Report No.331
自我は「目的」にもならず、「否定」もできません。
「自我を捨てよ」という教えは方便の善であり、有限の善です。
全ての多様な悪は、自我に帰一していると見ておりますので、自我や表面意識を悪と見るわけですが、もちろん相対的な自我が「目的」になることはありませんが、実は「否定」もできないのです。
少なくとも神ご自身は「否定」しておられません。
神我が「天」であり、自我は「地」で、永遠に天地一体です。
神我が統一であり、自我は矛盾です。
統一が「天」であり、矛盾が「地」で、永遠に天地一体です。
神我即自我であり、西田哲学で説かれておりますように統一即矛盾が実在であり、双方は一実在の両方面です。
切ったら実在とはならず、自我となり、有限の善となり、方便の真理に落ちます。
「自我を捨てよ」という教えは、この神我と自我を自我で切って、自我の矛盾の方面を見て、矛盾を矛盾であるという理由において「自我を捨てよ」と言っているため自我に比喩した方便の善です。
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