本物の善は、本物の悪を語れるけれども、偽物の善は、偽物の悪しか語れません。
偽物の善と言う言い方はきつい言い方ですが、好意的に方便の善と言ってもいい。
少し神の心から遠い善です。
従ってその人間の主張する善が、本物の善か偽物の善かを判断するには、善と逆の悪の問題について語らせ、それを神の心と神の体の理法から見性すれば分かります。
本物の善は、本物の悪を語れますが、偽物の善は、偽物の悪しか語れず、本物の悪を語れないのです。
偽物の善という言い方をしなくても、方便の善と言っても同じです。
方便の善を説く者が主張する悪とは、間違いとまでは言いませんが不正確であり、物質に比喩した善ですので物質を媒介として善と悪が相対的に切れているのです。
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