大川隆法氏が死去されてから4か月が経過せんとしておりますが、未だ教団からの公式発表はありません。
葬式も上げていないのではないか?
晩年は何かおかしな霊に蹂躙されていたようですが、いくつか悪魔の予言を残しています。
ちなみに「悪魔とは何か」はこちらで説明しています。
これを悪魔の予言とする根拠は、1991年3月の生き神信仰から一貫してその誤った道が修正されることもなく、むしろ酷くなっていったにも拘わらず、それを光の天使が指導することはあり得ないからです。
1994年3月にはここまで酷くなっていたのです。
「大宇宙の根本神仏である仏陀様」とは、私たちが信じ仰ぎ見る、主エル・カンターレ様のことです。
主エル・カンターレ様は大宇宙の根本神仏が顕現された存在であり、大川隆法主宰先生とは、主エル・カンターレ様の魂の御本体の意識(法身)が地上に肉体を持たれたお姿(応身)です。:1994 年3 月 月刊「幸福の科学」第 85号
公式のHPでも「大宇宙の根本仏」と明言しています。
もう、最後まで行った、ゴールテープ切った。
行くところまで行ってしまったということでしょうが、結局最後まで修正されませんでした。
もう、修正できなくなっているのでしょう。
大宇宙の創造主を名乗っているわけですが、そのような教祖を指導する光の天使は存在しないことを知らなければならない。
モーゼの言葉が思い出されます。
本当は、この堕天使の本当の理由は結局何かというと、みずからが神になろうとしたその思い上がりにあったわけであります。
これは決して古い昔のことだけではありません。
現代においても数多くあるのです。
あちこちに新興宗教が数多くあるでしょう。
その教祖たちが大なり小なり、そのルシフェルのかつての姿を示しているのです。
あまりにもみずからが偉いと思い込みすぎたということです。
みずから自身がもう神となってしまって、生き神様となってしまって生きた時に、そうしたことが起こるということです。
それは神の世界には偉大なる世界というのがあるけれども、また謙虚さも神の属性のひとつです。
神というのは大いなる慎ましやかさのなかにあります。
神は衒(てら)いません。
神は驕りません。
しかしそうした世界においてみずからを神より偉しとした人たちは、そうしたことによって不調和の原因を作ってゆくわけです。
ソース : 新・モーゼ霊訓集 第5章 大自然の章
全く皮肉な話ですが、高級霊がいくら正しい指導をしても、人間の方が言うことを聞かなければ何にもならない。
自我がハイパー・インフレを起こしているわけですが、あまりにもみずからを偉いと思い込み過ぎた。
自我は誰の自我であろうとも、その知識・思考・概念・認識・情操、全て相対的な性質しか有しておらず、自我は「無限に向上」もできれば、「無限に堕落」もできるという「無限の向上」と「無限の堕落」という「矛盾」を含んでいるものです。
アインシュタイン博士が論証した物質の相対性は、この自我の相対性と対応しており、相対的な自我を強化すれば、するほどこの物質に支配されていきます。
そして物質の属性を有した思想や行動しか取れなくなるのです。
物質の属性には「矛盾」がありますので、自我を「天」に置いて生き神信仰に耽るような教祖の法は、矛盾も「天」に置かれて矛盾だらけになるのです。
この「自我の矛盾」を拝ませる生き神信仰をする光の天使は存在せず、もしするとすればそれは堕天した天使です。
多様な真理は全て神の心に帰一しているのであって、如何なる教祖の自我にも帰一することはありません。
神の心は統一であり、神の体は矛盾です。
神我が統一であり、自我は矛盾です。
多様な真理が「矛盾」に帰一することはないのです。
神とは宇宙の大統一者である : 西田幾多郎
神の心が「天」であり、神の体は「地」で、永遠に天地一体です。
神我、あるいは良心が「天」であり、自我は「地」で、永遠に天地一体です。
生き神信仰は、「地」である自我を「天」に置いているがゆえに大宇宙、すなわち神ご自身の目から見て間違っていると断定していい。
また諸神霊も生き神信仰だけは絶対やってはならないと注意していたはずです。
