真理関係

真理の土台 5

 カリフォルニア州ロサンゼルスの山火事はまだ燃え広がっています。

パリセーズ・ファイアの鎮火率は「61%」であり、イートン・ファイアの鎮火率は「87%」です。

ハースト・ファイアは完全に鎮火した模様です。

やはり歴史に残る山火事だったようであり、建造物の破壊数も歴代トップ20のうち順位が入れ替わっており、パリセーズ・ファイアは歴代「3位」となり、イートン・ファイアは歴代「2位」になっています。

ソース

歴代「2位」と「3位」を占めています。

カル・ファイアではパリセーズ・ファイアの破壊数は「6051棟」となっておりますので、「2位」のイートン・ファイアと「3位」のパリセーズ・ファイアを合わせますと計「1万5467棟」の建物が焼失したことになります。

ただどちらも未だ鎮火しておりませんので、まだ被害は広がるかもしれません。

死者数の歴代トップ20でもイートン・ファイアは「5位」に入っており、パリセーズ・ファイアも「12位」に入っています。

ソース

焼失面積自体は歴代トップ20位に入った山火事はありませんでしたが、建物の破壊数や死者数では共にトップ20位に入っておりますので、かなり破壊的な山火事であったということは言えそうです。

1月7日から2週間以上も燃えています。

アメリカは、年初から波乱の幕開けです。

BRICSに新たにASEANの盟主であるインドネシアが加わりました。

東南アジアでは初の加盟となります。

ソース

BRICS(ブリックス)とは、「一緒にドルを使わないようにしようね」という同盟ですので、トランプ大統領は「100%の関税を課す」と鼻息荒く息巻いています。

ASEANの盟主であるインドネシアが新たに加盟したのは大きいでしょうね。

去年までインドネシアはBRICSへの加盟に否定的な立場でしたが、結局は加盟しています。

ASEAN(東南アジア諸国連合)は、10か国で構成されている政府間組織ですが、このうち既に「7か国」がBRICSへの加盟を望んでいるのです。

ブルネイとシンガポール、そしてフィリピンを除いた「7か国」です。

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インドネシアの他にラオス・ミャンマー・ベトナム・カンボジアもBRICS(ブリックス)への加盟を望んでおり、ASEANの中では、既にタイとマレーシアが準加盟国(パートナー国)に格上げされています。

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去年、パートナー国は「13か国」と公表されていたわけですが、ふたを開けてみますと「9カ国」でした。

BRICS(ブリックス)は「11か国」に拡大とよく報道されますが、実質的には今のところ「10か国」です。

BRICS側は、サウジアラビアも加盟国と位置付けておりますので報道では「11か国」とされますが、実はサウジアラビアはBRICSには加盟していないという立場ですので、実質的にBRICSは「10か国」です。

トルコの名前がないのは意外ですが、まさに化け物のような同盟に成長しそうな勢いであり、既にGDP(PPP換算)ではG7を超え、人口でも世界の総人口の50%を超えているのです。

