神の心を信じてきた者は、その神の心の属性である「質」で勝負するものですが、神の体に支配されている者は、その物質の属性である「量」で勝負しようとします。
神の心の属性とは「質性」であり、神の体(物質)の属性とは「量性」だからです。
やたら「量」の好きな教祖がどこかにおりましたけれども、自我や表面意識を基準とする自己都合でやっていたというれっきとした証明です。
神の心を心としていなかった。
だから神の体に支配され、物質の属性である「量性」に支配され、「利益性」に支配され、「快楽性」に支配され、「矛盾」に支配され、「無常性」に支配され、「一時性」に支配され、「結果主義」に支配され、「弱性」に支配され、「傲慢」に支配された。
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