国際

銃規制問題の立場

バヌアツのアオバ島のマナロ山の噴火は大規模噴火が想定されているようです。

全島民1万1000人の避難命令が出ており、サルウェイ首相は10月6日までに全島民を避難させると言っていたわけですが、どうも見通しが甘かったようです。

1万1000人を大幅に上回るようであり、10月6日までの島民の避難は厳しい模様です。

バヌアツ「火山弾が飛散」火山湖への溶岩流入も…避難計画が困難に ハザードラボ

「噴火口からは、8〜10秒ごとに爆発が起こり、そのたびに火山弾が火口から50〜100メートルの高さに噴出した。

またふたつの火口からあふれ出した溶岩は、火山湖に流入して盛んに水蒸気が上昇した」

島民の数は想定していた1万1000人を大きく上回る可能性が濃厚となってきており、すでに当初の見通しが甘かったとの声が高まっていると言う。

複数の諸島から構成されるバヌアツ最大の島は、アオーバ島から西へ35キロほど離れたエスピリトゥ・サント島には、すでに3500人が避難した。

しかし、19カ所の避難所はすでに満員で、1000人近くが野宿していると言う。

今週中に全島民を避難させるのは難しいとしている。

10月6日までに大規模噴火が起こらないことを祈るしかありません。

マナロ山の空からの空撮です。

溶岩が火山湖に流れ込み、さかんに水蒸気を出している。

大規模噴火の初期は溶岩が流れるものであり、やはり大きな噴火を起こす前兆のように見えます。

家族が住み慣れた島を後にしています。


やはり、いつ噴火してもおかしくないような状況です。

バリ島のアグン山も同じです。

避難者は既に「14万4000人」を超えました。

バリ島火山、避難者14万人以上 危険区域外の住民らに帰宅呼び掛け AFP

インドネシア・バリ(Bali)島で、アグン山(Mount Agung)の火山活動が活発化していることを受けこれまでに14万4000人以上が避難しているが、当局は30日、危険区域外から避難している住民らに対し帰宅するよう呼び掛けた。

災害対策当局はアグン山の活動は相変わらず活発だが安定していると述べている。

30日の午前0時から午前6時までに観測された揺れは200回未満で、27日と28日に観測された回数よりも若干少なくなっているという。

アグン山の10月2日までの火山性地震です。

青い棒線が浅い火山性地震であり、オレンジの棒線が深い火山性地震です。

火山活動が安定していると言えばそうなのでしょうが、浅い火山性地震が9月29日以降増加しているのが気になります。

全体の火山活動自体は、活発なようです。

アグン山の立ち入り禁止区域に、ヒンズー教の僧侶が登頂し、アグン山の噴火口を撮影しています。

バリ島火山の山頂を撮影 ヒンズー教僧侶ら 産経

インドネシア・バリ島東部アグン山の噴火の恐れが高まる中、バリの人々が信仰するヒンズー教の僧侶らが、立ち入り禁止となっている標高3千メートル超の同山に登り、山頂の様子を撮影した。

「神により近い頂上で住民の加護を祈念するためだった」

登頂したのは9月29日。

頂上付近では11カ所から白い煙が上がり、硫黄のようなにおいもしたという。

その撮影映像がこれです。


撮影している時に噴火したらどうするのでしょう。

当局には「二度と登るな」と釘を刺されたようです。

そりゃそうだ。

またアメリカのラスベガスで史上最悪の銃乱射事件が起きています。

この前はフロリダだったと思いますが、今度はラスベガスです。

まるで人間狩りです。

犯人はスティーブン・パドック容疑者であり、現時点での死者数は「59名」、負傷者は「527名」です。

カントリー音楽祭「ハーベスト91」の会場の観客を襲ったようです。

マンダレイ・ベイ・ホテルの32階からの無差別乱射です。

BBCが、アメリカにおける1991年以後の乱射事件の死者数と負傷者数のグラフを出していますが、濃い緑が死者数であり、薄い緑が負傷者数です。

ラスベガスの乱射事件は、59名の死者と50名を超えておりますので負傷者を見ても、フロリダでの乱射事件を超えています。

まさに史上最悪だったわけです。

銃規制を真理上からどう見るか ?