ソース

グラフは少し古い数字ですが、BRICS(ブリックス)5か国だけの人口で言えば「32.8億人」であり、世界人口比(81.19億人)で言えば「40.4%」です。

BRICSプラス(10か国)の総人口は「39.1億人」であり、世界人口比で言えば「48.2%」です。

BRICSプラスに今回のパートナー国(9か国)を加えた人口は「43.7億人」であり、世界人口比で言えば「53.8%」です。

既に人類の半数を超えているのです。

これにトルコやグローバル・サウス、あるいは残りのASEAN諸国が加わってきますと、信じられないほど巨大な同盟に成長していくことになります。

トランプ大統領は、人類の半数以上に「100%の関税をかける」と言っているわけであり、いずれアメリカは孤立していくのではないか。

少なくとも今後、人類の半数以上がドルを使わなくなる世界に変わっていくのです。

36.2兆ドル」という巨額な債務を抱えるアメリカですが、来年の債務は「40兆ドル」を超えると予測されています。

限界がちらほらと。

既にFRBが利下げをしても長期金利が上昇するという、かつてなかったおかしなことが市場で起こっています。

アメリカ国債が売られているのか、あるいは買い手がいなくなっているのか。

近いうちにアメリカ国債は暴落し、ドルも売られていくでしょうね。

そうなりますと覇権国家・アメリカの終わりの始まりを目の当たりにすることになるでしょう。

「真理の土台」という題は、既に終わったはずですが、かつて宇宙論的証明と自然神学的証明、そして存在論的証明を扱いました。

神の存在とあの世の存在と言う二つの問題は、神の真善美の根本に関わっている問題であり、ある意味悪の根本の問題でもあります。

賢い悪魔は、この二つの存在に焦点を当てており、必ず神の存在とあの世の存在を懐疑的にさせたり、否定させたり、あるいはおかしな存在として認識させる方向で誘導します。

神の存在とあの世の存在に対して疑念を抱かせ、その存在を否定させたり、信ずる場合でもおかしな神と歪んだあの世の世界を信じさせようとするのです。

これを世界中でやっています。

神の存在とあの世の存在を否定すれば、後は相対的なものしか人間には残らないのです。

相対的な自我と相対的な物質、そして相対的な肉体です。

神の存在とあの世の存在を否定すれば、人間には「矛盾」しか残らないのです。

神の存在とあの世の存在の二つを歪めることに成功すれば、後は人間には矛盾しか残りませんので、いくらでも人間の心を地獄に堕とすことができるようになるのです。

左右の矛盾をいくらでもつけます。

まさに人間の心を右往左往させるのです。

左右の両極端を捨てて中道に入れ : 高橋信次

「救世の法」を破壊したりと、無駄に賢い悪魔がいるようですが、この善の根本であり、同時に悪の根本でもあるこの神の存在とあの世の存在を必ず狙うのです。

全ての真善美は、この神の心から下りてくるのであり、具体的には神の心が統一している潜在意識におられる諸神霊から下りてきます。

神の真善美は、人間の相対的な自我から下りることはありませんので、多様な真理は全て人間の自我に帰一することはなく、神我に帰一し、神の心に帰一しています。

全ての善は神の心から来るということです。

人間からは来ないのです。

多様な真理は、神の心に帰一しているということは、全ての善は神から来るということです。

その意味で人間はみな「神のラッパ」であり、人類も「神のラッパ」です。

神の心とは、神と潜在意識から下りてきますので、この世はあの世のラッパであり、あの世がこの世を良化していくのです。

あの世がこの世を良くしていくわけですから、この世の人間があの世の存在を否定すれば、この世自身が良くなりようがなくなるのです。

個人でも自己の潜在意識が表面意識を良化していきますように、人類全体も潜在意識が表面意識を良化していくのです。

人類を神のラッパにし、潜在意識のラッパにすれば、この世に地上天国が顕現します。

あの世とは個々人の潜在意識に存在しているわけですから、人類の表面意識が「潜在意識のラッパ」になれば、あの世とこの世を貫く幸福があらわれ、地上天国が結実するのです。

神の真善美とは、神の心とそれが表現されている潜在意識から来るということです。

真善美は如何なる教祖や人間の自我にも帰一しておらず、この世の人間にも帰一していません。

相対的な自我の奥の神我、表面意識の奥の潜在意識に帰一しています。

潜在意識は善であり、表面意識は悪である。

これを悟ったならば、悟りの境地に入ったと見て良い : 高橋信次

神の善は潜在意識から来ることを述べているのです。

相対的な自我とは、矛盾を意味しており、真善美が矛盾に帰一することはないのです。

多様な真理は全て神の心から来るということは、矛盾した自我しか持たない人間が「善の存在」になるには、神への信仰とその心との合一を必要とするということです。

人間は神の存在によってしか善人にはなれないのです。

善人とは、神(善)人のことです。

単純な真理ですが、真理は神の心と潜在意識から来ることを知らない者が生き神信仰をするのです。

神の心の「出どころ」を知らないのです。

神の心は如何なる生き神様からも来ないのです。

生き神様は、その相対的な自我を信者に拝ませ、相対的な自我を「天」に置いておられますので、同じく相対的な物質の方面と心が同通しており、物質に心が支配されています。

物質は「地」と定められておりますので、生き神様は必然的に「地」に向かって転落していくのです。

悟りは低下を続け、光は縮小し、最後はなくなっていきます。

悟りの低下は危険なシグナルであり、その先には「悟りの喪失」が待っています。

そうなりますと後は魔に蹂躙されていくだけです。

生き神信仰とは、非常に危険な信仰ですので、生前の高橋信次氏も言っていたと思いますが「神仏を名乗る者を決して信じてはならない」と説き、個人崇拝を厳しく戒めていました。

