今月は大川隆法氏追悼月間にします。
大救世主の使命を果たすことなく、志半ばでご逝去されてしまったわけですが、いくつか遺産として残したものがあります。
まず第一に1985年から1989年までに残した霊言によってあの世の存在を多くの人達に確信させたことです。
これは大川さんの偉大な功績だと思う。
2009年以後の霊言は似非霊言ですから考える必要はありませんが、1980年代の霊言によって諸神霊の多様な個性やその高度な思想に圧倒された人も多いでしょう。
まさに天上界という存在を確信させたわけです。
地獄界における悪魔や悪霊の存在もかなり明確となり、この世で悪を為せば地獄に堕ち、善を為せば天国に帰天することになります。
天国とは善の認識が客観化された世界であり、地獄とは悪の認識が客観化された世界です。
一言「善」と言い、一言「悪」と言いましても、人の数だけの善悪がありますのでそれだけの客観化された世界が存在しています。
また一言「善」と言いましても、いわゆる善とは「無限」ですから、単に10次元宇宙界で完結しているような世界ではなく、上方に向かって無限に次元世界が続いており、イエスでも一体何十次元に神が存在しておられるのか自分の次元にいても分からないと言っていました。
善の無限性が証明されているような世界であり、多次元世界とは、無限が現実化している世界と言えそうです。
西田哲学で説かれておりますようにこの世も見られる世界は、見る者の心の世界であり、主観と客観が合一した主客合一の世界ですが、あの世も同じく主客合一の世界です。
見られる菩薩界というその世界は、そこに住む菩薩の心の世界であり、主観と客観が合一している主客合一の世界です。
見られる地獄界というその世界は、そこに住む地獄霊の心の世界であり、主観と客観が合一している主客合一の世界です。
主客合一の法則は、あの世とこの世を貫く法則です。
あの世もこの世も心が世界を作っているのです。
主観と客観が分離している世界であるならば、如何に自己の心を磨いても、客観の世界と分離しているわけですから、その心は客観の世界に何の影響も及ぼしません。
心が良くなろうが、客観の世界は悪くなり、心が悪くなろうが、客観の世界は良くなることになるのです。
主観と客観が切断されている世界の場合、人間の心は意味を持ちませんし、人間の存在を心的存在として定義づけることもできません。
心を磨こうが、磨くまいが関係なく、客観の世界は勝手に良くなったり、悪くなったりするからです。
ところが西田哲学で説かれておりますように目の前の世界が、主観と客観が合一した主客合一の世界である場合、客観の世界を良くしていくには、人類個々人が自己の心を良くしていく以外にありません。
心が世界を造っているからであり、主観と客観、心と世界は一つだからです。
主客合一の世界が意味することは、客観の世界を良化するには客観の世界と合一している主観、この「心」を磨くしかないということです。
主観と客観は合一しているため自己の心は必ず客観の世界に影響を及ぼすからです。
主客合一の世界では、人間の心が重要なものとなり、心が世界を良化していくため人間の存在を心的存在であると定義づけることができます。
すなわち目の前の世界そのものが、人間の存在を心的存在であり、人格的存在として永遠に定義づけているということです。
そしてその自己の心を磨き、向上進化させるには神の心を悟るしかなく、その神の心が存在している自己の心の中心を知っていくしかありません。
まさに汝自身を知れということです。
ここに至って世界を繁栄良化していくには、神の心を信じ、神の心を悟り、自己の心を向上進化させるしかなく、初めて神の心が人類にとって「永遠の希望」になっている事実を理解できるようになります。
客観の世界を良化繁栄させるには、その客観の世界と合一している主観、この「心」を磨くしかなく、まさしくカントが残しているように主観が客観を可能にしているわけです。
その「心」の中心と本質には神の心が存在しています。
そして人間の心は、神の真善美によってしか磨かれることはなく、向上進化することもありませんので、全世界を良化繁栄させることのできる存在とは、神の存在しかないということです。
世界が主客合一の法則に基づいて造られているということは、人間は自己の心を磨くしか世界を良化することはできず、また世界を繁栄良化していく人間の心とは、神の心によってしか良くならないために神の心が人類にとって「永遠の希望」になっているということです。
世界の構造と仕組みが主客合一の法則に基づいているという事実こそが、人間を永遠に心的存在として定義づけており、その人間の心の中心に存在する神の心が「永遠の希望」になっていることを示しています。
宇宙の存在がそれを示しているのです。
人間を心的存在として永遠に定義づけている存在とは、主客合一の法則に基づいて造られている眼前の大宇宙であり、神そのものです。
大宇宙は主客合一の法則に基づいて存在している限り、人類はその心によってしか客観の世界を良くしていくことはできないということです。
