シャーロッツビルの事件で白人至上主義者を率いていたクリストファー・キャントウェル容疑者が、警察に出頭しました。
米白人至上主義者、警察に出頭 シャーロッツビルで極右集会 BBC
ネオナチだったようです。
シャーロッツヴィルの白人至上主義者を率いたクリストファー・キャントウェルはメンズ・ライツ(男性の権利、反フェミニズム)運動家からネオナチに入っていった、https://t.co/Np8JCtHpUE
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2017年8月18日
白人至上主義者の乗った車にはねられ死亡したヘザー・ハイヤー氏の追悼会で母親が演説しています。
この事件をきっかけに白人至上主義と反差別主義の対立が深刻化してきたわけですが、次に狙われるかもしれないと予想されているのが、ストーン・マウンテンです。
ここには南北戦争の南軍司令官と将軍3名のレリーフがあります。
ロバート・リー将軍やジャクソン将軍の銅像を撤去するならば当然、ここも狙われると見られています。
大量に移民を受け入れ、移民に寛容だったアメリカですが、その移民によって国家存亡の危機に直面するかもしれない。
移民を契機にアメリカの歴史や社会における「矛盾」が噴出しているように見える。
クリストファー・コロンブスを先住民の土地を奪い、虐殺したとして、当のアメリカ人が非難する姿は少しショッキングであり、異様です。
アメリカの首都・ワシントンD.C.の「D.C.」とは、「District of Columbia」の「D.C.」であり、コロンビアとはコロンブスの地、あるいはコロンブスの国という意味であり、要はコロンブスのことです。
南米のコロンビアもコロンブスの国であり、コロンブス由来です。
アメリカのコロンビア大学も、コロンブス由来です。
そのコロンブスを批難している。
首都の名前でも変えるのでしょうか。
アメリカという国の名前も「アメリゴ・ベスプッチ」から由来しており、アメリゴ・ベスプッチはコロンブスの親しい友人でした。
アメリゴ・ベスプッチはカリブ海で奴隷を狩っています。
コロンブスを批難するならば、国の名前も変えるのでしょうかね。
シャーロッツビルの事件を契機にこういった矛盾が意識されているように見える。
コロンブスを虐殺者、あるいは残忍な侵略者と批難していけば、アメリカという国の根幹を揺るがす事態に発展していっても少しも驚きません。
メイフラワー号にのって上陸してきた清教徒は、寒さと飢えで半数の人間が死亡した。
それを見かねたインディアン・ワンパノアグ族が狩りと農耕を教え、トウモロコシやサツマイモの作り方を教え、農作物の種まで与えて清教徒の世話をした。
その最初に取れた農作物をインディアンと祝福し、神に感謝した日を「感謝祭(サンクスギビングデー)」と言い、アメリカとカナダでは祝日になっています。
その後、冬を越した後、清教徒はワンパノアグ族の酋長の首を斬り、女性を強姦し、残りはバミューダ諸島に奴隷として売り飛ばしています。
ここら辺からビル・トッテン氏は、嫌気がさしたと言っています。
これも歴史の矛盾です。
通常の人間性から言えば、これは恩を仇で返しているわけですから、到底矛盾なく正義から受け入れられることではありません。
その後、イギリスから渡って、東海岸にいた清教徒達は、言うまでもなく「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と「フロンティア・スピリット(開拓者精神)」によって西海岸に領土を拡張していく西部開拓時代に入ります。
野蛮なインディアンの文明化の下にインディアンの虐殺と西部開拓、ウィキペディアではそうは書かれておらず、西部侵略と記載されていますが、アメリカ建国へと突き進みます。
このインディアンの虐殺と侵略は、この「マニフェスト・デスティニー」の文明観の元に行われました。
インディアンへの虐殺と侵略を正当化するための標語だった。
これも文明観の矛盾です。
現代の価値観から言えば、この文明観も正義から受け入れることはできない。
そういう時代だったのだから仕方がないとは思いますが、現代的価値観から言えば、大抵受け入れることはできないでしょう。
