「神父のこわいおじちゃんが、僕のチンチンいじってんのぉ」のペドフィリアでローマ教皇がピンチです。
ローマ法王、小児性愛者の聖職者たちとの闘いで教会の敗北を認める スプートニク
ローマ法王フランシスコ1世は、アイルランドの首都ダブリンを訪問中に、カトリック教会の聖職者の小児性愛、性的虐待の問題について言及した。
この問題については、ペンシルヴェニアの聖職者らが大勢の児童への性的虐待で訴えられたことを受け、バチカンが非難していると伝えられていた。
カトリック教会の聖職者らによる性的虐待は、 前法王であるベネディクト16世のときから起こっていた。
この虐待事件が、2013年にベネディクト16世が法王の座を退いた決定的原因ではないかと疑われている。
ベネディクト16世の辞任は、子供のチンチン児童虐待が原因ではないかと疑問視されています。
発端となったのは、この事件です。
米ペンシルベニア州の聖職者300人以上、子供に性的虐待の疑い スプートニク
米国のカトリック教会で新たなスキャンダルが勃発した。
ペンシルベニアの検察は、子供に性的虐待をした疑いのある聖職者300人以上を公表した。
カトリック教会は秘密保持契約を結ぶことが多いため、司祭や枢機卿は多くの部分において犯罪に対する責任から保護されている。
またか、という感じですが、伝統にでもなっているのでしょうか。
70年間に渡り、300人の聖職者が、確実視されている者だけで1000人以上の性的虐待をしており、その多くが罪に問われることなく、高位聖職者へと昇進しています。
悪党だけが出世するなど、どこかの宗教団体でも聞いたことがあります。
報告書に基づき、わずか2人の神父だけが未成年者への虐待で起訴されていますが、そのほとんどが年月が経ち過ぎているため訴追の対象にはなっていません。
南米やオーストラリアでも同様の事態が発覚しています。
記録が失われていたり、被害者が名乗りでなかったケースも含めて、実際の被害者は数千人規模と見られています。
歴代神父300人、子ども千人に性的虐待の疑い 米ペンシルベニア州 CNN
聖職者らは
「幼い少年少女を強姦していた。
教区の責任者たちは何の対応もとらなかったばかりか、数十年間にわたって全てを隠蔽(いんぺい)した」。
ほとんどの場合、加害者は罰せられることなく、多くが高位聖職者への昇進を果たしたという。
バチカンは火消しに躍起です。
ローマ教皇自身が、声明を出す事態にまで発展しており、偽善者の烙印を押されています。
フランシスコ法王はアイルランドを訪問し、相次いで明るみに出る聖職者による虐待について
「どのような代償を払ってもこうした行為を教会から取り除く」
と述べ、再発防止に全力を尽くす考えを強調しました。
事件の発覚を受けて、こういった声明を出しておりますが、このフランシスコ教皇は、既に5年前に報告を受けていたことが分かっています。
その時に適切に対処せず、発覚した今になってこのような声明を出しているため偽善的です。
その5年前に報告した当事者が、ローマ教皇の辞任を要求しています。
ローマ法王庁(バチカン)の駐米大使を務めたカルロ・ビガノ氏が法王フランシスコに辞任を求めていることが26日分かった。
一部メディアに対し、書面で告発した。
強姦なんて、明らかに犯罪行為ですが、組織的に隠ぺいしていた。
辞任を要求なんて、まるで会社の社長さんみたいですが、神の心を語る真理の世界は会社組織とは異なっているでしょう。
株式会社は「利潤追究」であり、宗教は「真理の追究」です。
資本主義における会社は「神の体」の探究であり、宗教の世界は「神の心」の探究であり、会社組織とは根本から異なっています。
目的とすべきものが逆なのです。
神の御名を語って神の心を説くことのできる資格のある者は、この星では大川さんと私だけでしょうから、それ以外の宗教家は詐欺罪を犯していると言ってもいい。
ローマ教皇もその一人に過ぎず、宗教家のほとんどは詐欺罪を犯している。
だから十戒に神の御名をみだりに語るべからずとあるわけです。
ただ今回の救世運動では、中東の古い落第宗教から近代の新興宗教に至るまですべて一旦は滅ぼす約束だったはずであり、日本に出ている天使は、みなその約束をして生まれてきている。
キリスト教もイスラム教も仏教も新興宗教もすべてなくし、新しい教えの下に人類を置くことが目的でした。
古い宗教を残すのではなく、新しい神の教えを説くことが目的だったのです。
だから釈迦や私が出ている。
高橋信次氏もあの世で言っていたと思いますが、我々は古い宗教を残し、宗教的対立をもはやそのままにしておく気はない、と言っていたと思います。
これはいい加減な新興宗教や古い宗教は、すべて潰すということなのです。
真実の教えだけを残すということであり、古い宗教を残せば、宗教的対立は中東を見ても分かりますが、今後もなくならないのです。
イエスがその約束を破り、福音派なんてどうでもいいカルト宗教に加担しておりましたが、彼はあの世での約束を破っています。
まさか残してこのまま宗教的対立を続ける気ではないでしょうね?