そしてその人間の心を良化するものは神の心しかないわけであり、世界を繁栄良化に導くことのできる存在とは、永遠に神の存在だけであると言えます。
ここで自己の心を浄化していく上で「悟りと反省」が重要な法になってきます。
その表面意識の奥には潜在意識があり、この潜在意識には多次元世界、いわゆるあの世の存在が展開しています。
表面意識が悪であり、潜在意識が善である。
これを悟ったならば、悟りの境地に入ったと見て良い : 高橋信次
大川さんはこのあの世の存在を多くの人に確信させたのです。
あの世とこの世は一つであり、波長同通の法則によって一体となっています。
善霊は善霊と通じ、悪霊は悪霊と通じます。
この世の人間がその心から善を出せば、あの世の善霊と通じ、この世の人間がその心から悪を出せば、あの世の悪霊と通じ、憑依を招きます。
あの世とこの世の関係論において、もし双方の世界が分離しているならば、善霊の導きもなければ、悪霊の憑依もありません。
ところが実際、善霊からのインスピレーションはあり、悪霊の憑依現象もありますならば、それは波長同通の法則によってあの世とこの世は常に一体であるということです。
GLAでは悪霊の憑依について、悪霊に憑依されるには憑依されるだけの本人の心の汚れが、否応なく悪霊を呼び込んでいるのだと言っておりましたが、何故否応なく悪霊を呼び込むことになるのか。
波長同通の法則が永遠に作用しているからです。
だから自己の心から善を出せば、波長同通の法則によって善霊を呼び込み、自己の心から悪を出せば、波長同通の法則によって悪霊を呼び込むことになるのです。
自己の心が善を出しているのに悪霊と同通することはなく、自己の心が悪を出しているのに善霊と同通することもありません。
この波長同通の法則も人間では「もう、どうしようもない」です。
自己の心が善を出せば、自動的に善霊と同通しますし、悪を出せば、自動的に悪霊と同通してしまいます。
波長同通の法則も主客合一の法則と同様、あの世とこの世を貫く法則です。
自己の心を善に修正するには、神の心をみずから悟るか、あるいは神の心に照らして反省するしかありません。
その説く善が本当の神の心であれば、善霊と同通しますし、その説く善が偽物の善であるならば、悪霊と同通してきます。
何が善であり、何が悪であるのかは永遠に神ご自身が決めておられますので、人間は謙虚に神の心を正確に探究していかなければならない。
正法とは神の心とおのれの心を同じくするという、ただこれだけなのです : モーゼ
ただその神の心とは何かが分からないわけです。
「救世の法」とは、この神の心を正確に編纂した法です。
あの世の存在、いわゆる多次元世界の全貌を最初に説いたのはGLAの高橋信次氏でしょうが、幸福の科学の方が圧巻でした。
GLAでは最高度に霊的な進化を遂げた10次元宇宙界の神霊は、エル・ランティ・モーゼ・イエス・釈迦の4名しか明らかにされておりませんが、幸福の科学では4名ではなく、10次元宇宙界には10名の人格神が存在している事実を明らかにしています。
これも大川さんの功績だと思う。
大川さんがいなければ分からなかったことです。
釈迦とイエスの経歴も高橋信次氏時代のGLAでは、不正確であり、例えば黄色なら黄色、白色なら白色の光線下に属している霊人をイエスや釈迦の過去世として説明しておりましたが、大川さんの方が正確でした。
例えば高橋信次氏は釈迦の過去世を木戸孝允や空教、あるいは伝教としておりましたけれども、これは黄色の光線下に属していた霊人に過ぎず、釈迦の過去世ではありませんでした。
黄色なら黄色で同じ色の光線に属しておりますので、同じ魂と捉えられないこともありませんが、実際の釈迦の過去世とは違いました。
釈迦とイエスの過去世については、GLAよりも大川さんの方が正確です。
これも大川さんがいなければ分からなかったことであり、功績の一つだと思う。
輪廻転生については、GLAでは霊道現象と循環の理法で説いておりましたけれども、GLAと幸福の科学の双方がその説き方としては不十分でした。
既存の古い仏教よりかは正確な輪廻転生を説いておりましたけれども、あの世とこの世を魂は永遠に循環していくというだけでは不十分なのです。
何故、魂はあの世とこの世を永遠に循環していくのかというその理由まで説いていないからです。
むしろ異言現象や霊道現象に偏って輪廻転生を説いておりましたので、第三者が知性的にその輪廻転生の正しさを検証できず、ただそのまま鵜呑みにするか、あるいは信ずるしかないものになっています。
これではいずれ方便の壁と限界にぶつかります。
ソクラテスも述べていたと思いますが、やはり真理は知性的に説かれなければならない。
霊能力をもっていない第三者がその正しさを知性で客観的に検証できる法として説かなければならないということです。
輪廻転生の法則を説く上でも多次元世界、いわゆるあの世の存在は前提です。
あの世の存在を説かない輪廻転生は偽りの輪廻転生です。
この世からこの世へと生まれ変わってくるわけではなく、あの世からこの世に生まれ変わってくるからです。
そしてみなあの世に帰っていく。