銃規制については諸神霊の中でも意見は分かれるでしょう。

意見が分かれるのは、この銃規制問題は銃という物質に比喩した方便の善だからです。

大衆に偏っている神霊は、銃規制に賛成するでしょうが、これは日本や中東系の神霊に多いです。

やたらチビをとっ捕まえて戒律で規制したがる神霊がいるのです。

お前は未熟であり、子供なんだから莫大な富を持てば、すぐ溺れて都合に走り、転落して地獄に堕ちてしまうんだから、地獄に堕ちたくないでしょ ?

だったら富を避けなさい、女を避けなさい、軍事力を避けなさい、銃を規制しなさい、地位名誉を避けなさい、金やんな、あれやんな、これやんな、と戒律で縛っていきます。

中東系の教えで戒律が多いのは未熟な大衆に偏っているからです。

イスラム教徒の女性は、肌まで隠します。

とにかく地球で「自由」を撒いてきたのは我々なんで、こういった神霊の考えを見ますと、

キリスト教の、お前んとこのパパとママは、ほんとうるせぇな。

あれやんな、これやんな、と

霊的未熟から戒律が生まれる。

すなわち不自由が生まれる。

女・子供相手に法なんて説いておりますと、あれやんな、これやんな、あれもやっちゃダメ、これもやっちゃダメとなり、不自由があらわれる。

その未熟から地獄に堕ちてしまいますから、あれやんな、これやんなというわけです。

問題の根本的解決にはならない。

いくら戒律を与え、それを守っても霊的未熟がそのままであるならば、その未熟からいくらでも人類の問題は出てくる。

霊的に成熟していれば、莫大な富をもとうが、同性愛をやろうが、強大な権力をもとうが、恣意に流れず、溺れもしない。

これが真理は汝を自由にせんという本当の意味です。

悟りによって霊的に成熟していけば、富を持とうが、女をやろうが、軍事力をもとうが、大衆が悪だということをやろうが、地獄にはいきません。

つまり悪にならない。

霊的に未熟なものが富をもったり、異性に狂ったり、軍事力をもったり、権力をもてば恣意に流れ、都合に走り、転落して地獄に堕ちるということです。

その自由の極致がゼウス神です。

大川さんのところでも言っていたと思いますが、妻を欲しいままにして、金銀財宝を欲しいままにして、権力と地位と名誉とを一挙に手に入れて、悪党をぶっ飛ばして、最高霊域に帰る。

一人も地獄に堕ちていません。

霊的に未熟な大衆は、このゼウスみたいに生きられないのですね。

未熟だから。

やれば必ずその富に溺れ、女に溺れ、地位名誉に溺れ、権力に溺れ、最強の軍事力に溺れ、恣意に流れ、正義を失い、心を歪め、転落していきます。

ゼウス神のように生きられないのは、それを霊的未熟という。

そしてその未熟な大衆相手に法を説けば、中東系のように、あれやんな、これやんな、あれもダメ、これもダメ、と戒律を付けるようになる。

大衆への愛情からそうなるのかもしれませんが、問題の解決になっていない。

いくら神の名の下に戒律を与え、それを順守させても、それだけで霊的に成熟するわけでも、悟れるわけでもない。

霊的な未熟はそのままですから、問題の解決になっていないと言っている。

霊的な未熟がすべての問題を生んでいるわけですから、未熟なうちはこういった神霊は戒律をつけ、人を縛っていきます。

そして一旦、神の名の下に戒律をかせば、次ぎに悪魔と言われる存在が、その戒律をもっとより複雑なものに変え、大衆を迷わせていきます。

未熟は汝を不自由にせん。

真理は汝を自由にせん。

その自由の極致の神霊がゼウス神と言われる方であり、幸福だの成熟だのを目指せば、必ずゼウス神と同一の結論になる。

霊的に民度が低く、霊的に未熟な者を相手に法を説けば、あれやんな、これやんな、とお節介をやくことになる。

高度な真理を悟り、霊的に成熟していけば、莫大な富を持とうが、最強の軍事力を持とうが、女や同性愛にふけろうが、権力をもとうが、神の正義を失うことなく、一人も地獄にはいかない。

