Report No.136
キリスト教の埃とチリの部分は、大体見性したと思いますが、元々キリスト教は神を崇拝している宗教ではなく、イエス・キリストという人間を崇拝している宗教であり、その神格化の過程で様々な埃とチリがついており、人間を崇拝すればするほど、その埃とチリの矛盾は滑稽なものになってくる。
霊格が高かろうが、低かろうが誰であれ、その自我を神格化すれば、必ずその真理は矛盾してきます。
キリスト教の埃とチリの部分から理解できることは、自我は所詮、神にはなりえないということです。
「自我」は神格化できず、しようとすれば荒唐無稽で滑稽なものになります。
「自我」を神格化するのは、物質を神格化するのと同じであり、無理があるのです。
それでもその「無理」を強行に通そうとすれば、様々な矛盾と荒唐無稽な言論のオンパレードになる。
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