方のチャクラばかり開いちゃって、女の股から光、注入しちゃって。
変なところに光を注入し過ぎちゃって。
すると霊格が上がちゃって。
惑星意識になっちゃって。
人類を育んじゃったりして。
あっちゃこっちゃ愛しすぎちゃって。
もう、愛が復活し過ぎちゃって。
隠し子か何かが出来ちゃって。
「へっへっへ、俺のコピーじゃねぇか。
中々、かわいいじゃねぇか。」
あっちゃこっちゃコピーができちゃって。
大いなる愛に包まれちゃって。
あっちにもコピーがいるぞ!
こっちにもいるぞ!
いや、あそこにもいるぞ!
コピーだらけになっちゃって、「何かよく分からんが、困ったことになったぞ。」
ならコピーは、今日はこんぐらいにしといたらぁ。
愛が大復活しちゃってね。
逆にふうが悪くてイエスが出られなくなっちゃってね。
夥しい愛の流れの前に出られなくなってね。
「これだけ愛が復活したから、もういいや」なんて捨て台詞吐いたりしてね。
真理は真面目にやりましょう。
宇宙は神の学校です。
「お前、学校行くのに給料もらいに学校行くバカいんのか。
ボーナスもらいに学校行くバカいんのか。
学費払って、金を払ってでも勉強させて頂いとるんじゃないのか。
給料、ボーナスもらうなんぞ許さんぞ。
金払ってでも、宇宙という神の学校で、神の御心と善悪を勉強させて頂いとるんじゃないのか。
神の学校で給料やボーナスをもらうなんぞ、許さんぞ。
給料もらいに学校行くバカがいんのか。
おおぉっと、あそこに神の学校で給料もらってる奴がいる、減らしに行こ。
おおぉっと、あそこにもボーナスもらっている奴がいる、減らしに行こ。
おおぉっと、あっちにもメグリ作ってる奴がいる、メグリ取ってやろ」
「メグリって何ですか」
「借金増やして、金減らして、メグリ取ってやってるんざ」
「うわぁ、とても良い人、ってそんなことがあるか、この貧乏神が。
へッ、へッ、へッ、減らしに行こ、じゃねぇ。しかも善意で。」
「おおぉっと、またあそこで給料もらってる奴がいる、減らしに行こ。
おおぉっと、あっちでまたメグリ作ってる奴がいる、メグリ取ってやろ」
『出口王仁三郎霊示集』の時に気づくべきでしたが、普通に読んでいたため気づきませんでした。
この水星を牛耳っておるのは一体だれか、知っておるかのう。
水星は知らんかのう。
まあ、これはあまり言わんほうがいいかもわからん。
名誉にかかわるから、没落の神というんでは。
ちょっと問題があろうかもわからん。
信仰に、やはり問題が出るかもわからん。
まあ、貧乏神と言うてもいいけれどものう、一言で。
まあ、おるわけじゃ。水星の時代がのう、実を言うと、ほんとうのことを言うと、この水星の時代の最高責任者というのは、「国常立之神(くにとこたちのかみ)」なんじゃ。
まあ、貧乏神じゃ。
偉いんだけれども、霊格は高いんだけれども、貧乏神じゃ。
要するに、国常立之神が働き始めると、だいたい没落していくんじゃ。
事実、国常立之命が指導したから、大本教は、要するに、弾圧を受けて、潰れ、そして、日本が潰れたんじゃ。
わかるか。
こういうふうに、水星が働き始めると、没落し始めるんじゃ。
わしは生前、これを知らんかった。
それで、大変な目におうたわけじゃ。
したがって、主宰神はよく選ばにゃいかん。
偉いんだけれども、貧乏神じゃ。
霊格は高いんだけれども、貧乏神じゃ。
雛形経綸と神一厘の秘策の神霊ですな。
うちはゼウス神主導であり、考えは逆なんですけどね。
大川さんのところは、発展繁栄の神、天之御中主。
で、俺んところは貧乏神、日本じゃ。
実に勝手な考えを押し付けてきます。
この一厘の仕組み、59の神魂あれば成就するのざ。
世界を治めるミロクの世に使う臣民、みなこの方が落ちぶれさせておるのざ。
社会の上になんぞ、おらんぞ。
そんなところいくら探しても、ミロクの世の人民は一人もおらんぞ。
そんな給料泥棒なんぞ作っとらんぞ。
人類の心の中で、神がどの位置にいるか、よう見てみ。
神は人の心の中で一番下であろうがな。
学歴や地位収入の方が上になっておろうがな。
神が人の心の中で一番下におるのざから、お前も一番下におれ。
神が人の心の中で中ぐらいにおるのならば、お前も中ぐらいにおれ。
神が人の心の中で一番上におるのならば、お前も一番上におれ。
常に神と共におれ。
神が一番下におるのに、お前だけが上に行こうとするな、この給料泥棒が。
ここでも下の者が上になり、上の者が下になる、上下グレンざ。
働きもせっと、正義を悟りもせっと、神を信じることもせっと、地位や高い収入を得ている給料泥棒の人の上の人、みんな臭いメシ食うことできるから、今から知らせておくから。
今度こそは酷いんだぞ。
今回は、とことんのとことんのところまで行くのであるから、石にかじりついてでもやらねばならんのざ。
日本人があそこに一人、あっちの遠いところに一人、あそこの遠い遠いところに一人、言うぐらいむごいことせなならんから。
今回は、神さんどうか堪忍して下さい、と言うところまで後には引かんから。
地震、雷、火の雨降らせての大掃除、一人逃れようとて神でも逃れることはできんぞ。
今回は山の中に逃げてもダメ、神の御旨の中であるぞ、すなわち悟りの中であるぞ。
神の国の神の力をはっきりと見せてやる時が来た。
人の上の人、みんな捕らわれるぞ、痛い目見るぞ、女子供のつらいこと一時はなるぞ。
今回は牢獄で自殺する者も出てくるぞ。
富士、噴くまで死に急ぐなよ。
臣民、取り違いばかりしてるぞ。
お前らみんな穴の中に住まなならんし、生の物食うて暮らさなならんし、臣民取り違いばかりしているぞ。
何もかも一旦は天地にお引き上げぞ。
家、蔵自分のものと思うておる者、気の毒できるぞ。
一握りの米になくぞ、着るものでも泣くんだぞ。
悪人には食べるものも飲むものも頼るところも住むところも着るものもなくなるんだぞ。
臣民のかわいい尻叩いて野山切り開かせても、食い物3分しか取れんから。
始めは5分だぞ、立て替えはげしゅうなりたら、人民はみな「アフン」として「これは何としたことぞ!」と、開いた口がふさがらんようなことが起きてくるのであるから気を付けてくれよ。
残る者3分難しいぞ、3分と思えども2分であるぞ。
これが日本で予定されていたことですが、当サイトの真理より高い真理を悟れなかったため、この神道預言は2016年にあきらめたと言われている。
ただ日本だけではなく、世界の浄化というのは、大なり、小なり、こういった激しいところまでいかなければ、確かに浄化はできないでしょうね。
本題からまたそれました。
良いお年を。
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