真理関係

GLAと幸福の科学 6

GLAの高橋信次氏から本格的に開始された今回の救世運動ですが、GLAでは霊能者が多かった。

ほぼ全滅したようですが、霊能力の位置付けは方便です。

神理につけるための方便として霊能力を使用する場合はあります。

生前の高橋信次氏がそれをしていました。

正法につけるための方便として霊能力を利用していた。

禅系統の諸神霊は、割と霊能力に否定的な傾向ですが、別に完全に否定しているわけでもありませんが、そのようなものに捉われるのは魔境であり、むしろ悟りから遠ざかることになる。

霊能力、いわゆる霊視・霊聴・他心通等で見えるものはすべて霊現象を見ているのみであって、これはこの世の人間が肉眼で現象を見て、物質を拝む姿と変わらない。

霊能力で神の心は見えず、聞こえず、読めない。

たとえば大魔王即大如来とは、大魔王の本質にも神の存在はあり、大如来の本質にも全く同じ神の存在がある。

この時、この大魔王の中の神と大如来の中の神とは、全く同一であるが、それは霊視では見えない。

霊視では一方は漆黒のオーラをまとった大魔王、他方は黄金のオーラをまとった大如来、双方同じ存在には見えない。

霊能力では、大魔王即大如来には見えない。

同じものには見えない。

霊能力に依存して、大魔王即大如来の神理を悟ることはできない。

霊視で見ているのは霊現象のみであって神の心を見ているのではない。

神の心、我々の真の本質は肉眼でも霊眼でも見えない。

だから禅の坊主は、神の意志を「無」と言う。

西田哲学では無に対する有、有に対する無ではなく、その相対的な有無二元論を超えた絶対的な「無」と言い、絶対無の哲学を構築されました。

霊能力で神を捉えることはできない。

第六感霊能力を超えた第七感・神眼でしか神理を悟ることはできない。

従って霊現象のみを捉えている霊能力で神の心を悟ることはできない。

たとえ他心通で人の心が読めたとしても人間不信に陥るだけであり、それは霊現象を見ているからである。

決して「信」には至らない。

神理を悟ればこれを原因(神の心)として結果(神の体)、発現してくるものが霊能力であり、霊能力信仰とは神の体(物質)を拝む偶像崇拝に過ぎない。

悟りが「天」であり、悟れば、これを原因として結果、霊能力が発現する場合がある。

悟りが「天」、霊能力が「地」で天地一体です。

生命が「天」、物質が「地」で天地一体です。

霊能力信仰が間違っているという根拠は宇宙論。

神の心が「天」であり、神の体は「地」であるにも拘らず、霊能力という「地」を「天」に置き、この超能力を得るために修行をしているからである。

このような者は富を得るために努力して地球を汚している者達と変わらない。

神の心が永遠に「天」であり、霊能力は「地」であり、これを逆転したる者は魔に堕ちたのである。

霊能力で普通の人よりも優秀であると自惚れ、慢心し、相対的比較観(物質観)から驕り、自我を「天」に置く宗教的転落者となる。

しかも悪いことに、そういう時に限って魔の暗躍があり、決してその驕りを見逃さない。

富と国益を「天」に置いている今の文明も魔に堕ちたと言ってもいいであろう。

この拝み屋の文明は、その末路としてあわれなものになる可能性が高い。

何千年も前から「やるな、やるな」と言われてきた「偶像崇拝」をしてきたからです。

利潤(神の体)を「天」に置いた資本主義に新自由主義、人民共通の利益に基づいた国家契約において利益(神の体)を「天」に置いた民主主義、共産主義では唯物論の物を「天」に置いた社会主義、すべてが神の体を「天」に置いた「偶像崇拝」にふけっている。

