今回の日本での大救世運動は、200年計画でしたが、本格的に「救世の法」の編纂が開始されたのは、GLAの高橋信次氏からと言ってもいいと思う。
救世運動のパイオニアであり、草分けです。
その高橋信次氏の「法の後継者」が、幸福の科学の大川隆法氏だったわけです。
本人は後継者を否定しておりましたが、幸福の科学の教義のベースは今でもGLAの教義なのです。
最初に多次元世界を説いたのは幸福の科学ではなく、GLAの高橋信次氏ですし、輪廻転生の法則を説いたのもGLAです。
多次元世界と輪廻転生の法則を説かなければ、「救世の法」にはならず、人間と大宇宙の存在意義、並びに「人生の意義」の合理性を失ってしまうのです。
従ってこの多次元世界と輪廻転生を説かない宗教は、「救世の法」とは言えません。
高橋信次氏の生前は、釈迦仏教の再現が使命だったようであり、仏陀意識の「悟りと反省」のうちGLAでは反省法を完成させました。
というよりも釈迦仏教の反省法を発展させたと言ったほうが正確です。
高橋信次氏によって完成した反省法は、今後も多くの人間の「心」を救っていくでしょう。
永遠の真理の一つです。
惜しむらくは、この高橋信次氏の真骨頂である「反省法」が、GLAやその派生団体でも説かれていないことであり、生前の悟りがお弟子さんに十分伝わっていなかったことが伺えます。
幸福の科学でも説かれていません。
しかも「法の後継者」であるはずの大川さんのほうが、生前のGLAの教えについてほとんど言及しておらず、それも以前から疑問だったわけですが、『邪教GLAを斬る』なんて怖い批判本を読んで理解できました。
旧『太陽の法』では、「私は、この神理を知っている。むかし、これを学んだことがある(245頁)」と記載されていたのですが、『太陽の法』は潜在意識を使った自動書記ですから、潜在意識は知っていたけれども、大川さんの表面意識は知らなかったということです。
『邪教GLAを斬る』というとっても怖い本を読んでみますと、GLAの教義について頓珍漢な理解をしており、まるで見当違いな批判をしていたのです。
同じことは生長の家の教義についても言えます。
理解していない部分もあれば、曲解している部分もあり、誤解している部分もありました。
ある意味、GLAの教えについて酷い理解の仕方をしていたのです。
表面意識のほうでGLAの教義を理解していなかったため、「法の後継者」と言われながら、言及しなかったのであろうと思われます。
私は、人間・高橋信次の遺した心の教えを土台として、さらに、これから50年近い年月の間、正法神理を説いてゆこうと思っております。: 旧『黄金の法』(212頁)
幸福の科学では初期はこう言っていたのですが、1994年に高橋信次氏を追放し、無茶苦茶になってしまいました。
「救世の3部作」も、副題を入れることによって矛盾した法に変わり、「人生の意義」の合理性を失ってしまったのです。
しかも大川さんは何も修正しないまま死んでしまいました。
ただ「救世の法」の土台は、この高橋信次氏の遺した法になっておりますので、幸福の科学のように否定するわけにもいかず、本来の意味に戻しておく必要があります。
今のGLAでも、幸福の科学でも説いておりませんので、生前の高橋信次氏の悟りを簡単に検証してみたいと思う。
霊能力の側面から高橋信次氏の悟りを言えば、瞑想中に意識が拡大し、地球を眼下に見下ろすほどになり、更に禅定をしておりますと、どんどん意識が拡大し、銀河系と一体になり、銀河即我を霊体験されています。
更に瞑想を続けているうちに、更に意識は拡大を続け、最後は大宇宙と自分が一体となる宇宙即我の霊体験をされています。
宇宙は神の体であると実感し、天の川銀河は神の体の心臓部分に相当し、その時には地球と言う惑星は米粒ほどの一細胞に過ぎないことを悟られています。
宇宙即我の悟りは、この高橋信次氏によって有名になったのです。
創価学会の池田大作氏が、この高橋信次氏を真似て「我即宇宙、宇宙即我」と言い出したわけですが、宇宙即我の悟りを持っていないことは明らかでした。
真理の側面では、宇宙と言うのは大き過ぎますので、身近な自然界を心の物指しとし、自然即我の反省法を説きました。
大川さんは海を好んでいたようですが、高橋信次氏は山を好んでいたようであり、お弟子さんを引き連れて、山中で反省行を実践していたようです。
宗教とは、宇宙の心と人間の心を同じくするものであり、宇宙即我の道を説くものです。
宇宙即我の悟りを有しておりませんと神の心は説けないのです。