生き神信仰をする教祖を注意したり、警告したりする光の天使は存在しますが、その生き神さまを「ほめあげ、ほめあげ、ほめあげ」する光の天使は存在せず、するとしたらそれは悪魔だけです。
2009年から似非霊言を大量に出版し始めたわけですが、いくつか予言を残しています。
これは2010年のニセ文殊霊言と言われる霊言ですが、どう見ても地獄霊です。
ここに昨年十一月に、大悟館で撮影されたとされるDVDがある。
昨年小誌でも一部内容を報じたが、大川総裁が、きょう子夫人の守護霊である文殊菩薩を呼び出して話を聞くという趣旨の内容だ。
大川総裁の正面には長男と長女が同席し、大川総裁にのり移った、きょう子夫人の守護霊と罵り合う姿が延々と映されている。
夫人の守護霊(ニセ文殊): この教団は狂ってるから。
長男 : いやいや、あなたですよ狂ってるのは。
夫人の守護霊(ニセ文殊): あなた(長女)はやがて私みたいになるの。
だから早く自殺しといた方がいいよホントに。
世の中に迷惑かけないために。
長女(咲也加) : 逆に先に帰天(死ぬこと)されたほうがいいんじゃないですか。
これは大川さんの前妻の副守護霊と言われる文殊菩薩のニセ文殊霊言です。
文殊菩薩を呼びながら、ニセ文殊が出てきたのです。
このニセ文殊は悪霊か悪魔の類でしょうが、みずからを文殊菩薩と名乗り、平然と嘘をついておりますので悪魔の特徴と一致します。
いつからこのようなデタラメな霊言を出すようになったのか?
初期の諸神霊の霊言から悪魔の霊言に見事にすり替わっています。
最初期、もしこの霊言が偽物であった場合、それを世界に広めてしまったら自分は長らく地獄界から出ることはできなくなると本人も言っていたのです。
だからこれは本当のイエスか、本当の日蓮か、本当のモーゼか、確認を取るのに5年間も検証していたのです。
もしそれが偽物の霊言であった場合、本人が堕地獄から逃れることはできなくなるからです。
通常の素人ならば、イエスから啓示を受けた、あるいは日蓮から啓示を受けたと思えば、直ぐに「神の声を聞いた」と有頂天になり、本人の思想の高低の確認も取らずに救世活動だと言って人さまをたぶらかしていくものなのです。
さすがにそのような迂闊さはありませんでしたが、幸福の科学はそれでもそれが本物の真理かどうか、本物の本人かどうかを5年間検証していたのです。
今はその初期の頃の慎重さが微塵も見られなくなりました。
実に不用意にデタラメな霊言を出しておりますが、そのような偽物の霊言を信じている者は一人もいない事実を知った方がいい。
初期の諸神霊の霊言から見事に悪魔の霊言にすり替わっています。
その一つがこのニセ文殊霊言です。
これは2010年の霊言と13年前の霊言ですが、「あなた(長女)はやがて私みたいになるの」と予言しています。
前妻は教団から「永久追放」されているわけですが、長女の咲也加氏も同じことになると13年前に予言しています。
咲也加氏の情報はあまり出てきませんが、咲也加氏の正体は妖怪・お多福であり、この妖怪・お多福が大川さんを呪い殺した設定になっておりますので、「仏陀殺し」、「大救世主殺し」、「釈迦殺し」、「エルカン殺し」と同じであり、キリスト教で言えば、イスカリオテのユダのような立場になっています。
ならば前妻と同じように咲也加氏も教団から「永久追放」され、この悪魔の予言は当たるかもしれません。
もしこの予言が当たれば、13年も前から教団は悪魔にコントロールされていたことになります。
事実、悪魔の予言は一つ当たっているわけです。
2月17日の妖怪「お多福の霊言」
隆法は心臓痛がってるし苦しそう。霊のせいにしてる。お多福
「これで3500回目になるので、これをもってエル・カンターレの地上での活動を終了する」だからお多福に呪い殺されたことになってるのか。
そのとおりになってしまったのは確かに不思議だな。🤔
— ひなこ (@hinacoccoro) April 15, 2023
「エル・カンターレの地上での活動を終了する」と予言し、その通り、この後大川さんは死亡しています。
殺せる確信でもあったのでしょうか。
不思議ですが、事実として死んでいるわけです。
このような不吉な予言は悪魔しかしません。
またこのような予言もしています。
