道徳性と適法性とは、本物の善と偽物の善の関係のことですが、カント哲学では明確に区別されています。
明確に区別するというのは、未だ方便であり、神我と自我を明確に区別するのと同じです。
方便の善とは「目的」にもならず、「否定」もまたできない善ですので、神我と自我の区別を明確に「目的」にすることはできませんが、明確に「否定」することもまたできません。
例えばキリスト教では「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない : マタイ6-24」と説かれています。
神と富を自我で切って、富よりも神の心を選べという教えですが、神と富を自我で切っておりますので自我に比喩した善、すなわちこれは方便です。
方便とは「目的」にもならず、また「否定」もできない善です。
真理と現象利益を切って、現象利益を捨てて真理を取れと言っているのです。
2000年前の当時はそういった認識であったということです。
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