高橋信次氏の生前の教えは、「一日一生」、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、「自分に厳しく、他人に寛容に」、「悪霊の憑依の原理」、「波長同通の法則」、「感謝と報恩」、「霊道現象論」、「忍辱(にんにく)」、「慈悲魔」、「八正道」、「愛と慈悲の相違」、「足るを知る」と多岐にわたっておりますが、その悟りの過程を簡単に見てみましょう。
高橋信次氏は、自分の会社が倒産したことがあるそうです。
そこで苦しみを創ったのです。
「苦しい、苦しい」、大如来が「苦しい、苦しい」。
この俺の苦しみは、一体どこから来ているのだ。
家族のせいか、あるいは従業員のせいか。
違う。
この苦しみは他でもない、俺自身の心が創り出している。
ここで苦悩と快楽、この苦楽はみずからの心が創り出していると悟ります。
苦楽の両極端を捨てて中道に入れ : 高橋信次
では何故、俺の心は苦しみを創っているのだ。
俺の会社が倒産したからだ。
では何故、自分の会社が倒産したぐらいで、俺の心は苦しみを創っているのか。
会社なんて、高々人間の創ったものではないか。
神が創ったものではない。
こんな人間の創った会社組織なんてものを心の物指しに置いていたから、会社が倒産したぐらいで俺の心は苦しみを創ったのだ。
会社が繁栄すれば、喜び、会社が衰退すれば、悲しんでいたのだ。
心で苦楽を創るのは、心が組織の細胞になっていた証拠だ。
神の心を心の物指しにすることなく、人間の創ったものを心の物指しに置いていたから、俺の心は苦しみを創ったのだ。
人間の創った会社組織を心の物指しに置いていたから、その会社が倒産した時、俺の心は苦しみを創ったのだ。
組織の細胞になってはならん : 高橋信次
人間の創ったものを心の物指しに置いた時、人の心は相対的な苦楽を創っていくのだ。
ここに人間の創ったものを拝む偶像崇拝を禁止するアラーやヤーヴェの個性が出ているのです。
GLA関係の人は、未だに高橋信次氏を釈尊の生まれ変わりと信じている方もおられるようですが、少なくとも彼の生前の悟りは、この「人間の創ったものを拝む」偶像崇拝を嫌う思想が多かったのです。
生前は高橋信次氏自身が釈尊のように振舞ったり、2600年前の釈迦の人生と弟子との対話を霊視したりしておりましたので、一時期本人も釈迦の生まれ変わかもしれないと思っていた時期もあったようです。
お弟子さんが誤解するのも無理はありません。
本人自身が、そう振舞っていたこともあるからです。
『人間・釈迦』4部作を書かせるために釈迦の過去世を霊視で見せられていたと言っていました。
高橋信次氏の肉体にゼウスが入ったり、モーゼが入ったり、天台智顗が入ったり、色々な諸神霊が入って語っていたようであり、初期の頃は自分の肉体を支配して語る神霊を全て自分の過去世と勘違いしてしまったと言っていました。
そういう霊的な未熟があった、と。
釈尊が高橋信次氏に入り、それを霊視したお弟子さんが、高橋氏と二重写しになった釈尊を見て、高橋信次氏の過去世を釈迦と誤解したこともありました。
大川さんの初期の霊言でそのあたりの事情が明らかになっています。
更に悟りが進みますと、精神と物質の左右の矛盾、幸福と快楽の左右の矛盾、苦悩と快楽の左右の矛盾、神我と自我の左右の矛盾、実相と現象の左右の矛盾を統一している中道に入っています。
左右の両極端を捨てて中道に入れ : 高橋信次
全ての神の心は、表面意識ではなく、潜在意識から来ることも悟っています。
表面意識は悪であり、潜在意識は善である。
これを悟ったならば、悟りの境地に入ったと見てよい : 高橋信次
神の真善美は、人間の相対的自我や表面意識からは来ないのです。
神の心と潜在意識から来るのです。
当時、高橋信次氏の周りの人は、ほとんど創価学会の会員だったようであり、高橋氏を折伏に来た学会員もいたようです。
「あなたの宗教には拝む対象物がない」と言われ、「そりゃ、ありませんよ、GLAに。
人間の心と行いは、かくあるべしと説いているわけですからありません。」
「我々には日蓮聖人から頂いた板曼荼羅があります」
「って、ばか言うんじゃない。
板であろうが、紙であろうが、そのようなものは何の関係もないのです。
人間は、人と人との心の調和のとれた平和なユートピアを築くと同時に、その中からより豊かな自分を創りだしていくことが神から与えられている使命なのであって、板であろうが、紙であろうが、何の関係もないことです。
そのようなものにご執着なさるのはおかしいことです。