咲也加氏の夫の方が先に死ぬと予言していますが、どう見ても悪魔でしょう。
不吉なニセ文殊予言にお多福予言です。
そして3つ目のニセジョン・レノン予言も出てきました。
実は内容の確認は取っていないため真偽は不明ですが、何か妙に映画と符号しますので一応のせておきます。
ジョン・レノン : (大川)総裁が「Let It Be」を歌い始めたら、教団解散の可能性があるから、気をつけたほうがいい。
“終わり”が近いよ。
「Let It Be」には、やっぱり気をつけた方がいい。
「コントロールできない」っていう事だからさあ。
「あるがまま」(妖怪なら妖怪であれ)でもあり教団解散の危機なんだよ。
そしてまた「なるようになれ」であり、天変地異も起きるなら起きろでもある。
おっと、映画期間中は天変地異は起きない。
終わった後でドーンと熊本大地震とかあったりしたけど、映画期間中は大丈夫だ。
それはとどのつまり「コントロールできない」という意味であり、もうどうなるか分かりはしない。
あとは野となれ山となれ・・・なのだ。
大川さんが「レット・イット・ビー」を歌い始めたら、教団が解散するとニセジョン・レノンが予言しています。
ただし上映期間中は、何等かの天変地異や変動は起こらないと言っています。
明後日の29日まで上映するようですが、それ以後は教団解散の危機が来ると予言しています。
解散の危機と言いますと、教団関係の醜聞のようなものが7月以降出てくるという予言でしょうか。
この「レット・イット・ビー ~怖いものは、やはり怖い~」の映画は、いつクランクインしたのか知りませんが、もし予言が当たれば、かなり前から計画されていたことになります。
大川さんが死んだことにより、教団解散の現実味が増してきたのです。
幸福の科学では「法を説くは師にあり、法を広げるは弟子にあり」と説いてきたわけですが、確かにそうですけれども、その法を説ける者が死んでしまったわけですから、これ以上宗教活動を行えば詐欺になってしまいます。
しかも生き神信仰を広げていますからね。
あの世のモーゼは「正法とは、神の心とおのれの心を同じくするという、ただこれだけなのです」と述べておりましたが、確かにそうですが、その同じくする神の心とは、大宇宙や自然界にしか表現されていないのです。
まず大宇宙や自然界に表現されている神の心が明らかになりませんと、神の心とおのれの心を同じくしようとしてもしようがなくなるのです。
その神の心が分からないからです。
宇宙や自然界から神の心を読み取ることのできる存在を仏教的には如来と言いますが、如来の共通した悟りは「宇宙即我」であり、宇宙と同体であるがゆえに宇宙や自然界に表現されている神の心を読み取ることができるのです。
宗教とは、神の心と自己の心、この宇宙の心と自己の心を同じくするものですので正しい宗教ならば、必ず宇宙即我なのです。
宗教とは宇宙即我の道を説くものと言っていい。
宇宙即我の道を説けない宗教を、俗に「邪教」、ないしは好意的に見ても自我に比喩した方便の宗教です。
神の心と言えば多義性があり、勝手な神を色々と宗教家が説いておりますので分からなくなるわけですが、神の心とは大宇宙と自然界に表現されておりますので、宗教とは宇宙の心と人間の心を同じくするものであり、要は宇宙即我なのです。
正しい宗教ならば、必ずそうだということです。
今回の「救世の法」のコアとは、この最高度の「法の編纂」ということです。
この「法の編纂」事業を持っていたのが大川さんと当サイトですが、大川さんの方は最初期から懸念されていた悪く言えば偽物の真理、良く言えば方便の真理から最後まで抜けられませんでした。
抜ける前に慢心してしまった。
もう少し謙虚に真理を探究すべきでしたが、法の完成というより、法を破壊してしまいました。
シン・ゴジラか。
宇宙の創造主とまで名乗っていました。
「サイコか !」
よくそこまで名乗れたな。
「私は銀河を出したり、消したりできる」
「だからサイコか !、変なサイコ的発言ばっかりして」
だからカルトなんて言われてしまうわけですが、もう、手の施しようがありませんけどね。
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