「俺は偉い!、お前は偉くないっていうか、お前ら全員、みんな俺より偉くない!」で、すっかりお馴染みとなり、地域住民の隣近所のみなさま方から親しまれてきた高橋信次レグリアラオート(「大先生」の意味の過去世の言葉)ですが、GLAの時は娘の方が惑星より偉いと言っていました。
アメリカ大統領よりも偉いというならば、そこはほれっ人ですから理解できるのですが、太陽系より偉い、銀河系より偉いなんて言われますと理解の範疇を超えてきます。
「俺は太陽系より偉い、銀河系より偉い。
アメリカ大統領がいくら偉くたって、あんた太陽系にゃ叶わんでしょうが、太陽系にゃ、・・ったくもう、ほんとにもう・・」
「・・そんなに偉いんだ。・・・ハハッくっだらね」
そんなウンモ星人よりも偉い高橋信次先生ですが、自我を強めたり、悟りが未熟であったりしますと、この大宇宙では必ず神の体(物質)に支配されます。
神我を強めれば、神の心に支配され、自我を強めれば神の体に支配されるのです。
霊格の高低は関係ないわけです。
偉人や天才も関係ありません。
神の心(精神)と神の体(物質)で構成されている大宇宙(神)はすべてを支配しており、この生命と物質の理法の枠外に置かれている神の子はこの宇宙には一人も存在しません。
イエスもアラーも釈尊もすべて永遠に支配しています。
一般大衆もすべてです。
宇宙は神の表現体であり、神の体である : 高橋信次
すなわち眼前の大宇宙が神そのものですから、地球だけではなく、全宇宙の神の子達を幸福で支配しています。
あのウルトラマンタロウよりも偉い高橋信次先生も支配しているのです。
神の心は絶対的なものであり、神の体(物質)は相対的なものです。
物質はイコール時空であり、時間と空間は相対的なものであるというアインシュタイン博士の相対性理論は有名なはずです。
自我はその知識・思考・概念・認識・情操、すべて相対的な性質しか持たされていません。
従ってええ子して金を追っていますが、神への信仰なく自我のままに生きておりますと、自我の相対性と物質の相対性がリンクし、その自我は必ず神の体に支配され、物質の属性を有した思想と行動を取ることになる。
自我が神の体に憑依されるのです。
信仰なき自我は、物質の相対性に支配されておりますので、相対的なものを必ず「天」に置きます。
相対的なものとはまず国益であり、富です。
これを政治家も経済人も「天」に置いているはずです。
神への信仰を失った必然的な帰結です。
また政治体制や経済原理自体が物質を「天」に置いておりますから、ある意味仕方のない面もありますが、少なくともこれを今後も肯定していくわけにはいかないのです。
これは地上界にパンドラの箱を開くのと同じだからです。
相対的なものを「天」に置きますと、その物質の相対性から次に対立と矛盾が生まれます。
その対立と矛盾から次に憎悪・嫉妬・争い・恨み、妬み、嫉み、反発、闘争、暴力、テロ、戦争とこの相対性から地上に無限の悪が解き放たれます。
相対的なものを絶対化することを神への傲慢と言いますが、物質を「天」に置くことを厳しく禁止してきた宗教が中東の宗教です。
物質を「天」に置くことを偶像崇拝と言いますが、これは無限に悪を解放してしまいますので、中東系の神はこれを厳しく禁止してきたのです。
この宇宙に生きている限りは、必ずこの生命と物質のいずれかに支配されます。
また神の子自身も、それは神の子ですから必ず大宇宙、いわゆる神を心の物差しに生きているのです。
宗教宗派の相違や信仰者と無神論者の相違も関係ありません。
必ず眼前の大宇宙を心の物差しに生きています。
あのドラえもんよりも頼りがいがあり、ブルース・リーよりも強く、アンパンマンよりも優しい高橋信次先生もこの心の物差しを宇宙に置いていました。
我々は神の子であり、宇宙の子ですから当然、神の心が意味する正義か、神の体が意味する利益か、必ずどちらかを基準に生きています。
宇宙が神だからです。
すべてを支配しています。
霊性の高い者は、神の心が意味する善や正義、愛や真心を心の物差しに生きておりますが、霊性の低い者は神の体が意味する利益か国益を心の物差しに生きています。
そして神の体(物質)に支配されている者達が、地球全土を腐敗させているのです。
神の心が主、神の体は従ですから、信仰なき自我はこの物質の意味する「従的なもの」に支配され、これを心の物差しとし、従的なものを「天」に置いて眼前の大宇宙から切り離されていきます。
従的なものとは、有名人著名人、地位名誉、学歴職歴、富や国益に支配されます。
支配されているだけではなく、みずからの選択でそれを心の物差しにして生きているはずです。
この大宇宙に生きている限りは、神我を強めれば、必ず神の心に支配され、自我を強めれば、必ず神の体に支配されます。
なーぜ支配される?
