Report No.383
「主の祈り」は、天に父の御心成れるが如く、地にも成らせたまえと祈ります。
この祈り自体は「方便」であり、「実相」から見性すれば、未だ天に父の御心は成っているとは言えません。
イエスは単に天国と地獄を自我で切り、天国だけを見て天に父の御心は成っていると言っておりますので、自我で切って善ですから自我に比喩した善、すなわち方便です。
方便の善とは有限であり、人類全体に普遍妥当させていけば、必ずその有限性によって矛盾が生じてくるのです。
だから方便の善は、人類普遍の価値基準にはなり得ないのです。
方便の善は、もちろん否定すべき善ではありませんが、やはり方便の真理はその質によって乗り越えていかなければならない善なのです。
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