Report No.501
キリスト教では、「主の祈り」が説かれます。
「天に父の御心成れるが如く、地にも成らせたまえ」と祈るわけですが、天の心が地にもなるという意味では、天地一体の悟りであろうし、幸福の科学で説かれた「あの世とこの世を貫く幸福」とも軌を一にしています。
ただイエスの言う「天の父」とは、当時の指導霊であるエル・ランティのことを指していたようであり、この「天の父の御心」をどう捉えるかによって、ある意味どうとでも解釈しようと思えばできるのです。
当時のイエスの認識としては人格神への信仰でしょうから、やはり方便の意味合いが強いと言えます。
人格神とは、方便の神だからです。
今回の「救世の法」では、本当の神への信仰が説かれますので、方便の神は「従」なのです。
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