真理の頭を押さえつけ、神の心を何も説けない者達の富にひたすら奉仕しています。
宗教的には詐欺罪を犯している者の富に奉仕しているのですね。
これは自分の偉さを守っているのですが、そのようなことをしなければ守れない偉さとは、一体何なのでしょう。
そういうのを裏切り行為というのです。
すべて行動の規範が、自己の偉さであり、自愛が行動基準です。
こうすれば自己の得になる、あるいは得にならないが、行動の規範となっています。
こうすれば自己が偉くなる、こうすれば自己が偉くならない、これがイエスの行動の規範です。
少なくとも今まではそうです。
この点も幸福の科学によく反映されています。
神の心を悟り、人類のただ中で神ご自身を偉くする義務は万人にありますが、イエスを偉くする義務は万人にはありません。
神はイエスのためではなく、神ご自身のために生きるように人間を創造されている。
だから人生の共通の意義は神の存在となっている。
神の心を知ることが人生の共通の意義であり、イエスの心を知ることが人生の意義なのではない。
人民共通の人生の意義としては神の存在しかなく、イエスのために生きるのは人生の意義でも何でもない。
それは神の名を語った体のいい奴隷制でしょう。
ではイエス自身は何のために生きているのでしょう?
天の父のため?
ならばその天の父とやらは、一体何のために生きているのでしょう?
存在している限り、人生の存在意義はあるはずです。
その天の父とやらの人生の意義と万人の人生の意義は同じだと言っているのです。
大魔王即大如来です。
大如来の生命の本質にも神の存在はあり、大魔王の生命の本質にも同じ神が存在している。
全く同一の神が宿っているゆえに大魔王即大如来という。
神そのものを見性して出てきている悟りです。
だから神の存在が永遠に人民共通の人生の意義となっている。
これを否定すれば、人類から今後、完全な平等と普遍的価値のすべてが失われます。
そうすべてです。
過去・現在・未来の全人類の共通項を否定することになるからです。
これが神がすべてのすべてという意味なのです。
大魔王の生命の本質にも神の存在はあり、大如来の生命の本質にも全く同じ神の存在がある。
神がすべての生命の本質に宿っているゆえに大魔王即大如来となり、天界・現界・地獄界の全霊人は、神の存在において永遠に平等だと言っている。
ここ以外に平等は一つもない。
これ以外は、従ってすべて差別相。
この平等の神の心を悟っても、悟ってもなくならない世界が霊天上界。
神の心を悟っても、悟ってもなくならないゆえに霊実在界という。
この平等の神の心を悟れば、なくなる世界が地獄界。
神の心を悟れば、なくなる世界が地獄界ですから、地獄界は神の造った世界にあらず。
なくなるからです。
本当に在る世界とは言えず、実在の世界とは言えない。
地獄界は迷いの世界であり、神の心を悟ればなくなる世界です。
地獄界は目の錯覚であり、悟り不足の世界であり、人類の霊的未熟、社会的未熟、国家の未熟、民族の未熟を映し出している鏡の世界に過ぎない。
その霊的未熟が消滅すれば、その時地獄界も忽然と消滅する。
これ悟りの世界。
悟りなくば、気候は元に戻ることはなく、地獄も消滅することはない。
人類と世界の諸問題も解決を見ることはない。
当サイトは「悟り一元論」のサイトであり、善悪二元論と善一元論の対立を統一止揚する価値は、悟り一元論だという。
悟りによってのみ人類と世界のすべての諸問題は解決可能。
これをソクラテスは「汝自身を知れ」と言った。
