最後の円高局面が終わり、再びドル円が「151円」を挟んでもみ合う展開になっています。
これは、もう日本はダメかも分からんね。
IMF(国際通貨基金)の2023年10月時点での当初予測では、2026年にインドが日本を抜くという予測だったわけですが、それが円安で1年前倒しとなり、来年(2025年)インドが日本を抜くことがほぼ確実な情勢です。
日本は世界経済「第5位」へと転落していくわけです。
ところが年次の平均為替レートを見ますと、今までのところドル円は「151円」を超えてしまっているのです。
これで計算しますと、単純計算で日本のGDPは「4兆ドル」を割ってしまうのです。
600兆円÷151.1円=3.97兆ドル
今年のインドのGDPは「4.1兆ドル」ですから、IMFが予測する来年ではなく、このままでは今年インドに抜かれてしまうのです。
今年は後2か月足らずですが、今の為替レートがこのまま続けば、日本は今年世界経済「第5位」に転落してしまうのです。
今の円安は、恐らく国力の衰退があらわれているのであり、救世主死亡後に急速にと言う感じです。
救世主が死亡した去年(2023年)、55年ぶりにドイツに抜かれましたが、今年(2024年)はインドに抜かれそうです。
抜かれれば、2年連続となります。
中国の背中が見えなくなって久しいわけですが、インドは世界一人口の多い国ですので、一旦抜かれますと二度と抜き返すことはできなくなります。
インドカレーをやけ食いするしかありません。
救世主・大川隆法氏が死んでしまったわけですから、特に仏弟子は途方に暮れているでしょうね。
ほんと同情しています。
中心人物が死亡するという「まさか」の事態ですが、神道系が大川さんに異常な霊的干渉を加えていたのは事実ですから、責任逃れはできないでしょうね。
仏教系の霊系団の反発も尋常なものではないでしょう。
明らかに不当な干渉でしたからね。
神道系は、真っ当な人間の振りをして、自己の霊系統以外の者達全てに戦争をふっかけておりますが、まるで見る者全てに嚙みついてくる狂犬みたいです。
いつでも反抗期かよ。
「ナチスと手を組め」の次は神示で「ユダヤと手を組め」と下ろしています。
この「ユダヤ」というのが、一体何を意味しているのかよく知りませんが、何を心の物差しに置いているのか、良く分かる言葉です。
神の正しさに仕えようと言う気はさらさらないようです。
大川さんが日本を選んだために、200年間にも渡って多くの光の天使が日本に生まれてきたわけです。
そのおかげで日本はG7にも入れたのです。
高橋信次氏までは、自己の利益でうまく利用できたようですが、最後の最後で本音を見抜かれましたね。
大川さんには通用しなかったようです。
神道の覇道に対して覇道で対応しているうちにミイラ取りがミイラになってしまいました。
気持ちは分かりますが、神道の覇道に対しては王道で対応するしかないのです。
やはり自己の悟りを上げていきませんと、この国ではおかしな方向に誘導されます。
仏教系だけの話ではなく、他の霊系団にも神道系は戦争を売りまくっているのです。
どこの半グレだよ。
香港まんじゅうでも食って、少し落ち着けよ。
これが日本が衰退している本当の理由なのです。
自己の支配欲を優先し過ぎて、他の霊系団に戦争を売り過ぎてしまい、敵を創り過ぎたのです。
いつものように自我の強さでまた「しくじった」ということです。
IMFの甘々の予測では50年後の日本はこうなっています。
2050年に日本は世界経済で「第6位」になり、2075年には「第12位」になるという予測です。
ただこの予測の前提は、日本が世界経済「第5位」になるのは2040年であり、インドが日本を抜くのは2030年としている甘い予測が前提になっているのです。
日本は2040年ではなく、遅くとも2025年には「第5位」になるのであり、2030年ではなく、ほぼ確実にインドは来年日本を抜きます。