神の心とは、その生き神さまから来るわけではないからです。

真理は神と潜在意識から来ることを生き神さまはお知りになりませんので、鼻息荒く神を名乗るのです。

神の心を何も悟っていないことをみずから暴露しているだけです。

神は神我に導きますが、悪魔は自我に導きます。

神は良心に導きますが、悪魔は表面意識に導きます。

神我が「天」であり、自我は「地」で、永遠に天地一体です。

神は「天」に導きますが、悪魔は「地」に導くのです。

相対的な自我の位置から神の心の位置を確認しますならば、神の心は非常に高いところにあるのです。

よく赤ん坊を喜ばしたろ思うて、赤ん坊を抱えて、「高い、高ーい」と天井にぶつけて頭骨を鍛えている大人を良くみかけますが、・・・見かけません。

一本足頭突きを覚えているんじゃないんですから。

藤原喜明かよ。

そうではなく、神の心というのは人間の自我の位置から見ますと、非常に「高い、高ーい」位置にあるのです。

その「高い、高ーい」位置にある神の心を悟ろうとすれば、どうしたって人間は登山をする羽目になるのです。

神は「天」におられますので、非常に高いところにいるのです。

真理の道というのは平坦な道ではなく、急傾斜の道なのです。

それは神の心というものが非常に高いところにあるからです。

人間の相対的な自我の位置より、遥かに高いところにあります。

それを悟ろうとするから登山になるのです。

しかも神の心によってしか人類も世界も良くすることはできませんので、人間は真理の山を登らざるを得ないのです。

その急傾斜の道を登り、頂上に到達したと思ったら、更に目の前に巨大な山が出現しており、神の姿をちらちら見せながら頂上に誘うのです。

まだまだ未熟者であることを教えてくれているのです。

そして頂上まで登ったと思ったら、また目の前に巨大な山が出現しているのです。

神の心の探究というのは、この際限のない繰り返しです。

私はもう慣れました。

ただ真理の山を登っているうちに自己の心の足腰が確実に鍛えられていくのです。

急傾斜の道を登っているのに、その歩みを止め、宗教ビジネスなどという利益と快楽の方向に向かえば、それは明らかに転落であり、急傾斜の分、雪だるま式に急速度で転がり落ちていきます。

大けがで済めばいいけれども、大抵は悪魔が狙っておりますので、最後は殺されるところまで行くのです。

悪魔は平気で人を殺すのです。

光の天使であろうが、なかろうが、関係ありません。

今回はそれで死んでしまった人がたくさんいます。

今回、その高い霊格を失った人も多いはずです。

霊格とは上がったり、下がったり、失ったり、コロコロと変わるものであり、有名な過去世も同じです。

過去世は有名人であり、歴史にも残っていたのに、今回は残らない人も多いでしょう。

霊格も過去世も結果(物質)であり、現象ですので、永遠のタイムの過程でコロコロと現象無常で変わっていくのです。

その変化していく霊格や有名な過去世で人さまを信じさせようとするのはタチの悪い考えであり、人心を物質に誘導しているのと変わりません。

霊格や過去世、あるいは利益と快楽とは相対的なものであり、神によって永遠に「地」と定められています。

おのが選択によってみずから「地」に向かっておりますので世界が腐敗していくのは当たり前なのです。

悪霊の憑依と同じであり、身から出た錆です。

自業自得とも言います。

神が利益と快楽を選べと言ったことはなく、人間がみずからの選択において選んでいるのです。

神の造られた正しき世界で選択を間違えたのならば、その間違えた本人がその責任を取るしかないのです。

誰も取ってくれません。

宗教ビジネスなんてことを始めて、みずからの心の物差しを「利益と快楽」に置いていた教祖がいました。

利益と快楽の正体とは「矛盾」ですので、教義も矛盾だらけになってしまったのです。

論語によれば、「君子」は物事に対処するにあたって、常にそれが正義か否かを考えるが、「小人(しょうじん)」は常にそれが利益になるのか、ならないのかを考えます。

小人となって凡人のように死んでいった教祖です。

「私はノルマで奪う愛、あなたは私に与える愛、ああ幸せ」なんて変なことをやっていました。

ああ、愛に苦しむ人々よ、あなた方はどうして人を愛することによって苦しむのですか。

良く聞きなさい。

見返りを求めて、人を愛しているから苦しむのです。

愛の本質とは「与えること」です。

さあ、私はノルマで奪う愛、あなたは私に与える愛。

「与える愛」と言っても真心や優しさなんていらんから。

そんなもん。

真心や優しさでメシ、食えんから。

「与える愛」とは、お金を与える愛であり、老後の資金を与える愛であり、退職金を与える愛であり、教育資金を与える愛です、ああ幸せ。

私はノルマで奪う愛、あなたは私に与える愛。

俺のお金は俺のもの、お前のお金も俺のもの。

俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。

って、どこのジャイアンだよ、ドラえもんかよ。

そんな変なことをやっていた人がいました。

「与える愛」とは、悟りを与える愛であり、真心を与える愛であり、優しさを与える愛であり、思いやりを与える愛です。

お金や土地なんていらんから。

そんなもん。

心の栄養にならんから。

「天」を知り、「地」を知る道を神の道と言うのです。

「天」を知るとは、「天」に置くべきものを知るということであり、「地」を知るとは、「地」に置くべきものを知るということです。

「天」を知り、「地」を知り、宇宙を知ることを神の心を知るというのです。

「地」に置くべきものを「天」に置き、「天」に置くべきものを「地」に置けば、それは悪と言わざるを得ない。

菩薩がやろうが、如来がやろうが、善は善であり、悪は悪なのであり、人間ではどうしようもありません。

不昧因果であり、神の善悪をくらませることは誰にもできないのです。

そんなこと何十年もするから高い霊格を失うのです。

もう、手の施しようがありませんけどね。

やり過ぎです。

文句があれば、教祖かイエス、あるいは高橋信次氏に言うことですね。

彼らでも、もはや救えないでしょうけどね。

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