神の存在とあの世の存在は、カントが実践理性批判で述べておりますように道徳観から必然的に要請されます。
この世の人間が、あくまでこの世で正義や愛、慈悲や叡智を重んじるならば、神の存在と霊の不死はこの道徳観から必然的に要請されます。
カントは神の存在と霊の不死を前提にしなければ、この世で叡智と正義、愛と慈悲、この道徳自体が成立しないと言ったのです。
死イコール無の等式では、この世で価値と道徳が成立しないのです。
神の存在とあの世の存在を否定すれば、この世で価値そのものが成り立たないと言うことです。
そしてGLAの霊道現象であの世の存在の在り方、あるいは天国と地獄の様相がかなり明らかになっています。
あの世が存在するならば、善の認識が客観化されている天国と悪の認識が客観化されている地獄界は存在しているわけです。
神の善の不滅と永遠性を立証している世界があの世です。
もちろん神が地獄界を造ったわけではありませんが、人間の側の未熟からどうしても神の絶対善を外れる者が出てくるわけです。
そういった者がその心で地獄界を作っているわけですが、それも神の公平な評価と言えます。
神の善から公平に評価されて地獄にいるわけです。
神と人間は永遠に一体で生きておりますので、誰であろうが、その一体である神の心の公平な評価を受けるのです。
誰も逃れることはできないのです。
その中で生前、悪に偏り、そのおのが経験を通して地獄に堕ちる人もいるということです。
神が地獄を造ったわけではありません。
地獄界については恐怖の世界として説かれることが多いわけですが、人に恐怖を与えるために存在しているわけではなく、あの世の天台智顗大師は地獄界を心を病んだ人達が一時的にいる「病院」であると述べ、神の慈悲の世界として捉えて欲しいと言っていました。
あの世の高橋信次氏は、地獄界とは特訓場であると言っていました。
自己の心を善に修正していくための厳しい特訓場である、と。
そこまで悪に偏ってしまった人は、きれいごとだけでは中々自己の心を元の善に修正できないため厳しい特訓をしています。
地獄界の恐怖とは、神が造ったものではなく、人間の歪んだ心が作っているものです。
神の心とあまりにも離れてしまった人間の心というのは、これほど恐ろしい世界を作ってしまうということです。
これが俗に言う地獄界の恐怖です。
これは神と離れた人間の心の恐ろしさです。
地獄の恐怖は、あくまで人間が勝手に作っているのであり、神が造ったわけではありません。
従って神の心を悟れば、地獄界は消滅します。
消え去り、無くなり、過ぎ去ります。
悪とは本当にあるもの、永遠になくならないもの、すなわち実在ではないからです。
地獄界もいずれ消滅していきますが、それは実在の世界ではないからです。
幸福の科学の最大の功績とは、悟りの段階論を初めて説いたことに尽きるでしょう。
高橋信次氏は、確かに釈迦の反省法を完成させましたが、悟りの段階論までは説いていません。
GLAで説かれた多次元世界は、結果論として死後の世界はこうなっているという結果だけを下ろしたものです。
その意味で、まだあの世とこの世が切られているのです。
あの世とこの世が貫かれていないのです。
多次元世界における悟りの段階とこの世の人間が悟る悟りの段階が一致しておらず、切られてしまっているのです。
このあの世の悟りの段階とこの世の悟りの段階を一致させようとしたのが大川さんの「愛の発展段階説」です。
これは人類史上初めて説かれた法であり、画期的な法と言っていいでしょう。
世界の全ての諸問題と不幸の原因とは、この悟り不足から来る人類各人の未熟です。
従って人類の幸福を実現していくには、人類各人が悟りを通して成熟していかなければならないのです。
そのために説かれた法が「愛の発展段階説」ですから、幸福の科学の全人類幸福化運動と軌を一にしている法です。
当サイトでは「自を生かし(7次元神界)、他を生かし(8次元菩薩界)、全てを生かせ(9次元如来界)」で説いておりますが、以上の理由から「愛の発展段階説」というより、「幸福の発展段階説」と呼んでいます。
もちろん大川さんの方がオリジナルであり、独創です。
大川さんの晩年は何かおかしくなっておりましたが、このあの世の悟りの段階とこの世の悟りの段階とを一致させようとする思想的な動きは、今後も多くの光の天使があらゆる角度から探究していくはずです。
あの世の悟りの段階とこの世の人間の悟りの段階が一致し、あの世とこの世が貫かれた時、真の意味で全人類の幸福が実現していくからです。
その先達となった人が大川隆法氏です。
これが大川さんの最大の功績と言っていいと思う。
今月の3月初頭に、ご逝去された大川隆法氏ですが、桑田さんが良く釈迦本体の生まれ変わりとコメントされていました件なのですが、大川氏が生きている時期に
あの世に釈迦の意識体が存在するようなお話をしていた事があったように記憶してます、輪廻転生のイメージの本体が出るというイメージが良く判らないので
どういう状態なのか何かの機会に説明をお願いいたします。
釈迦本体が出ると、あの世の釈迦の意識体は別人格で存在するのか、本体が出ているので別人格もないとは思いますが、よろしくお願いします。