「原文 33」は、推敲したものを上げています。
多少、どうしても修正が入りますが、上げたものをそのまま翻訳しています。
この善悪の奥義の一つである「道徳性と適法性」は、あと1、2回つづくかもしれません。
善悪の奥義と言っているのは、ヘーゲルやカント、あるいは西田幾多郎博士のような人類の知を代表する天使は、この「道徳性と適法性」の真理は、みな当然のこととして知っているのです。
従って奥義というよりも、神の善悪を判断する時の基本です。
人類の知を代表している天使は、これを当然の前提として思索し、哲学を構築しているのです。
ところが私が見たところ、大衆レベルでは、必ずしも当然のことではないのです。
やっていることを見れば分かりますが、この200年以上前に説かれている「道徳性と適法性」の意味をほとんどの人は知らないのです。
しかもそれが世界の腐敗と直結しています。
これはいかんなと思い、分かりやすく残しておく必要がある。
一部の智の天使のみが知っていて、大衆レベルでは知らない。
恐らくヘーゲル哲学やカント哲学、あるいは西田哲学は難解ですから、大衆レベルでは理解できなかったのであろうと思う。
この「道徳性と適法性」というのは、カントの哲学で説かれてきたことであり、200年以上前の話なのです。
それが分かっていないのは、カント哲学が難しいからでしょう。
この点は、日本における西田哲学と同じであり、難しく、理念も高度なため、読んでも分からないわけです。
だからドイツ観念論から200年経った現代でも、未だこの善悪の基本すら理解されていない。
それを当サイトなりに分かりやすく説いているつもりです。
日本語原文は下記です。
題名は「道徳性と適法性 Ⅱ」です。
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