「神約民主論」を通して「真世界」ができる道筋は、主に2通りの道筋があるように思います。
「だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない。
もしそんなことをしたら、新しい着物を裂くことになるし、新しいのから取った布ぎれも古いのに合わないであろう。
まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。
もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。
まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。『古いのが良い』と考えているからである」ルカ5章-36-39節
新しい着物と新しいぶどう酒は新しい神理を象徴し、古い着物と古い皮袋は既存の思想と世界を表しています。
誰も古い酒を飲んでから新しい酒を欲しがりはしない。
既存の民主主義と資本主義の古い酒を飲んだ者は、誰も新しい政治体制と経済原理を欲しがりはしない。
古いものがいいと考えているからである。
利権に巣食っている連中ですね。
利権に巣食っている者は、たとえ世界がそれで腐敗していたとしても「古いものがいい」と考える。
新しい着物から布きれを切って、古い着物に継ぎあてをする者はいない。
そうすれば新しい着物も台無しになるし、その新しい布きれも古い着物の布とはあわず、似合わない。
また新しいブドウ酒を古い革袋に入れれば、その古い革袋は破れて使いものにならなくなり、新しいぶどう酒の方も漏れて台無しになる。
よって新しいぶどう酒(新しい神理)は新しい革袋(新しい世界)に入れるべきである。
新しい着物の布きれは、新しい着物に継ぎあてるべきである。
それが最もふさわしく、似つかわしい。
新しいぶどう酒(新しい神理)を古い皮袋(古い世界)に入れれば、その古い皮袋(古い世界)は、破れて崩壊してしまう。
新しいぶどう酒(新しい神理)の方も古い皮袋から漏れて飲めなくなる。
新しいブドウ酒と古い皮袋は似合わず、共存共栄はできない。
必ずどちらかが滅び去り、敗れ去り、消え去ることとなる。
やはり新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるべきである。
すなわち新しいぶどう酒(新しい神理)は、新しい皮袋(新しい世界)に入れられる。
古い着物と古いぶどう酒は、過ぎ去り、消え去り、消滅していくことになる。
「古いものがいい」と考えているものも、また過ぎ去り、消え去り、なくなっていくことになる。
結論は確かにそうですが、この結論に到達する道筋には2通りあるでしょう。
一つは古い着物を焼却場に捨てて焼き、古い皮袋を破り捨てて捨て去る道が一つです。
世界を一旦、崩壊させてリセットし、その更地の廃墟の世界から新しい神理と世界を創造していく道です。
二つには古い着物を着て、古いブドウ酒を飲みながらも、徐々に新しい着物に着替え、新しいぶどう酒に切り替えていく道です。
どちらも結論としては古い着物は捨て去られ、古いぶどう酒は飲まなくなるのですが、その結論に到達する道には二通りあるわけです。
一つ目の道は大量の犠牲が出る道であり、二つ目の道は、確かに多少の犠牲はあるかもしれませんが、一つ目の道ほどの犠牲は出ないでしょう。
神道は一つ目の道を取り、ゼウス神は二つ目の道を選択しておられるように思います。
神道自身はこの星からなくなるし、立て替えもできませんのでどうでもいいわけですが、ゼウス神がそう選択されたのならば、私もその道を選ぶでしょう。
犠牲が少ないに越したことはないですからね。
他の地域は知りませんが、ゼウス神の影響圏以外の地域に興味も関心もありません。
実際、ゼウス神がどうするかは分からないわけですが、恐らく二番目の道を選択されている可能性が高いと思っています。
日本では問答無用でサバイバルの世界となるわけですが、ゼウス神の影響圏では必ずしもそうはならないのではないかと思います。
サバイバルとアウトドアの中間とも言えるものに「ブッシュクラフト」があります。
「道具をあまり持ち込まず、可能な限り軽量に小さく、荷物の質量を減らす事で体への負担を軽減し、シンプルな装備で大自然の中を楽しもうという考え方。」
「”文明の力”はなるべく持ち込まず、自然の中にあるものを現場で活用して作ったりします。
ブッシュは”茂み”、クラフトは”工作”という意味。」
「ブッシュクラフトとサバイバル、このふたつは非常に近い内容に思えますが、ブッシュクラフトは自然の中で生活する事、サバイバルは生存脱出を目的としている点で異なります。」
最悪、仮に政治・経済・宗教・文明が致命的なほどの損害をこうむり、1から文明を創造していかなければならなくなれば、恐らくサバイバルではなく、初期はこの「ブッシュクラフト」の生活になるのではないでしょうか。