この傲慢な文明は、恐らく神の会心の一撃によって、一旦は葬り去られるであろう。

傲慢とは相対的なものを絶対化すること。

利益という相対的なものを絶対化すること、国益という相対的なものを絶対化すること、自我という相対的なものを絶対化すること、これを神への傲慢と言う。

過去のすべての文明も、この神への傲慢によって滅び去ってきた。

今回もそうなる可能性が極めて高い。

GLAでは高橋信次氏の死後、お弟子さんがこの霊能力信仰にふけっていたため、その驕りを魔につかれて分裂しました。

神の体を「天」に置き、神の心を「地」に置いてしまったのです。

宇宙と分かれてしまったわけです。

宇宙は永遠に神の心が「天」であり、神の体は「地」です。

神理が「天」であり、霊能力は「地」で天地一体です。

これを逆に認識して宇宙と切られたわけです。

自然界は法のあらわれである。

人はこの法をもって思いと行いを正せよ。: 高橋信次

自然界の法を基準とし思いと行いを正せよ、つまり自然界と一体化して生きなさい。

外れた時は、その思いと行いを反省し、自然界と一体となって、まぁ生きていきなさいよ、と言っていた。

ただこのGLAの霊能集団によって色々と分かったことがあります。

GLAでは霊道を開けば、過去世の記憶が蘇り、例えば過去世イスラエルに生きていた者は、今世日本語しか喋れないものがアラム語を喋る。

今世、学んだことのない言葉を喋るようになり、これが過去世がある証拠とし、輪廻転生を立証せんとしていました。

高橋信次氏曰く、

私は仏典も聖書も読んだことはありません。

宗教的な知識などは一切ないのです。

このような埃と塵にまみれた宗教書など読まなくても分かるのです。

内在せる偉大な叡智が潜在意識からコンコンとわき上がり、教えてくれるのです。

このような異言現象は、聖書の使徒行伝第二章や華厳経の十地品(じゅっちぼん)に書かれてある現象なのです。

ちなみに使徒行伝の第二章にはこうあります。

突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。

すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。

そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。

それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。

みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。2:2-12

確かにGLAと同じ霊道現象ですが、キリスト教では輪廻転生を認めておりませんので、このバイブルの部分をGLAのように輪廻転生の証明とは捉えていません。

ちなみに高橋氏は十地品を「じゅっちぼん、じゅっちぼん」とうるさいですが、正確には「じゅうじぼん」と読みます。

別に重箱の隅をつつく気はないのですが、彼は割とそういうのが多いです。

ここら辺が、少し大雑把ということですね。

あの世の親鸞でも阿弥陀仏の四十八願(しじゅうはちがん)を阿弥陀経と間違えていましたからこういった知識の間違いと言いますか、記憶違いと言いますか、こういったことはあの世でもあり、枝葉末節な事柄です。

四十八願は阿弥陀経ではなく、無量寿経です。

せいぜい正確に越したことはない程度のことです。

悟りの理念の方が重要です。

ただ内村鑑三の霊言にはまいった。

もう突っ込みようがねぇ。

でも全体の理念としては確かに如来界の理念ですので本物とは分かっていますが、あの知識の間違いの部分はなんとかせぇとしか言い様がない。

それで嘘霊言とか言われて否定する根拠となっているのです。

本人らは大抵、この世の人生経験のことは忘れているのでね。

悟りと価値ある部分しか魂の記憶には残らず、その他の価値のない部分はすべて剥奪されているのです。

良心がむき出しの世界なのでね。

その剥奪されている部分を本人の証明と称して喋ろうとするから、色々と食い違うことが出てくる。

受けた大川さんも、他人から突っ込まれたら反論しようがねぇだろうと思う。

ただそういった諸神霊が知識的に間違える部分の共通点は、神理的に価値のない知識の部分です。

神理的に価値のない人格性の知情意は、すべて剥奪されているのです。

というか記憶の彼方に流れ去っていくのです。

ここがこの世の人間と明らかに異なる部分です。

霊言でもここら辺の部分をニュートンも高橋信次氏も言っていました。

はや、私も死んでというか、今でも生きているつもりですが、10年経ちました。
白い雪の感覚が次第に分からなくなっている。

あの世の諸霊は肉体がありませんので肉体の感覚が次第に分からなくなる。

雪が冷たいというが、どういった感覚か、生きている時には理解していたが、死んで10年もたつとどんな感覚だったか次第に忘れかけてきているといったようなことを言っていました。

その神霊に雪のことを問うても分からなかったり、答えられなかったり、適当なことを言ったりしますが、それがまたこの世の人間に突かれて、だからあの霊言は嘘なんだと批判する人がいるのですね。

こういったこの世の人間とあの世の霊との認識の相違があります。

要はこの世の人間が未熟過ぎるということですが、しかしてある程度仕方がない部分もあります。

もともと彼らはそういった認識レベルにないのです。

神理や価値ある部分以外は忘れていくのです。

この世の人間は価値なきものを目的としたり、努力していますが、こういったものは現象無常で流れ去っていく。

価値あるものが生命に残り、価値なきものは自然と過ぎ去り、生命から流れ去っていくのです。

だからこの世の人間が価値なきことを諸神霊に問うても分からなかったり、答えられなかったり、忘れていたり、苦痛を感じたり、生前は知っていたことでも死後は価値なき部分は忘れていきます。

興味のないことは忘れていくのです。

ただ偉人の場合はこの世で色々と証拠や記録が残っているので、そこをこの世の知識からその矛盾を突かれることがある。

そして否定していくわけですが、それは間違っているのです。

これは高い霊域ほどそうです。

神は価値ですから価値あるものしか興味はなく、価値あるもののみ記憶に残り、価値なきものは自然と忘れていく。

善川三郎だったか誰かが自民党がどうのと諸神霊に質問したら、

あぁ、私は申し訳ないですが、そういった政党だの政治だのには全く興味はありません。
私は正法にのっとった政治が行われるかどうかにしか関心はありません。

これは日蓮も言っていたし、ノストラダムスも言っていたはずです。

まったく価値のないことを政治でも経済でもしているために彼らは興味がないのです。

価値のないものに興味がもてないのですね。

価値あるものと価値ないものとを明確に区別し、理解している世界が上層霊域の神霊です。

本題にまでいきませんでした。

紙幅の関係でここで切ります。

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