宗教的な「戒律」とは、単純に言えば方便の善ですが、神の心と人間の心のギャップと乖離から生まれているものであり、神的なものと言えば神的なものですが、人間的なものと言えば人間的なものです。
神ご自身には悪が「ひとかけら」もありませんので戒律はないわけです。
一瞬も悪を犯さない神に戒律は必要ありません。
永遠に善を実践しておられる神に「あれをするな」、「これをするな」、「あれをしてはならない」、「これをしてはならない」という戒律は必要ないのです。
戒律は人間が悪を犯すことが前提になっており、悪を犯す存在が人間であるのだから「あれをしてはならない」、「これをしてはならない」という戒律が必要になってくるのです。
戒律は神から来ているというより、人間の未熟から来ているものです。
逆から言えば、戒律とは「あれをしたら悪」、「これをしたら悪」と言う本来存在しない悪を創っている側面があるため方便の域を出られないのです。
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