利益を追えば、自然を忘れ、神の体を忘れ、神の心そのものをも忘れる。
神の心も忘れ、神の体も忘れる、あるいは見ようとしなくなる。
人間独自の文明となって、自然界という神の体とも切られて生活することになる。
人類は神の心と神の体なくして生きられないのに、人類自身の方が勝手に生きようとする。
正確には神の心を生命で忘れた人類は、同時に神の体も心の通り、見えなくなる。
「盲目の衆生」と仏教では言いますが、めくらが自然界を破壊し、同時に自分たちをも破壊していく。
神なき文明ですから、ある程度の反作用はあるのかもしれませんが、変革後は神の心と神の体を双方を見ていく文明となるでしょう。
「ブッシュクラフト」は、神の心と神の体の分離と間隙を埋めるものであり、方便ではありますが、神理の本質の一端には触れています。
自然界と言う神の体に依存し、神と共に生き、自然と共生しようとする。
自然界と言う「神の体」の中で「生きている」のでなく、「生かされている」と言う永遠に変わらない現実を直視しようとする。
現代の文明では、見事に忘れ去られていることです。
人間の肉体が神の体に依存せずして生きられないように、文明も神の体、すなわち自然界に依存せずして存続できない。
それでもその「永遠の現実」を認めず、みずからのみで生きんとするから世界は崩壊の憂き目にあう。
死後、地獄に行く者も多くなる。
全ては人類の側の自業自得なのですが、それでも神の意図と目的は永遠に変わらない。
神と切られますと、人間は生命と肉体共に生きられなくなる永遠の事実を知らない。
肉体はこうですが、生命も同じです。
死後、地獄に行かれる方の共通した特徴を見てご覧なさい。
神の心に叶わないことをした方が、例外なく地獄に行っております。
神の心に叶ったことをした方が地獄に行くわけはないでしょう。
何がしか叶わないことを生前、したから行ったのでしょう。
ならば神と共に生きられなかった方が、地獄界にいるということは、生命もまた神なくして我々は生きられないように作られているということです。
たとえ神の心に叶っていても、低い善で高い善に戦いを挑む神道みたいな甘えた霊系統もあります。
意図的に神から遠い善、自分たちでは理解できないゆえに低い善の独自の世界を守らんとして高い善に戦争を売っている愚かな霊系統もあの世ではあります。
所詮、低い劣る善ですから物質の善です。
地位や富、力や権力、国益や学歴等々に服従している劣る霊系統であり、それは日本のアメリカへの追従を見れば分かります。
あるいはヘイト・スピーチの人種差別を見ても分かります。
大人ではなく子供用のアニメ・マンガ・テレビゲームを必死で目的とせんとする姿にも出ております。
様々な盗作とパクリでもその劣る性質は出ています。
努力していないから劣っているわけですが、神から遠い独自の世界を必死で守らんとし、滅ぼされていく。
劣る自分たちが理解できない高度な神理は、理解できないために排除して神理の鎖国をし、神理のガラパゴス島を作って、ひたすらその「独自の島」で自分たちが理解できる範囲の低い善の世界を守らんとして滅ぼされていく。
そういう神から遠い善と低い善の世界を、必死で守らんとしている霊系統もある。
その低い者たちを扇動し、その低い善の弱みに付け込んで奴隷制を作っている神道みたいな系統もあります。
その奴隷共が起こした大罪が今回の神理に対する犯罪であり、また第二次世界大戦での2000万人以上の虐殺でした。
まさか今回の「救世の法」に第二次世界大戦の犯罪者共の亡霊が関係してくるとは思いませんでした。
きっちりと法の裁きをしてこなかったということでしょうね。
第二次世界大戦での犯罪者共を見逃し、けじめをつけていなかった。
これが今回の日本での救世運動の失敗の要因のひとつではあるでしょう。
そしてその失敗も神の全人類への愛と言えます。
この国が世界の盟主になれば、他国人に無茶をしたでしょうし、事実かつてしました。
大日意識の意図だと思います。
何にしろ民主主義も「利益」、社会主義も「物質」、資本主義も「利益」等、全世界的規模で「神の体」が最上位に置かれている「偶像崇拝」の世界となっておりますので、一旦は崩壊を迎えるでしょう。
すぐに「真世界」に移行すればいいですが、やはりすぐにというわけにはいかないでしょう。
旧ソ連の崩壊を見ても、やはり正常化するのに10年はかかっておりますし、これが全世界的規模ともなれば、最低でも10年以上から20年は見ておかなければなりません。
その期間は、やはり「ブッシュクラフト」的な生活も覚悟しなければならなくなるかもしれない。
一旦、古い文明と古い価値観が崩壊しますと、文明の力を持ち込まないと言うより、あまり持ち込めない状況でしょうからサバイバルという状況でもないでしょうが、結果としては「ブッシュクラフト」に近い状況が現実的ではないか。
例えば仮に東京に大地震が起こり、富士山が噴火し、その火山灰が関東地方を覆ったらどうなるか?