これが真理は汝を自由にせん、という本当の意味です。

聖書では啓示というあの世の結果だけを降ろしているから、この啓示の意味が読んでも分からない。

ゼウス神の考えは、常に政治・軍事・信仰ですから、軍事力の否定は物質観から抜けられず、未熟な国家や地域の者達が主張する思想です。

日本は典型ですね。

肉体を自分だと思っているから、その肉体の舌に奉仕して、グルメ番組ばかりつくる。

肉体を自分だと思っているから、その肉体を飾る衣服にやたら執着する。

肉体を自分だと思っているから、その肉体を洗うお風呂が大好きですね。

猿も温泉、大好きですけどね。

自我を標準に生きているから、自我の求める快楽だけを探している。

大人よりも子供の方が快楽がありますから、その子供を目的としてテレビゲーム・アニメ・マンガに入れ込む。

最近ならばポケモンGOが有名です。

自我は、快楽を求めますのでお笑いの快楽と涙の快楽の双方を目的とします。

自我は快楽を求めますので、こういった者は必ず富という快楽を目的としています。

くだらないお笑い番組が、やたら多いのも民度の低さの証明です。

古代ローマでは、これをパンとサーカスと言っていました。

パンはグルメ番組、サーカスとはお笑い番組です。

まさにパンとサーカスですが、ローマ帝国はこれで滅んだ。

日本もこのパンとサーカス、グルメ番組とお笑い番組で滅ぶ。

自我を目的とすれば、物質に支配されますので、物質の意味する力や富、権力や軍事力にやたら迎合します。

日本の政治家は典型ですね。

アメリカ大統領のケツの穴まで舐めそうなぐらい権力と富、軍事力と国際的影響力に絶対服従します。

悪に絶対服従している民族ですね。

今、次ぎのアメリカの金魚の糞を選ぶ選挙が始まってますけどね。

金魚の糞になりたい者は、ならねばならぬ。

金魚の糞に投票しても仕方ないですけどね。

そのうち衰退後に、なくなっていくでしょう。

銃も同じ。

かつて「ヒットマン」という映画を見たことがありますが、暗殺者ですね。

リボルバーの拳銃を目の前において、その銃を指さし、こう言います。

いいか、銃は人を殺さない。

殺すのは俺たちだ

肉体を自分だと思っている未熟な者は、その肉体を傷つけそうな軍事力や銃はすべて否定します。

肉体と物質を基準に生きている者は、物質という快楽を基準にしています。

銃や軍事力は快楽を基準にしますと不快なために快楽という悪を基準に不快な軍事力と銃を否定していくわけです。

自己の未熟のせいにせず、銃のせいにして規制せんとするのです。

さながら軍事力がなければ、平和が訪れると錯覚している者達と同じです。

ゼウス神も言っていたと思いますが、銃や軍事力をすべて一掃した場合、次に出てくるのは人間のエゴイズムです。

それはそれは恐ろしいものであったと、言っておられたと思いますが、好き勝手やっても銃がない、軍事力がないから誰も悪を規制できなくなるのです。

未熟な世界で軍事力や銃をなくせば、次に出てくるのは人間の魂を滅ぼすエゴイズムです。

乱射事件の原因は、銃社会ではなく、各人の霊的な未熟です。

未熟な者が銃を持てば、場合によっては乱射事件を起こす。

ソクラテスが銃を持っていても乱射事件など起こさない。

政治体制、経済原理共に利潤という悪を追わせておりますので、鬱屈した者も社会では出てくるでしょう。

その時、未熟な者の場合、こういった乱射事件を起こす。

起これば、銃を規制しようとするのも人情的には分かりますが、銃をなくしたとしても霊的な未熟がなくなるわけではない。

軍事力をなくしても、人間のエゴイズムがなくなるわけではない。