この日本の位置は、現実的には更に低下しているでしょうね。
これも神道が原因なのです。
日本人は、何故自分達が衰退しているのか、その本当の原因と理由を知らないまま今後も衰退していくことになるでしょう。
労働生産性を上げなければならないと見当違いなことを延々と議論しているような無知ぶりです。
労働生産性を上げようが、上げまいが何の関係もありません。
利益と快楽という悪を追っているだけの話ですから、みずからの選択で「地」に向かっているわけです。
宇宙の理法上、転落は避けられません。
正義が「天」であり、利益と快楽は「地」で、永遠に天地一体が我々の住む正しき世界なのです。
もう手遅れでしょうが、みずからも神を売り、人にまで売らせていたような者達が繁栄することはないのです。
アメリカで延々とおかしなことをしている神霊も一部おりますので、もちろん全てとは言いませんが、基本的なベースとして、次世代の世界は善が繁栄し、悪は衰退させていくという点で既に諸神霊達は一致しています。
大川さんは「悪を押し留めて、善を押し広げる」と述べておりましたが、その通りであり、諸神霊も同じです。
善を繁栄させて、悪を衰退させるということです。
それを人類に見せるということです。
悪が衰退し、善が繁栄している姿を見て、人間の方は「やっぱ俺も善をやろ」、「悪をやったから誤っとこ」、「悪いことしたから、あいつに後でおごってやろ」と殊勝に思っていくわけであり、善を旨としていくわけです。
イエスが支配してきたここ2000年の世界は、結果論として悪が繁栄し、善が衰退する姿を人間に見せてきたのです。
これでは誰も善を旨とする者はいなくなり、「やっぱ俺もお金儲けしよ」、「俺、お金大好き」、「利益のために人の弱みにつけ込んで騙してやろ」という利益と快楽ばかりを追う人間ができるのは当たり前の話なのです。
相対的な利益と快楽は「矛盾」を意味しておりますので、これを目的にすれば、その「矛盾」から悪が無限に現象化してくるのです。
その悪を克服できればいいよ。
でも世の中は、菩薩さんみたいに偉い人ばかりではありませんので、その無限化された悪を克服できない者も出てくるのです。
すると地獄に堕ちてしまう。
利益と快楽を「天」に置けば、必ず神の創っておられない地獄が創られるのです。
未熟な大衆は利益で釣っても釣れるし、利益の相対性から地獄に堕ちても、神さま然として地獄で苦しむ人を救うのだと言ってもまた地獄で釣れるのです。
だから利益と快楽で釣ることをやめない人もいます。
悪の根の深さとは、この利益と快楽の根の深さなのです。
大川さんも不快を悪と認識しておりましたが、実際の悪は逆であり、この利益と快楽の心地良さが悪の根源なのです。
フライデー事件の時も言っていました。
「もし、間違えたる事実を報道することによって、多くの人々の心を、傷つけたのならば、素直に反省せよ」
人を傷つけることを悪だと思っていたのです。
人を傷つけることを悪と認識していたということは、不快を悪と認識していたのです。
実際の悪は逆であり、快楽が悪です。
だからこういった真理と逆の認識をしている人は、利益と快楽が悪であるとは思っておらず、悟ってもいないのです。
心地良いため、むしろそれを善と認識しているのです。
だから利益と快楽をむさぼろうとするのです。
そうしてエゴイストが出来上がり、以後はカルト街道まっしぐらになったのです。
利益と快楽は「地」に置かれ、目的にもせず、否定もせず、「天」に統一されている時は善ですが、利益と快楽を「天」に置けば、それは明らかに悪になるのです。
資本主義で富を「天」に置き、民主主義で利益を「天」に置き、社会主義で物質を「天」に置いている間違った世界なのです。
この政治・経済体制では、地上天国はできません。
そう予言はされておりましたけれども、一旦世界を更地にしてゼロからやり直さなければ地上天国はできないでしょうね。