汝のうちなる神を知れ、すべてのすべてを知れと言った。
この大魔王即大如来としての神の存在、これのみ人民共通の永遠の人生の意義と言える。
神約民主論では当然、この神が中核に置かれます。
そしてこの生命の中心に在る神の心、これが自己を客体化した世界が、眼前の大宇宙。
大宇宙とは神そのものですから、すべてを永遠に支配しています。
すべての善の源は神の心(生命)であり、すべての悪の源は神の体(物質)です。
すべての悪の源である神の体は、すべての善の源である神の心の表現体です。
大宇宙は神の一大倫理表現であり、これを悟ることを悟りと言う。
従ってすべての善を知るとは神の心を知るということであり、全ての悪を知るとは神の体を知るということです。
神の心と神の体を知る、換言すれば大宇宙を知るとは、神の如く善悪を知る人間の創造であり、大宇宙を知ることが、すべての善悪を知るということです。
大宇宙とは神そのものですから、神を知ることがすべての善悪を知る唯一の道であるということです。
今回は神約民主論国家の実現を通して、この大宇宙の絶対的権威を不動の存在として確立することです。
地球を永遠に救う存在は、やはり最終最後、神しかいなかったということです。
イエスがおかしな動きをしておりますが、真っ当な諸神霊ならば、既存の宗教を残す気はないということです。
大体、神の心を説けない者が神の心だと言って衆生をたぶらかしなさんなということです。
現代では神の名を語って神の心だと説いて許される者は、私と大川さんしかいないのです。
文句を言ったっていない者はいないのです。
欧米でもいません。
ただ大川さんの方が、ちょっと変なことやってるのは認めますけどね。
ほんとはそんな人じゃないんですけどね。
偉い人なんですよ、大川さんは。
少なくとも私よりかはね。
ちょっと迷っているだけでね
仏陀でも地上に降りると少し分からなくなる時もあるのですから、きっとみんなもそういうことは今後もあるんですよ。
高橋佳子女史も言っていました。
イエスであろうが、釈迦であろうが、この世に人として肉を持てば、ただの人。
私はうけましたけどね。
そう、ただの人、ってところがね。
神の心を説く資格はあるのです。
それ以外の宗教家は詐欺罪を犯しているということです。
神の心を悟っておらず、その努力もしておらず、霊格もない。
にも拘らず神の心だと言って詐欺を働いています。
真っ当な諸神霊の中では、古い宗教や現代の新興宗教を残す気はないということです。
キリスト教でも仏教でもそうですが、既存の宗教では仏国土が造れないのです。
聖書を読んでも無駄なのです。
仏国土の造り方が書かれていませんからね。
利益と国益が悪だという1+1すら書かれていません。
だから無分別に利益と国益を追って、大切な自然界を無制限に荒らしているのです。
大体、聖書を下した高橋信次本人すら読んでいません。
威張って言ってました。
私は埃とチリにまみれた宗教書など読んだことはありません。
そんなもの読まなくても分かるんです。
そしたらあの世でも言ってました。
孔子という嫌な奴から、
読まなくても分かるなんて偉そうに言わっと、ちゃんと読んでから言いなさい。
とご親切に忠告してくれた、と。
まぁね。
中々、お仲がよろしくないようで。
ほんとは少しは仲がいいところもあるのでしょうけどね。
まぁ、神の権威の確立ということですね。
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