真理関係

真理の土台 9

宇宙は神の心の表現体であり、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

神は大宇宙を通して神の心(真理)を「天」に置き、神の体(現象利益)を「地」に置きなさいと、永遠に人類に教えています。

その神の心を変えることのできる人間は今後も存在しないのです。

ところが今の人類は、宇宙と真逆の世界を創っており、それが全世界の悪化に拍車をかけています。

今の人類は「宇宙の反逆者」となっており、神の体(利益と快楽)を「天」に置き、神の心を「地」に置いてしまっているのです。

神の体を「天」に置き、心の物指しを利益と快楽に置いてむさぼり、周りを不幸だらけにしたどこかの教団のような世界です。

神の体を「天」に置けば、不幸が再現されますので、神の心を「天」に置けば、幸福が再現されるのです。

神の心を「天」に置くことを神への信仰と言いますので、神への信仰が世界を救うのです。

人類の6割以上が地獄に堕ちているという異常に不幸な世界の原因とは、神の体(利益と快楽)を「天」に置いているからなのです。

物質(神の体)とは、相対的なものであり、矛盾を意味しておりますので、これを「天」に置いている限り、今後も世界と人類は悪化を続けていくことになります。

神の体は、神の手によって永遠に「地」と定められておりますので、人類はみずからの選択で「地」に向かうことになるのです。

教祖の判断でみずから「地」に向かったため、30年以上一貫して悪化していった教団があったはずです。

神の造られた正しき世界は絶対であり、大救世主であろうが、誰であろうが、「天」に向かえば良くなり、「地」に向かえば悪くなるのです。

人間ではどうしようもないのです。

「地」に向かって悪化していた限り、神への信仰を失っていたはずです。

今回の大救世運動の失敗の原因とは、大救世主みずからが神の体を「天」に置き、その心の物指しを相対的な利益と快楽に置いていたことが原因なのです。

生き神信仰を通して神への信仰を失っていたことが原因です。

生き神信仰とは、信者に教祖の相対的な自我を拝ませる信仰ですので、最も重い罪の一つです。

本当の神の心と人間の心を離しているから重いのです。

今の人類も同じですが、神への信仰を失えば、人間は必ず相対的な自我のままに生きるようになるのです。

この大宇宙では、相対的な自我のままに生きれば、同じく相対的な物質(神の体)の方面と心が同通するのです。

そして神の体を「天」に置き、宇宙や自然界と分かれていくのです。

人間の表面意識や自我は、その知識・思考・概念・認識・情操、みな相対的な性質しか持たされていないのです。

相対的な自我は、相対的な物質と同通しますので、神への信仰を失った人類は、自動的に神の体と心が同通するようになるのです。

宇宙と人間の関係は、永遠にそうなっており、またそう造られているのです。

未来の人類も同じであり、その相対的な自我を強化すれば、同じく相対的な神の体と同通し、統一的な神我を強化すれば、同じく統一的な神の心と同通するのです。

これはもう、人間ではどうしようもないです。

宇宙と人類、神と人類は永遠に一体で生きておりますので、「神の心」か「神の体」のいずれかと必ず同通するのです。

神の体と心が同通した者は、物質の属性を有した思想や行動しか取れなくなり、必然的に「悪の存在」と化していくのです。

神への信仰を失えば、人間は必ず神の体に支配されるということです。

神への信仰を失えば、自動的に「悪の存在」になると言ってもいい。

信仰なき者の心は、必ず神の体(利益と快楽)に支配されているからです。

そして人類と世界を破壊していき、最後は我々の文明のほうが崩壊し、国破れて山河在りになるのです。

神への信仰を失った人間は、神の体を「天」に置いておりますので、必然的に神の心を「天」に置いている自然界と対立するのです。

自然界の存在を神と言いますので、いくら自然界を破壊しても、ティッピング・ポイント(臨界点)を過ぎれば、破壊されるのは、いつでも我々の文明のほうなのです。

自然界と文明が対立した時、滅ぶのはいつでも文明のほうです。

世には往々、何故人間は神を信じなければならないのかを問う人がおりますけれども、人間が神への信仰を失えば、必ず自然界と対立し、最後は人類と文明のほうが崩壊していくからです。