銃規制には基本的には反対ですが、それは日本人のように霊的な修行にならないからです。

銃規制どころか日本では銃そのものが市民は持てませんが、これは肉体を自分だと思い、その肉体に危険なものはすべて否定せんとする傾向があるからです。

だから銃規制に賛成する者が多いのが日本であり、これも民度の低さの証明であり、それは肉体を自分だと思う物質観から、乱射事件が起こりますと、霊的な未熟のせいにせず、銃という物質のせいにするからです。

銃をなくせば、乱射事件は起こらないと思っている。

起こらないのではなく、起こせないだけです。

だから日本では銃の乱射はありませんが、カレーライスに毒を盛って殺します。

軍事力をすべてなくせば、戦争はなくなると思っている発想と同じであり、戦争がなくなるのではなく、軍事力がなければ、戦争ができないというだけの話です。

かつてゼウス神が、兄弟たちとの戦争で傷つき、二度と戦争をすまいと誓い、平和を愛せ、人を愛せという教えを説き、どうなったか。

軍事力を否定した場合、少なくともその行使を否定した時、恐ろしい悪魔が目覚めた、と言っておられたはずです。

その恐ろしい悪魔とは、エゴイズムです。

霊的に未熟な人類が、その未熟が前提の世界で軍事力をなくせば、次に出てくるのはその未熟を病巣としたエゴイズムなのです。

これは人間の肉体ではなく魂を滅ぼすものであり、それはそれは恐ろしい悪魔であったと言っておられました。

戦争は軍事力のせいではなく、霊的な未熟のせいです。

乱射事件は銃のせいではなく。霊的な未熟のせいです。

つまり悟りの欠如がすべての原因です。

もっと極端に言えば、地球を一発で破壊できる兵器を作り、それを正義で完全にコントロールできる成熟、これが我々の目的です。

何故ならば、神御自身が、それを永遠に実践しておられるからです。

神は大宇宙を一発で破壊できる力を持っておられますが、同時にその大宇宙を破壊できる力を神の正義で完璧にコントロールしておられます。

物質という未熟な人類が溺れる悪を、神の正義で完全に支配しているわけです。

だから我々未熟な人類は、神の庇護の下に霊的修行ができるのです。

もし神がその完璧な心をもっておられなければ、我々未熟な人類は呑気に霊的修行などできないどころか、とっくの昔に我々自身の未熟によって滅んでいるはずです。

だから大宇宙に住して修行をしている神の子達すべてを生かせるわけです。

そこまで人類は成熟していない。

ここまで成熟して初めて、次に宇宙を開拓していけるということです。

少なくともこの方向性が、霊的な進化と成熟の基本の前提です。

当然、幼稚な神道と合うわけないということです。

その意味でゼウス神の意図通り、政治・軍事・信仰となるでしょう。

軍事力や銃に対する基本的な考えは、こうですが、要はどちらが長期的に霊的な進化と向上が成就するのかという点から決まるということです。

銃が持てない日本を見れば分かる。

アメリカが経済力と軍事力を持っているというただそれだけの理由で、見苦しいほど屈従する。

神の体に服従しているわけです。

政治家になって国民の税金で豪遊が神道の考えです。

だから富と権力に巣食っているのです。

その性質は加計なんちゃらとか森友なんちゃらとかいう問題である程度出ていたはずです。

銃を批難するが、その銃社会のアメリカには絶対無条件で屈従する国際社会におけるみっともない日本の政治家を見れば分かるでしょう。

今後の神約民主論国家では、そういった文明や国にしてはいけないということですね。

まぁ、元々なりませんけどね。

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