利益と快楽と言う「矛盾」を「天」に置いておりますので、悪が無限に現象化してくるのは避けられないのです。
しかして天界にもそういった神霊がいるわけです。
未熟者は、利益で釣っても釣れるし、地獄で苦しむ人を救うのだと言っても地獄でまた釣れるのです。
利益は、この世と地獄で二度釣れる。
一粒で二度おいしい。
グリコか。
一石二鳥か。
一挙両得か。
神の体を「天」に置き、相対的な利益と快楽を「天」に置けば、地獄はなくならず、地上天国もできません。
宗教の世界でもこの他力信仰と他力信仰が必然的に招く御利益信仰によって96%の教祖が魔にコントロールされているのです。
宗教は神の心を語るために、この世界で御利益信仰を説けば、堕地獄であり、必ず魔に蹂躙されていきます。
そういう教祖がどこかにおりましたけれども、真理の世界は、利益を「天」に置きたくても置けない世界であり、もし「天」に置けば、必然的に魔と心が同通してくるため、地獄に引きずり込まれていくのです。
置きたくても置けないわけです。
地獄に行きたければ、利益と快楽を本音にすれば、行けます。
天国に行きたければ、正義と善を本音にすれば、行けます。
神の体を本音にすれば、地獄に行けます。
神の心を本音にすれば、天国に行けます。
ガンダム、行きまーす、・・ここまで言って笑ってくれなければ、言う方もつらいが。
天国、行きまーす。
今まで手かざし系の宗教と先祖供養型の宗教、あるいは霊能力信仰の宗教と祈りを中心とする宗教の問題点をあげてきました。
共通点は御利益信仰であり、物質を拝み、現象を拝み、結果を拝み、「地」を拝んでいる点が共通しています。
今の宗教はほとんどが御利益信仰であり、他力信仰になっているのです。
これは高橋信次氏時代のGLAの時から同じことが言われていたようですが、現代でもさほど変わっていません。
宇宙の存在のことを神と言いますが、それをあえて人間の言葉で言えば、神の心即神の体、精神即物質、主観即客観、実相即方便、実相即現象、神我即自我、幸福即快楽、真理即現象利益、統一即矛盾、天即地、多次元世界即宇宙と言います。
神の心とは、大宇宙の中心点の心です。
幸福と快楽の左右の矛盾、神我と自我の左右の矛盾、実相と現象の左右の矛盾、真理と現象利益の左右の矛盾、統一と矛盾の左右の矛盾、精神と物質の左右の矛盾、この左右の「矛盾」を統一したところに中道があり、神の心があるのです。
左右の両極端を捨てて中道に入れ : 高橋信次
西田哲学では全ての矛盾を統一している存在を神と言いましたが、神とはまさに宇宙の大統一者です。
宗教の正邪は、大宇宙の真景から見なければ、その正邪を判断することはできません。
例えば、あの世の谷口雅春氏は、自分の流れから出ている間違った教えとして五井昌久の白光真宏会を上げていました。
大宇宙、すなわち神とは、実相即現象そのものですが、生長の家では、あくまで左の実相に偏り、人間精神の根源的本質である生命の実相を神の心とし、この神の心そのものを見て、ここに悪なく、罪なく、病なしと説きました。
神の心に罪はありませんので、この神の心を見て、人類無罪宣言をしたのです。
人間は罪の子ではなく、神の子である、と。
五井昌久は、この実相即現象の「即の中道」を外れ、宇宙の中心点を外れ、右の現象に偏ったのです。
実相に悪なく、罪なく、病なしと説いた生長の家に対して五井昌久は「紙一重」で右の現象に偏り、現象世界に悪なく、罪なく、病なしと説いてストーンと無間地獄に堕ちてしまったのです。
実相「即」現象の「即の中道」の「紙一重」で一方は如来界に帰天し、他方は無間地獄に堕ちたのです。
真理即現象利益もそうですが、神の心とは「紙一重」で生死が分かれるのです。
左の真理に偏れば天国ですが、右の現象利益に偏れば地獄なのです。
そして真理と現象利益の関係は、真理即現象利益で永遠に一体です。