なーぜ神から離れることができない?
宇宙即我、宇宙即人類として神が創造したからです。
あのレプティリアンよりも偉い高橋信次先生も当然、大宇宙に支配されていました。
この点は「本物の神理と偽物の神理を分ける公理 -GLA編 1ー」で一度扱っておりますので詳細は省きますが、GLAでは高橋氏の生前は心の三毒として「怒り、愚痴、足ることを知らぬ欲望」の三つを上げていました。
この点はあの世で本人も霊言で言っていたと思いますが、生前の悟りに不十分なところがあったと言っている部分の一つです。
あの仮面ライダーよりも偉い高橋信次レグリアラオートにもそういった未熟があった。
心の三毒として「怒り、愚痴、足ることを知らぬ欲望」を上げておりましたが、これはすべて結果(物質)です。
いきなり何の原因も理由もなく、人を怒ったり、愚痴を言う方はいません。
「初めまして、高橋先生。
ところでいきなりあんたに怒っていい?
愚痴言っていい?」
「え、何で?」
「いや、何の理由も動機もないけど。
あんたに愚痴言っていい?
あんたを怒っていい?
殴っていい?
不幸にしていい?
傷つけていい?
何の理由もないけど」
こんな変な人はいません。
あんた、こんないきなり駅で人刺すような。
怒るには怒る理由と原因が必ずあるのです。
その原因とは、眼前の大宇宙、すなわち神です。
大宇宙をみな心の物差しとして生きておりますので、神の心が意味する正義か、あるいは神の体が意味する利益か、どちらかを棄損した時、これを原因として結果、人は怒るのです。
あるいは愚痴を言うわけです。
正義に害をなしても人は怒りますし、利益が棄損されても人は怒ります。
何の原因も理由もなく、いきなり初対面の人相手に怒ったり、暴力を振るったりする人はおらず、また愚痴を言う人もいないわけです。
「怒り、愚痴、足ることを知らぬ欲望」は、すべて物質、いわゆる結果(物質)であり、原因ではないわけです。
原因は神の心と神の体、すなわち大宇宙であり、神です。
足ることを知らぬ欲望を見ましても、肉体の欲望、すなわち物質を悪として見ており、心の三毒と言っていました。
生前のGLAでは、結果と物質を悪と見ていたのです。
悪をそう見ていたのならば、善悪は生命即物質で切れませんから、そこから語られる善も物質の善、安らぎという快楽の善となり、真理の有効範囲は物質の属性の通り「有限」となります。
これは自我を強めたというよりも、生前の彼の悟りに未熟な点があったことを示しています。
未熟な点があったから神の体(物質)に支配され、悪を物質としたのです。
太陽系や銀河系よりも偉い高橋信次先生でも大宇宙が支配しており、悟りに未熟があれば、それはやはり法に出るわけです。
それは完全な法、完全な真理を説ける者は今後もいない事実を示している。
当サイトも含めて今後も完全な真理を説ける者はいないのです。
完全は神のみがもっている永遠の属性であり、我々はただ完全な真理に向かって悟り続けていく道しか与えられていない。
だからヘーゲルは神を絶対精神とし、神の心とは歴史の究極目的と言った。
大宇宙、この神の心と神の体、生命と物質は永遠に全人類を支配しておりますので、この宇宙即我、宇宙即人類の永遠の生存様態を知らず、宇宙と一体で生きている事実を知らず、その一体性の中で不用意に自我を「天」に置いたり、その悟りに未熟があったりしますと、それはその神の法に必ず出るのです。
思想や行動、あるいは動機にも出てくるのです。
その未熟な部分が後世、多くの歪や歪みを生み、それによってまた犠牲になる方も出てくるでしょう。
エル・ランティですら大宇宙、この生命と物質が支配しています。
悟りに未熟があったから神の体(物質)の方面の支配を受けてしまい、悪について結果(物質)を語ってしまったのです。
そして有名なあのルシフェルですら大宇宙、すなわち神ご自身が支配しておられる。
この世では神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。
あの世では神の心が「天」であり、神の光が「地」で、永遠に天地一体です。