自然界と対立しているということは、神と対立しているのと同じなのです。

神と対立して生き残れる人間は存在しません。

神への信仰を失ってしまったがゆえに、今の人類は神の体を「天」に置いて崩壊に向かっているのです。

ゼウス神も述べておられたと思いますが、「方法は一つ。

神に向け、神に向かうことだ。

それ以外に方法はない」ということです。

神は人間にそのような難しいことを要求しているわけではなく、人間に「神の心」と「神の体」の二つの選択肢しか与えていないのです。

選択を間違えなければ、人類と世界は良化していきますし、選択を間違えれば、人類と世界は悪化を続けていくのです。

「神の体(現象利益)」を選択して、これだけ人類と世界を悪化させてしまった我らですから、残りの選択肢はたった一つしかないのです。

「神の心(真理)」だけです。

我々の暮らす大宇宙や自然界は神の心が永遠に「天」に置かれているのです。

誰もそれを変えることはできないのです。

神の心を「天」に置いたのは人間ではありませんし、神の体を「地」に置いたのも人間ではないのです。

神が置いたのです。

大宇宙や自然界は、人間の創ったものではありませんが、過去・現在・未来の全人類の永遠の善悪の基準になっておりますので、この神の示す通りに生きませんと、滅んでいくのは当の人類のほうなのです。

旧約聖書のヤーヴェが、人間の創ったものを拝む偶像崇拝を禁止したのは、人間の創ったものの中に、人類の善悪の基準はなく、生死の基準もなく、幸不幸の基準もないからです。

それは神の造った大宇宙や自然界、並びに多次元世界にあるのです。

神への信仰を失った人類は、その相対的な自我のままに生きるようになりますので、波長同通の法則の作用によって、同じく相対的な神の体(物質)の方面と心が同通し、神の体を「天」に置くようになり、それを「地」に置いておられる大宇宙と必然的に対立し、離れていくのです。

当然、宇宙即我の文明ではなく、宇宙と我とが離れていくわけです。

宇宙即我が善であり、宇宙と我との分離が悪ですので、今の人類は見事に「悪の存在」と成り果て、自然界から生態系に到るまで縦横無尽に荒らし回っているのです。

その悪化した世界を、元の神の造られた通りの正しき世界に戻していくには、人類が神への信仰に覚醒するしかありません。

それしかないのです。

人類にそれ以外の選択肢があるとは思えませんが、如何に人間が利益と快楽を「天」に置こうとも、この大宇宙や自然界では、永遠に神の心が「天」に置かれておりますので、神の体を「天」に置けば、必ず宇宙や自然界と対立します。

すると「神の偉力」によって世界は悪化し、人間も腐敗していくのです。

この神の心が信仰の自由のわけありません。

信仰を個人の自由だと思っている人は、何も知らない人であり、何も悟っていない人なのです。

何の善も知らない人だと言うことです。

「救世の法」で説かれる神の存在とは、本当の神の心ですので、「信仰の自由」の神ではなく、過去・現在・未来の一人残らずの全人類が、必ず信じなければならない「信仰の必然性」の神です。