あなたは男ですが、生まれた時にぶら下げてきたものは何ですか。
言いなさい。」
「・・・・・」
「あなたそれ言えないのですか、ならばあなたは男じゃない。
それが本当に人間にとって必要なものならば、あなたは生まれた時に、それをぶら下げてきます。
板曼荼羅が本当に人間にとって必要なものならば、あなたは生まれた時に、それをちゃんとぶら下げて生まれてきます。
神さまは人間に必要なものは全て与えているのです。
板曼荼羅なんて、こんな人間の創ったもの、信じません」
ここでも人間の創ったものを拝む偶像崇拝を禁止したヤーヴェの個性が出ていたのです。
「後はGLAには題目がないと言うのです。
そうですか、題目がなければいけないのですか。
ならばあなたは生まれた時に一般の人とは違って、『ナンミョウホウレンゲキョ』と言って生まれてきたのでしょう。
私は『オギャー』と生まれてきました。
ところがあなたは『ナンミョウホウレンゲキョ』と言って生まれてきたのでしょう。
そしたらいや、私も『オギャー』と生まれてきましたと言っていました。
それはそこら辺のウグイスならね。
ホーホケキョと鳴きますよ、それでホーホケキョを拝むならば、僕は納得できるのです。
人間は誰もが『オギャー』と言って生まれてくるわけですから、南無妙法蓮華経を拝まなければならない理由はないのではないですか。」
生前はこういった色々とおもしろい講演がありましたが、大川さんのところで復活した時も基本的に変わりませんでした。
ただ今のGLAは、幸福の科学の出していた「高橋信次の霊言集」を偽物として認めていないようです。
私はあの世の高橋信次氏から直接幸福の科学に行けと何年にも渡って脅されておりましたので、あの「高橋信次の霊言集」は本物と認めざるを得ない立場ですが、GLAでは今も認めていないようです。
そうこうしているうちに幸福の科学は、「高橋信次の霊言集」を全て廃刊にしてしまったのです。
大川さんも酷いことをするものです。
関谷晧元氏の『虚業教団』に当時の事情が書かれてあり、興味深く読んだことがありますが、1988年の春に初めてGLAから幸福の科学へ正式な抗議文が送られてきたようです。
抗議文は何度も送付され、内容証明も二度ほど来ています。
1988年の10月には、高橋信次氏の実弟にあたる高橋興和氏と話し合いをしています。
GLAは、どうも『高橋信次の愛の讃歌』にご立腹だったようです。
私は『愛の讃歌』はゲラゲラと笑って読んでいた口ですが、GLAは怒っていたようです。
「何ですか、あの『愛の讃歌』は、あれでは猥褻書以下です、何が神理ですか。
兄は、一人一人にもっと真剣な愛を持っていました。
そこのところを正しく伝えてくれなくては困るのです。
このままでは兄の悟りは、この程度の浅い悟りとして広まってしまうのです。
兄は、あのような下品な冗談は言えない人でした。」
「・・どうだか」
それは生前はGLAの会員の目がありますから、自分らしい本音は中々ね。
霊言でも言っていました。
教祖になる前は、芸者も上げられたし、ハイライトも吸えたし、パチンコもできた。
ところが教祖になると、ほんと何にも悪いことできなくなっちゃう。
どこにGLAの会員の目があるか分からないからですね。
パチンコなんてやって、36番台をバンバン叩いて、「おい、玉が全然、出ないぞ」なんてやっておりますと、「おい、ありゃ、GLAの高橋信次じゃねえか。
あの人、あんなところで何をやってるんだ」なんて言われるわけです。
ほんと何にも悪いことできなくなっちゃう。
あの世で本人も苦しい、苦しいと言っていました。
大如来が苦しい、苦しいって。
正月には人が一杯来るから自宅をもう少し大きくしたいのに、GLAの会員から「聖者って、やっぱりこう言う小さい家に住むんですね」なんて言われると、「ううっ・・ほんとは家を大きくしたいのに・・」と思いながらもできなくなる。
しかも会員の前では、優しい愛と慈悲の仏さまをやらにゃならんし。
はあ、苦しい、苦しいって霊言でも言っていました。
ほんと何も悪いことできなくなる。
ところがあの世に還れば、もう我慢する必要はないわけです。
GLAの会員の目なんか、もう気にする必要なんかないのです。
天上界に還れば、こっちのもんです。
素を出せるわけです。
「兄は、あんな下品な冗談は言えない人でした」
「・・どうだか」
どうだかねえ、まあどうでもいいことですけどね。
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