この世もあの世も基本的には同じですが、神我を強めれば、あの世であれ、この世であれ、神の心に支配されます。
自我を強めれば、あるいは自我に甘えれば、この世では物質、あの世では神の光の快楽に支配されます。
地獄の帝王・ルシフェルを支配しているのは、神の体、すなわち物質です。
だから物質の意味する利益性、快楽性、従的なものを「天」に置いた思想と行動を取り、この従的なものの中には力があり、正義が「天」であり、力が「地」で、永遠に天地一体ですが、自我を強大化すれば、必ずこの従的な力に支配されます。
力を「天」に置くのです。
オウム真理教が、力で良い世界を作る。
これがタントラ・ヴァジラヤーナの世界だと言っていたのは、自我を「天」に置き、生き神信仰に耽り、悟ってもいないのに神聖法王を名乗り、自我を天に置いたために物質に支配され、物質の意味する力を「天」に置き、タントラ・ヴァジラヤーナの教えとやらでテロを行ったのです。
ルシフェルを支配しているのは、すなわち神の体ですから、物質の属性のまま力を天に置き、支配欲を天に置き、物質の意味する弱みを突き、物質の相対的属性である嘘ばかりつき、従的なる地位名誉、有名人著名人、エリートや資産家、軍人や政治家を狙うのです。
物質の属性のままに動くわけです。
あまりにも自己を偉いと思い込み過ぎたため、自我を絶対化し、神のごとく君臨したいがために自我を強大化し、その結果、神の体に支配され、物質の属性のままにしか生きられなくなった。
悪魔やサタンが蛇で象徴されるのは、蛇は大地にへばりついて螺旋運動で動きます。
自我を強大化し、物質に支配され、物質にへばりついて生きていけば、生命は蛇のごとくなる事実を象徴している。
ルシフェルが宗教の教祖を狙うのは、そこの教祖一人迷わせることができれば、多くのそこの信者を地獄に引きずり込むことができるからです。
たった一人の教祖を迷わせるだけで、実に多くの大衆を地獄に引きずり込むことができる。
これも物質の属性である質ではなく、量性に支配された姿です。
悪魔やサタンだけではなく、この世の地上人間も多くがそうなっています。
神我を強めれば、神の心に支配され、自我を強めれば、神の体に支配される。
神への信仰を失ったがゆえに自我のままに生きて、物質の意味する富と国益を「天」に置き、物質の意味する従性に支配され、学歴や職歴を求め、有名人著名人の尻ばかり追いかけ、物質の相対性から相対的比較観を身につけ、自他を比較し、優劣に耽り、苦楽の両極端に落ちていく。
この世では永遠に自己の神我を強めれば、神の心に支配され、自我を強めれば、神の体に支配される。
神への信仰とは、自我を強めることではなく、神我を強めることを言う。
神への信仰とは、自己の良心を強めることと言ってもいい。
そして神の体、この物質に支配された者達が我々の世界を腐敗させ、生態系を崩壊させ、そして気候変動まで引き起こしている。
ではなぜ物質に支配されたのか?
神への信仰を失ったからです。
ただそれだけの話です。
ゼウス神も言っていたはずであり、お前ら人間は未開の土人でもできる神への信仰をどうして失った。
それはお前らの小賢しい知恵で失ったのだ。
そのような知恵ならば持たなくとも良い。
神に向け、お前らが救われる道は、もうそれしかない、というのは当たり前のことを言っているだけです。
この宇宙では永遠にそうなっているのです。
神我を強めれば、必ず神の心に支配され、自我を強めれば、必ず神の体に支配されます。
されているはずです。
なーぜ支配される?
なーぜ神から離れることができない?
少なくとも我々マリン・ブルーの霊系統は、今後あのエル・ランティを永遠に支配し、ルシフェルを永遠に支配している「生命と物質」、すなわち神の心と神の体の探求、いわゆる大宇宙の探求に入っていく。
今回の救世運動のコアは、「神約民主論」国家の実現を通してこの「生命と物質」の権威、いわゆる大宇宙の絶対的権威を確立し、今後の歴史全体において人類に「生命と物質」を正確に探求させることです。
そして今回は必ず『救世の法』の完成と成就を見ることになる。
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