戒律と悟りは似て非なるものです。
戒律は人格神が与える場合でも人間の心の外から与えるものであり、悟りは人間の心の内から来るものです。
一切はその人の内部から出てこなければならないのだ : オスカー・ワイルド
現代は神の御名を語って戒律を与える時代ではなく、悟りの時代です。
一人一人が自己内在の神の心を悟る時代なのです。
今後の歴史は、悟りの歴史としなければならないのです。
悟りの欠如とは、神の心の欠如であり、無神論の時代となる原因の一つにこの悟りの欠如があります。
悟りが欠如しているから神の心があらわれない。
神の心があらわれないから神を信じようがなくなり、無神論の時代になるのです。
悟りの時代とは、悟りの歴史の幕開けであり、信仰の歴史が始まるということです。
悟りが善人を創り、悟りの欠如が悪人を創るのです。
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