生と死の交わる地点に神の心はあるのです。
神の心を悟るとは、この「紙一重」を悟ることです。
生命の実相に悪なく、罪なく、病なしではなく、もう現象の世界にも悪なく、罪なく、病なしなのだ。
たとえ病と見えしものがあらわれ、悪や罪と見えしものがあらわれても、それを悪や罪と認めてはいけないのだ。
それは過去の悪しき業が今まさに崩壊している現象なのだ。
悪や罪、そして病などは存在しないのだ。
後は世界平和を祈ることによって人間は救われていくのだと説いてストーンと行ったわけです。
地獄、行きまーす。
行ってらっしゃーい。
早く帰ってきてねえ、地獄から。
谷口雅春の唯神実相哲学はすばらしいけれども、俺は更に一歩それを進めたのだ。
生命の実相だけではなく、現象世界にも、もはや悪なく、罪なく、病なしなのだ。
それは悪しきカルマが今、崩壊していく姿なのであり、それを病であるとか悪であるとか認めてはいけないのだという御利益信仰を説いたのです。
悟りもなく、反省もなく、心の浄化もなく、現象世界に悪がなくなり、罪がなくなり、病がなくなることを願うならば、それは単なる御利益信仰です。
神の心を悟ることもなく、反省をすることもなく、神の心とおのれの心を同じくすることもなく、ただ世界に悪がなくなり、罪がなくなり、病がなくなることを願い、尚且つ世界平和という現象利益まで願ったのです。
谷口雅春氏はあの世で「紙一重なのだ、本物の悟りと偽物の悟りというのは」と言っておりましたけれども、神の造られた世界は「実相即現象」であり、この即の中道の「紙一重」で五井昌久は現象にすり替えたのです。
生長の家では、あくまで左の実相に偏り、実相そのものを見て、ここに悪なく、罪なく、病なしと説いたのです。
五井昌久は、右の現象に偏り、現象の世界に悪なく、罪なく、病なしと説いて地獄に堕ちてしまったわけです。
私のかつての弟子、元生長の家の講師などをしておって、今、地獄に堕ちている者なども、ほんの少しの違いから間違いを起こしていったのだ。
私は、こういうふうに本来病なし、光一元ということを説いた。
これを私は、実相の見地から説いておるのである。
ところが、これを現象的に解釈し始めると、一つの間違いが起きてくる。
紙一重なのだ。
私の教えと、そうでないものは。
本当の悟りを得ている者と、すり替えた悟りとでは、紙一重なのです。
これを間違えないでほしいと思う。
この世に悪はないと言っておるのではないということだ。
ですから、この世に悪しきと見えるのは、みんな良くなるしかない前の、消えてゆく姿なのだという教えは、まったくの間違いであります。
こういう教えに帰依している人がいたなら、いち早くそれから離れることだ。
この教えも、もともとは、私の流れから出ている以上、私は今、この霊言集において、この誤りを正しておかねばならぬと思う。
ソース : 谷口雅春霊言集 第6章 本来病なし
地獄に堕ちた教祖の教えを信じていれば、信者も同じ地獄に堕ちてしまいますからね。
高橋信次や谷口雅春のように天上界に帰天できた教祖というのは、例外中の例外であって大抵は神の心を悟っておりませんので下です。
谷口雅春は谷口雅春で「実相即現象」の左右の左の実相に偏り、右の現象を「なし」と言い、物質を「なし」と言い、肉体を「なし」と言っておりましたので、その教義が実相と現象の左右の矛盾を統一している地点に入っていなかった点、この左右の矛盾を統一している地点に入っていた高橋信次氏の方がやや生前の悟りは高かったと言えそうです。
ただあの人、理系だから。
文系じゃないから。
文章を書くのが苦手だったようであり、その悟りの高さが端々には出ておりますけれども、十分お弟子さんにその悟りの内容が伝わっていなかったのではないか。
彼は理系だから。
文系じゃないから。
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