ラシュモア山に彫刻されている4人の「ファウンディング・ファーザーズ」、そのラシュモア山も、もとはインディアンの聖地でした。
インディアンの虐殺を批難し、その土地を奪ったことを悪として怒るならば当然、このラシュモア山に彫られている4人の顔も受け入れることができなくなる。
インディアンの聖地にずうずうしくも、そのインディアンを虐殺した者達の顔を彫る。
通常の神経ならば受け入れられない。
しかして建国の父達です。
精神的な葛藤と矛盾に悩むことになる。
今回、問題となった白人優越主義者、KKK(クー・クラックス・クラン)もプロテスタントであり、ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント(WASP)、ワスプと呼ばれるキリスト教徒です。
白人至上主義を掲げながら、その拝んでいるイエス・キリストは、有色人種です。
これも矛盾です。
白人は最も世界で優秀なのだと叫びながら、有色人種であるイエス・キリストを拝んでいるわけです。
こういった様々な矛盾が出てきているように見える。
アメリカ人が尊敬しているアブラハム・リンカーンも確かに黒人奴隷を解放したかもしれませんが、先住民であるインディアンに関しては徹底的な民族浄化をしています。
特にスー族に対しての苛酷な弾圧と追放は有名です。
38人の同時一斉絞首刑は、リンカーン大統領が署名しました。
祖父がインディアンに殺されたという怨恨もあるのでしょうが、アメリカ史上最大の絞首刑と言われています。
ダコタ族のスー族を飢餓状態に追い込み、暴動を起こさざるを得ない状況を作って、開戦したダコタ戦争は有名です。
38人が一斉に絞首刑になりましたが、残りは追放されています。
これもコロンブスと同様、かつて深く尊敬していた人物が、そうではなかったかもしれない事例です。
ワンパノアグ族との感動的な出会いを「感謝祭」としたのもリンカーンです。
リンカーン像も撤去するのでしょうか?
アメリカという国家はインディアンへの虐殺と侵略がなければ、存在していない国家です。
もしインディアンを虐殺せず、侵略もしなかった場合、アメリカという国家そのものが存在していないのです。
ここが正義を信ずる人間が抱え込むことになる国家観の矛盾です。
アメリカと似たような手法で国家を建国したのが、モンゴルであり、チンギス・ハーンです。
もしチンギス・ハーンなくば、群雄割拠していた各部族は、国家というものもなく、今もそのままであり、世界から取り残されていた。
いつまでもイノシシと鹿を追って狩りをしていたかもしれない。
各部族が放っておいてくれという言い分を聞いていられない時代がある。
神々はこういう時代の節目で大ハーンのような人間を出してくる。
初めは侵略から入り、徐々に統治という形態に進化していき、最終的にモンゴルという国家となり、他の国家との兼ね合いにおいて霊的発達から遅れることなく、未来に生まれてくるモンゴル人達が対等に付き合っていくことができる。
大ハーンがあれだけ殺戮を繰り広げても尊敬されているのは、モンゴルという国家を作りあげたからであり、国民は知っているからです。
大ハーンなくば、モンゴルという国家は存在していない事実を。
ナポレオンも同じ神々の使命によって如来界に帰天しておりますが、ナポレオンの使命は、抑圧的な封建時代を破壊し、新たな近代の息吹を作り上げることでした。
ナポレオンなくば、今の近代はないのです。
いつまでも古い世界で生き続けていくのです。
現代のように放っておけば、いつまでも民主主義を続けていくように。
それを一々聞いてられない時代があるのです。
話し合いで変わるのが最も良いけれども、それを聞いていられない時代が、時代によってはある。
この時代の節目に神々は、ナポレオンや大ハーンのような人物を出して、強制的に古い世界を破壊し、新たな世界を作り上げる。
その神々の意志は、必ずしも同時代の人間が理解できるわけではない。
低い霊域では、単なる侵略者であり、人殺しと言う。
ところが神の評価は違う。
ボナパルトも見事如来界に帰天し、自由の神と呼ばれている。
ヒトラーや始皇帝と一緒にしてはいけない。
表面しか見ていないから分からない。
これはヘーゲルの歴史哲学でも説かれていることですけどね。
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