経済的被害はM(マグニチュード)7クラスならば、「95.3兆円」、M8クラスならば「160兆円」であり、それが一度ではなく、何度も首都を襲ったらどうなるのか。
かつて世界ではそういった地震がありました。
富士山の噴火が重なった複合災害となればどうなるのか。
東京都民1330万人はどうするのでしょう。
簡単に復興可能な災害の場合、する必要性のない災害です。
あくまで今回意図されているのは「浄化」のための災害でしょうから、そう簡単に復興するような災害とも思えない。
もし簡単に復興可能ならば、また復興すれば、その後また同じく利益と国益を追うはずで意味のない災害となる。
だから当然、意図している災害とは、BCP(事業継続計画)を鼻で笑うような大災害でしょう。
恐らくそうだと思います。
しかしてそういった状況というのは、既に国家が破綻し、崩壊している状況としか言いようがありません。
当然、水と食料を求めて1330万人もの人が田舎に殺到するでしょう。
食料や住居の問題が出てくるのは火を見るより明らかです。
暴動や略奪も起こるかもしれません。
するとその都会に住んでいる大量の人たちは当然、食料を求めて田舎に殺到します。
ただことはそれほど単純ではなく、実際は複雑な問題が色々と出てくるでしょう。
食料自給率40%の国において既存の田舎が全国民の食料をまかなえるわけではない。
でも食料がなければ死んでしまいますので、経済が崩壊している限りは、自然界から調達する以外にはない。
結局は「ブッシュクラフト」の生活にならざるを得ないのですね。
文明が半ば崩壊し、住むところもなくなり、食べるものもなくなり、飲むものもなくなり、頼るところもなくなり、着るものもなくなった時、最終最後に人間が頼るのは、いつだって神の体であり、自然界です。
その時、肉体ですら神の体に頼らなければ生きていけない神の子の本来相を悟ることになる。
神の子が困った時、最後に頼るべきは神の心と体、すなわち大宇宙であり、神の子は神のもとに帰る。
その人間が最終的に頼るべき神の体を「銭儲け」で汚し、破壊しているのは子どもである神の子の方です。
利益と国益を目的とし、神の心と神の体である大宇宙から勝手に「家出」をし、行き詰ってこれまた勝手に崩壊し、最後には神の体という「自宅」に帰ってくる。
神は神の子を「神の自宅」でいつだって精神・肉体共に腹いっぱい「メシ」を食わせてくれる。
「求めよ、さらば与えられん」
私の経験によれば、神の心を求めれば求めるほど、神と諸神霊は腹いっぱいに啓示と言う名の「メシ」を食わせてくれます。
生命でも肉体でもです。
生命領域ではそれが信仰の姿なのであろうし、肉体では自然界という神の体に食を求める「ブッシュクラフト」的な姿になるのでしょう。
その有難味に手を合わせることを「感謝」と言うのであろうし、その恩に報いることを「報恩」と言い、これを神の善と正義への信仰というのでしょう。
新旧の価値観が相克し、「真世界」があらわれる時には、一旦はこの状態に大なり小なり戻ると思っています。
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