社会主義は物質を「天」に置いた唯物論であり、資本主義も利潤(物質)を「天」に置いた唯物論です。
民主主義も人民共通の利益に基づいた国家契約ですので「利益」が「天」に置かれている唯物論です。
人類のほとんどが物を拝んでいるわけです。
通常は、神の真善美を「天」に置いて拝もうとするものですが、今の人類は神の体を「天」に置いて手を合わせ、有難がっているカルト信者の様相を呈しています。
信仰とは、神の心を信ずるものですが、神の体を信じているのです。
神の心が「天」であり、神の体は「地」で、永遠に天地一体が、永遠に変わらない宇宙の構造と仕組みです。
神の体(物質)で天地が一体になることはないのです。
むしろ利益(神の体)を本音とし、「天」に置くことによって、あの世の「天」とこの世の「地」が切られてしまい、諸神霊からの啓示を受けられなくなってしまった教祖がどこかにいたはずです。
利益と快楽は神が「地」に置いているものであり、これを「天」に置けば、天地が分離してしまうのです。
だから神の御名を語る限り、宗教をビジネスにすることはできず、不可能なのです。
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