「救世の法」と他の宗教的真理とを画然と分ける法がこの「信仰の必然性」なのです。

「救世の法」は「信仰の必然性」を説けますが、それ以外の宗教ではこの「信仰の必然性」を説くことができませんので、必ず「信仰の自由」を主張するのです。

そしてみずからが偽物の真理を一生懸命伝道している事実を晒すのです。

「信仰の必然性」を説ければ「救世の法」であり、「信仰の自由」を主張するならば、それは偽物の真理であり、偽物の神の心であるということです。

「信仰の自由」を主張する神は、その言葉通り、信じてもいいし、信じなくてもいいというどうでもいい神なのです。

実際、それは神ですらないのです。

今後、「信仰の必然性」はあらゆる領域で説かれていきますが、その一つが平等観です。

過去・現在・未来の天界・現界・地獄界の全人類は、その心の中心と本質に同一同質同量同規模の全く同じ神の心を宿しているという点においてのみ永遠に平等なのです。

大魔王の心の本質にも神の心はありますし、大如来の心の本質にも全く同じ神の心が在るのです。

神の心の下においてのみ大魔王即大如来であり、永遠に平等なのです。

この大魔王と大如来のただ中にある神の心は、そこには微塵も差異がないのです。

完全に同一です。

従って人間が神の存在を否定しますと、人類から平等が失われるのです。

肉体を捉えましても顔形、身長体重、髪の毛の本数から生理現象に到るまで悉く差異があり、肉体に平等はないのです。

人格も個性ゆえに差異があり、平等はありません。

法の下における平等も、法とは各国で異なっており、過去の法と現在の法も違います。

とても過去・現在・未来の天界・現界・地獄界の全人類に普遍妥当する平等とは言えません。

必ず差異があるのです。

死の下における平等も方便であり、厳密に言って平等ではありません。

ある者は30代で死に、ある者は70代で死ぬのです。

平等というならば、そこには自他が有するものの中で、微塵も差異があってはならないのです。

これは我々人類には、たった一つしか与えられていません。

心の中心に同一の神の心を宿しているというこの一点においてのみ平等なのです。

ここ以外は全て差別相であり、矛盾です。

神の心を否定すれば、人類に平等はありませんので、平等を失い、人類の共通性も失い、人類に普遍妥当する価値の一切がなくなります。

神への信仰を失えば、人類はその全てを失うのです。

自分の心の中にも神の心はあり、他人の心の中にも同じ神の心があります。

自分の個性と他人の個性は矛盾しておりますが、心の本質を見れば、同じ神の心が宿っておりますので、自他一体であり、永遠に平等であるということです。

この神の心が信仰の自由のわけないのです。

神は信じようが、信じまいが、個人の自由ではないのです。

神の存在を失えば、人類は平等を失ってしまうのです。

人類の中に平等なる価値観がなくなってしまうのです。

この神の心以外に人類に平等はないからです。

神の存在以外に人類に平等があるというならば、それを提示すればいいのです。

誰も提示できないのです。

それは「ない」からです。

宇宙の果てに行ってもここ以外に平等はありません。

いつまでも偽りの自由と平等の中に生きていないで、神の存在以外に人類にとって平等なるものがあるというならば、それを提示すればいいのです。

提示できないだけの話です。

何度も言いますが、それは「ない」からです。

過去・現在・未来の天界・現界・地獄界の全人類にとって平等なる存在とは、個々人の心の本質にある神の心だけなのです。

ここ以外は、全て差別相であり、矛盾ですので、人類が神の存在を否定しますと人類は矛盾しか存在しない世界で暮らしていくことになるのです。

矛盾は対立を生み、対立は闘争を生み、闘争は地獄を生み、不幸を生んでいくのです。

平等を失えば、人類の共通性を失い、普遍的な価値の一切を失いますので、平等観は認めざるを得ないわけです。

平等とは、神の存在しかありませんので、人類が平等を認めますならば、同時に神の存在を認めなければなりません。

人類にとって平等とは、神の存在しかないからです。

この神の心が信仰の自由のわけないのです。

神とは、過去・現在・未来の人類一人残らずが、必ず信じなければならない「信仰の必然性」をもった存在なのです。

神の存在がなければ、自他一体とも言えませんし、大魔王即大如来とも言えなくなり、人類はバラバラに解体され、矛盾しか存在しない世界に放り出されるのです。

過去・現在・未来の天界・現界・地獄界の全人類は、神の心の下においてのみ永遠に平等であるということです。

完全に同一同質同量同規模であり、他との比較においてもそこには微塵も差異がありません。

人類の平等を認めるとは、神の存在を認めることと同義です。

平等観を認めますならば、神の存在を認めることになり、神の存在を認めますと、今度はあの世の存在も人類は認めざるを得なくなるのです。

あの世の存在を否定すれば、死後人間の心は無になるという解釈以外成り立たないのです。

心が無になりますと、その心の中心に存在する神の心も無になりますので、人類から平等が失われるのです。

人類が平等を認めますならば、神の存在は認めざるを得なくなり、あの世の存在も認めざるを得なくなるのです。

平等観を失うわけにもいきませんので、神の存在とあの世の存在は認めざるを得なくなり、今後一人残らずの人類が信じざるを得なくなるのです。

否定したくても、否定できなくなるのです。

今は神がいるとかいないとか、あの世はあるとか、ないとか議論されている稚拙な段階におりますけれども、今後の人類は全て神の存在とあの世の存在は認めざるを得なくなるのです。

否定できなくなるのです。

この神の存在が信じようが、信じまいが自由のわけないのです。

必ず信じなければならない存在です。

神の存在とあの世の存在は、神の真善美に関わっている根本の問題であり、全ての真善美はここから下りてくるのです。

真善美は人間の相対的な自我や表面意識から来ることはなく、この多次元世界とそれを永遠に統一している神の心から来るのです。

神の存在とあの世の存在も真理の土台と言えば、土台です。

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